★第51話 訓練後の夜
クロノ・クロノスには東方から伝わったとされる"ダイヨクジョウ"というお風呂がある。
入口にはお湯を示す『YU』の文字。
垂れ幕の前で、桶を抱えた少女二人が立っていた。
「ふええええ……やっとお風呂だよ、ドロシー」
自慢の治癒師のローブは、白から茶色へと変わり果てている。
アイテールの顔にも、泥がところどころ張り付いていた。
「実戦に筋トレ、それに精神統一……もうぼろぼろだよぉ」
ドロシーは微笑みながら、アイテールの頬についた泥をそっと指で拭う。
「ありがとう、ドロシー、でもみんな凄いよね。
エメラルドさんと、リリィさんなんて、全然汚れてないよ」
「そうでもないさ、アイテール」
背後からの声に、アイテールの背中が跳ねた。
「ふひゃぁ!?
エ、エメラダさん、いらっしゃったんですね」
「ああ、ユウヒ殿を湯に誘いに行っていた」
「……誘われた」
アイテールは思わず目を瞬かせる。
珍しい組み合わせだ。
それにしても、並んだ二人の姿はまるで絵画のようだった。
細身ながら均整のとれたエメラダ、そしてメリハリのある肢体を惜しげもなく晒すユウヒ。
これから湯けむりの中に佇むであろうその姿は、まるで神話の女神たちではなかろうか。
アイテールはそっと自分の体を見下ろす。
次いでドロシーへと視線を移し――。
「……もっとミルクを飲もう」
心の中で、強く誓うのだった。
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食堂ではちょうど、ギリアム、セラフ、リリィが食器の片付けを終えたところだった。
メイドゴーレムたちはベッドメイクに回り、残りの個体は調整時期だったので、せっかくならとギリアムが食器洗いを申し出たのだ。
「食器洗いまで、ありがとうございます。
クランマスターに家事をしていただくなど――」
「気にするなリリィ。
あの人数の食器だ。みんなでやれば早く終わるだろう」
「ギリアム様は珍しい殿方でございます。
ちゃんとお休みになっていますか?」
彼女は知っていた。
ギリアムが太陽が昇るより早く起きて筋トレを行い、夜は寝る間も惜しんで魔力の練磨と精神統一に励んでいることを。
「あー……人並みにはな。
リリィも訓練の後に家事はきついだろ。
いつでも変わるから無理するなよ」
「私のことはお気になさらず。
アイリス様を完璧にお世話するために、十分な睡眠、栄養、そして適度な運動を――すべて計画的に守っております。
それよりも、ギリアム様こそご無理を――」
「さて、俺はお風呂をいただくよ」
ギリアムはリリィの小言から逃げるように、軽く手を振って食堂を後にした。
「あ、ギリアム待ってよ、お風呂で身体洗ってあげる~♡」
「……気持ちだけ受け取っとくさ。
ほら、風呂場でみんなが待ってるぞ」
ギリアムの言葉に怯むことなく、ノクスは彼の腕に絡みつき、そのまま嬉しそうに食堂を出ていった。
「ふう……せめて夜だけは、お身体を休めて欲しいものです」
苦笑を浮かべ、リリィもまたダイヨクジョウへと足を向けた。
メイドとして、アイリスの身体を丁寧に洗って差し上げねばならない。
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「こんなに広い風呂、初めてだな」
東方に立ち寄ったことはないが、そこでは毎日湯に浸かる文化があると聞く。
冒険者にとって湯浴みは贅沢だ。
水浴びで済ませるのが常であり、それだけに、その国は本当に風呂好きなのだろう。
石畳は隅々まで磨かれている。
マキナのゴーレムたちが、丁寧に掃除している証だ。
身体を洗い流し、ゆっくりと湯船へ身を沈める。
巨石で組まれた浴槽に天井はなく、夜空の星が静かに瞬いていた。
女子風呂との境は、木の壁一枚。
そう思うと、少し不思議な気持ちになる。
「くぁ~……染み渡る」
熱い湯が肌を刺すように感じられたが、次第に身体が慣れ、芯からほぐれていく。
「久々の訓練の日々だ……」
見上げた星空に、かつての日々が重なる。
暗黒騎士として修行していた頃――。
師匠に魔物の巣窟へ置き去りにされたり、甲冑に重りを付けて湖に沈められたりしたものだ。
「死を知ることは、生きる力になる。
ははっ、無茶言ってたな」
今思えば、ほとんど拷問のような修行だった。
だが、暗黒騎士は死に近づくほど暗黒スキルを自在に扱える。
あの過酷さも、確かに意味はあった。
「辛かったが、懐かしくも楽しかった気がする」
身体に残る傷のほとんどは、その頃に刻まれたものだ。
バフォメットと二度も相対し、失ったのが髪の色だけで済んだのは、まさに奇跡と言っていい。
「……奇跡じゃないか」
もし、あの頃のように一人で戦っていたら――。
とっくに寿命を削り、五体満足ではいられなかっただろう。
頼れる仲間がいてくれたからこそ、今こうして生を実感できている。
「クランってのは不思議なもんだ」
違う人生を歩んできた者たちが集まり、協力して同じ目標を目指す。
アベルのように息苦しいクランもあれば、クロノ・クロノスのように伝説になるクランもある。
人間関係ひとつで、その在りようはまるで変わってしまう。
そんな中、三百年も仲間を待ち続けた者は――どんな気持ちで、時を越えてきたのだろうか。
ユウヒはダークエルフだ。
長命の種族ゆえ、時間の重さには慣れているのかもしれない。
だが、もしそれが人間だったのなら――。
「……どんな想いを抱くのか」
その答えを知る者は、今ここにはいない。
ただ、木の壁越しに響く女性陣のはしゃぎ声が、湯気とともに俺の思考を静かに溶かしていった。
【カクヨム】
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