★第52話 女湯
女ダイヨクジョウは女湯という。
身体を洗う空間には、腰掛け用の小椅子と桶がずらりと並び、その奥には巨石で組まれた湯船が湯気をたたえ、白い霞がゆらゆらと視界を覆っていた。
お風呂の周囲には赤や緑の葉をつけた草木が植えられ、庭園のような造りになっている。
湯船の上だけは屋根がなく、夜の空気がやわらかく流れ込んでいた。
「ドロシー、背中洗って~」
石鹸を泡立て、布をタオル代わりに、アイテールとドロシーはお互いに身体を洗い合っている。
湯気の中でアイテールの肌は淡く光を帯び、透き通るように白い。
ドロシーの肌も雪のようで、触れればすぐに溶けてしまいそうだった。
二人ともいつも術師のローブを着ているせいか、日に焼けた様子はない。
そんな二人を、湯に浸かりながら静かに見守るのは――エメラダとユウヒ。
「ふう……熱い湯というのも良いものだ。
どの街でも気軽に入れる日が来れば嬉しいが」
エメラダの肌は余計な脂肪が一つもなく、透明な湯の中でも、その鍛え上げられた腹筋の線がはっきりと見えた。
「……足を延ばせる、嬉しい」
ユウヒは浅黒い肌に湯の光を反射させながら、ゆったりと脚を伸ばす。
柔らかな曲線を描く身体は、力強さと女性らしさが同居しており、見惚れるほどに整っていた。
「そうだな、ここまで広い湯浴みは、一介の冒険者では不可能だろう。
当時、クロノ・クロノスというのは何名ほど在籍していたんだ?」
ユウヒは艶のある唇に人差し指を添え、少しだけ目を伏せて記憶を辿るように呟く。
「少ないときは三人。
沢山の時もあった」
「荒事は全てクロノ・クロノスが収めたと言って良いほどの活躍と読んだことがある。
それほどのクランならば、今日まで続いていても良いだろうに……」
「……そうだね」
ユウヒは湯面に口元まで沈み、ぷくぷくと泡を立てた。
それ以上は語らない。
その仕草に、エメラダは触れてはならない過去を感じ取った。
しばらく静かな湯気が流れ――やがて、エメラダは立ち上がる。
湯の滴が肌をつたうが、彼女は隠す素振りもなく拳を握った。
「ユウヒ殿、私はエメラダだ。
孤児院で育ち、アクアヴェルムの領主、ロイズ様は父親のような存在だ。
父親代わりが穏やか過ぎる性格なことから、悪意潜む昨今では不安。
――だから聖騎士の道を選んだ。
孤児を減らし、家族も守れる盾になるために」
「……どうしたの、自己紹介?」
「ああ、自己紹介だ。
ユウヒ殿のことを私は何も知らない。
それは今日の訓練で思い知った。
命を預け合うならば、他者を知ることが大切――身をもって知った」
実践訓練のあと、リンナのアドバイスは実に簡単なものだった。
"他人に興味を持て"、それがエメラダに与えられた助言。
「他人を知るには、まず私を知ってもらわなければいけない。
どうだ、他に知りたいことはないか?」
「……一理ある」
エメラダの言葉に、ユウヒは静かにうなずいた。
確かに彼女の言うとおりだ。
ユウヒ自身もこれまで、リンナやギリアム以外に興味を向けたことがなかった。
だが、今は――いい機会かもしれないと思えた。
「……好きな食べ物は?」
「ホットケーキだ」
「好きはお洋服は」
「すべてアザレア様が選んでくれたからな……好きかは分からないが、手持ちは全て可愛らしすぎるかもしれない」
「好きな動物」
「犬」
「好きな色」
「白、純白だ」
「じゃあ……あだ名は?」
「あだ名――あだ名か……」
エメラダは目を伏せた。
孤児だった頃、呼び名をつけ合うような仲間はいなかった。
ロイズたちにも、どこか遠慮して距離を取っていた。
聖騎士になってからも、ただ強くなることばかりを追いかけて――。
――けれど、一人だけ。
自分を「エメラダ」と呼ばなかった先輩がいた。
「……えめっち」
「えめっち?」
消え入りそうな声とともに、エメラダは湯に肩まで沈んだ。
自分で口にしてみると、余計に恥ずかしい。
耳まで赤く染まる。
「かわいい」
「わ、わたしがか!?
そんなことはあるまい……」
ユウヒはそっとエメラダの手を取って、両手で包み込んだ。
湯の熱とは違う、人の温もりが伝わってくる。
「今日からえめっちって呼ぶ。
わたしにも付けて」
「わ、私が?
いや、だが……」
「おねがい」
大きな瞳で見上げられ、エメラダは完全に言葉を失った。
この視線には、誰も勝てない。
「あー……ユウヒだから……。
ユウ? そのままか。まてまて、今違うのを考える。
これは大切なことだ、場合によっては一週間ほど時間を貰うかもしれない」
真面目な口調のまま悩み始めるエメラダに、ユウヒはふっと微笑んで、そっと抱きついた。
抱きしめられたことに気づいたのは数秒後だった。
「ううん、それがいい」
「そ、そうか」
「ありがとう、えめっち」
「あ、ああ」
「呼んで」
「いや、すぐというのはだな、恥ずかしいもので――」
「呼んで」
「う、ううう……!」
ギリアムがよく困らされていた理由が、ようやく分かった。
ユウヒに頼まれると、断るという選択肢が自然に消えてしまう。
「ユ、ユウ……」
「よくできました」
ぎゅっと抱きしめられる。
同性であっても、胸の奥がざわめくような、妙な熱を感じた。
伝説のクランの一員――その名に恥じない魅力が、確かにあった。
「……私は、もう呪縛から抜けた。マキナ様、貴女は何を選ぶ?」
「ん?」
耳元でそっと落とされた囁きは、湯気に溶けて曖昧に消えた。
エメラダは聞き返そうとしたが、ユウヒは小さく首を振る。
「あがる」
「あ、ああ。ユウ、今なにか……」
「ううん、独り言」
そのとき、女湯の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
遅れてリリィとセラフが入ってくる。
長い布で胸元を隠しながら、リリィは湯気の中を見渡し、首をかしげた。
「アイリス様……先に湯に入っているかと思ったのですが、いらっしゃらない?」
【カクヨム】
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