★第54話 生への執着
マキナ=ドールの研究室は洋館の最東端に位置する部屋だ。
鼻孔を付く鋭い臭いは薬品か、魔術素材だろう。
洋室の壁を四つほど繋げた室内は広く、用途の分からない植物素材が棚に並べられている。
ガラス瓶の中には目玉や脳が浮かび、リンナは監視されているような錯覚を覚えた。
棚の脇には捨てられるように人の腕や脚が転がっているが、死体ではない。
ゴーレムの部品だろう。
胸に手を当てると鼓動が強く脈打っている。
体内のアイリスは恐れてないようだが、警戒心は高まっているようだ。
薄暗い室内は図書館のように棚が通路を生み、わずかな灯を目印に歩んでいく。
「止まれ、リンナ君」
静かながら重みのある声。
リンナの背筋が反射的に強張る。
それは酔いどれのマキナではない。
ゴーレムマスターとしての声だった。
「まだ調整が済んでいない。
生々しいものを見せるわけにもいかないんでね」
「そんな時に訪ねて、すまなかったな」
「いや、そろそろだと思っていたよ――お互いにね」
金属が擦れ合う音。
骨を削るような軋み。
絹の布がかすかに揺れる気配。
『な、何が起きているの……リンナ』
視界の曖昧な室内で、人間のはずの相手から聞こえてはいけない音が響いている。
『こんなマキナを私は知らない――憶測だが、己を造っているのだろう』
『造ってる……?』
「何をしているのか、そう思っているようだね」
「ああ、何故そんなときに招いたとは思っているよ」
マキナは先端の細い刃で何かを削っていた。
ときおり「ドンッ」と机に塊を叩きつける。
パン職人が生地を打つような、奇妙な音。
「どうやらわたしにも、まだ人らしい感情が残っていたようでね。
《《ここまでして生きているよ》》、と見せつけている。
嫌な女だろ?」
「既に人ではない……のか?」
「どうかな、その場合は人の定義を決めなければね。
ゴーレムマスターとなれば、誰もが辿り着きたい領域には違いないが」
ゴーレムマスター。
魔術素材は元より、死体、生体、動物、モンスター、無機物など多種多様な素材から、自立稼働型の物体を操る職業。
彼らの終着点はおおよその場合、永遠の自己の保存だ。
「今の私は文字通り脳だけだ」
マキナの声は静かで、異様に澄んでいた。
「身体の調整中は、瓶詰のわたしをメイドゴーレムに抱いてもらっている。
疑似魔術神経は繋いだままだから、頭部を横に真っ二つにした生首の口だけでも、こうして話しているという訳だ」
リンナの背筋を冷たいものが這い上がった。
「……聞いたことがある。
そこまでじゃなくとも、ゴーレムマスターは自らの損傷を補うため、ゴーレムの身体と部分的に入れ替えていくと」
「五十歳頃だったか。足を悪くしてね。
初めて右足を膝から切断して、ゴーレム用の足を付けた。
そこからは、腕、胃、腸、眼球、頭皮――部品を入れ替えて行けば永遠に生きられるようになったよ」
「マキナ……」
「はじめは痛覚遮断の塩梅を掴めなくて、痛みでよく気絶したもんさ。
何度も死ぬかもしれないと思ったが――死にたいとは一度も思わなかった」
笑う声は穏やかだった。
だがその奥にあるのは、救いようのない孤独と執念だ。
「なあ、リンナ君。
シェードはいつ帰ってくるんだろうな」
リンナはマキナの問いに言い返せなかった。
三百年前、言い争った始まりを思えば、的確な答えなんて存在しない。
「あいつはいつも自由奔放だったから、ふらりと顔を出すかもしれない。
今回、リンナ君たちが訪れたように――希望を失わずに本当に良かった……」
「マキナ、もう……三百年は経過している。
エルフならまだしも人間の寿命では到底生きられない」
「わたしは生きている。
小娘だったわたしに出来るんだから、シェードほどの男ができないはずがない」
「シェードも人間だ。
多種多様な武器と魔術を扱う才に溢れ、人を引き付ける妙な魅力を持っていた。だが彼はもう――」
この先を口に出していいものか、逡巡する。
言わずに部屋に戻り、明日からも訓練を再開し、元のクランハウスに帰るだけ。
それですべては平穏に過ぎる。
マキナもずっと――シェードを待つだけの日々へ。
「シェードさえ戻れば、またクロノ・クロノスで活動ができる。
最低ランクから始まるが、今はリンナ君もユウヒ君も――何ならマリアベルの子孫もいる」
言葉だけは夢を語る少女のようだ。
あまりの明るい口調に、リンナの存在すら認識していないのではと思ってしまう。
「リンナ君、本当はクロノ・クロノスのメンバー集めでここに立ち寄ったんだろう?」
奥の作業台で、何かが激しく暴れていた。
机を蹴り飛ばす音。棚が倒れる音。
動物のような音だった。
――いや、違う。
神経接続の副作用で、繋がれた肉体が反射によって勝手に動いているのだ。
「もうあんなオッサンの下で戦う必要はない。
そうだ、リンナ君にも新しい肉体を作ってあげよう!
そんな貧相な身体、全然リンナ君らしくない!!
剣聖だった君は実に美しかった。
わたしの憧れ――剣聖リンナ――!!!!」
「いや、身体は不要だ。
それにギリアムの下で、ではない。
共にクランを作り上げていきたい思いから、私は共にいる」
もちろんアイリスの事情もあるが――と内心付け加えるが、伝える必要はない。
本や骨、肉類が落下した生々しい音を最後に沈黙が訪れる。
「え――?」
その声には、感情がなかった。
想像もしなかった答えを聞いた子供のように、空虚だった。
「わたしは三百年も待ってたのに――わたしのお願いは聞けなくて、どこの馬の骨とも分からないオッサンの言うことは叶えるの?」
「叶えるではない、私が望んでいる」
「剣聖もゴーレムマスターもシノビも聖女も揃ってるんだよ?
なんで、ねえ、なんで?」
「マキナ、もう――」
真実は意味を持たない。
正論も無意味。
分かっている。
マキナと話をしに来たこと自体が無意味なのだ。
彼女を助けたいなんて思っていたわけじゃない。
――ただ、昔の仲間だったから、心配だっただけなんだ。
あの頃の仲間たちに顔向けできるような、生き方をしているのか、と。
「そっか――でも安心してリンナ君。
今日はそのための調整だったから。
そうだと思ってたんだ」
『リンナ、なんか……部屋の中に、いくつかの気配を感じる』
アイリスの声が震える。
刺すような殺意が、室内に充満していた。
「クロノ・クロノスのようになりたいなんて……そんな簡単に見えたかね……。
そもそもあんな《《死の臭いがする》》中年に、君たちを預けられるわけがない」
肉体の調整が完了したのだろう。
肌艶が良くなったマキナは服を纏っていた。
深いスリットの入った布地が、まるで血のように彼女の身体に張り付く。
「シェードは必ず帰ってくる――。
だから、メンバーの《《本物》》は必ず保管しておくんだ!!!」
次の瞬間、暗闇を切り裂く閃光が幾筋も走った。
殺意が形を持って、襲いかかってくるのが見えた。
【カクヨム】
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