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第41話 セラフ=ノクスの正体

「みんな、もう痛いところはないかな?」


 アベルが消えた翌日。

 黎明の鷲のクランハウス――日も当たらぬ裏庭で、紺色のシスター服を揺らしながら、セラフ=ノクスは最後の癒しを終えていた。


「痛いところがあったら、いつでも言ってね?

 どんな小さな傷もセラフが治しちゃうからね!」


 手の甲の擦り傷が光に溶けるように消えていき、治癒師のアイテールが感嘆の声を漏らす。


 彼女は治癒師ではある。

 だからこそ体験してみたいということで、アイテールは癒しをお願いしていた。


「すごいです……私のヒールとは比べ物にならない」


「治癒師のヒールはすぐに発動できるよね」


 でも、と彼女は得意げに続ける。


「【祝福】は、詠唱時間はあるけど、神や天使の加護を借りて、大きな回復効果をもたらすんだよ」


「や、やっぱり聖女さんって、すごい。

 【神声】で名指しされた少女しかなれないんだよね」


 感心する声に、セラフの瞳が一瞬だけ曇る。

 けれど次の瞬間には、作りもののような微笑を浮かべた。


「そうでもないよ、私は『偽聖女』だから」


 その言葉と笑みは、十歳の子どもが浮かべるものではなかった。

 静けさの底に、何か鋭いものが潜んでいる。


「では、セラフ治療室、今日は閉院です!

 患者様はゆっくりとお部屋でお過ごしください」


 その無邪気な口調に、誰もが笑みを返す。

 熾天使でさえも庇護したくなるような微笑みで、セラフはクランメンバーをリビングへと送り出し、建付けの悪い扉をゆっくり閉めた。


 扉の音が落ち着くのを待ってから、彼女は小さく息を吐いた。


「ふう……さて、これでゆっくりとお話しできるんだよ、ギリアム」


 壁際に立つ俺の存在に、とうの昔に気づいていたらしい。

 

「場所を変えるか」

「優しいんだね、昔から」


 その一言に、心臓が僅かに跳ねた。

 ――やはり、セラフ=ノクスは俺のことを知っている。


「クランハウスはもう人で一杯だ。

 街はまだ復興作業中だから、静かな場所となると――」


 俺がアクアヴェルムの地図を思い浮かべる。

 どこも崩壊が激しく、静かな喫茶店などない。

 路地裏にしても狂信者の残党がいないか、街の隅々まで衛兵が走り回っている。


「あ、あそこなら良いか」


++++++++++++++++++++++


 木造の平屋建て。

 個室も備えられ、プライベートが確保されている。

 衛兵が踏み込んでくる心配もない、静かな作業部屋だった。


「街を救った英雄への礼が、こんなもんで良いのか?」 


 鍛冶屋の親父、グラハムが作業部屋の扉を押しながら笑った。

 

「助かるよ、むしろ復興で忙しいところ悪いな」


「いや、この程度ならいつでも手を貸すさ。

 じゃあ、ごゆっくり」


 扉が閉じると木の匂いと鉄粉の残り香が部屋に満ちた。

 作業台と椅子、そして使い込まれた道具箱。

 俺は木箱に腰を下ろし、セラフ=ノクスに椅子を勧めた。


「ありがと!

 それと、バフォメット退治――本当に、《《ありがとう》》」

 

 まるで自分のことのように胸に手を当て、セラフは瞳を閉じて深く礼をした。

 十歳ほどの少女とは思えない静かな所作だった。


「聞きたいことは山ほどあるが――君は誰なんだ、俺を知っているようだが」


「隠すほどじゃないけど、話す機会がなかっただけなんだよ。

 セラフにも事情があったから……」


「事情、か」


「セラフはバフォメットに滅ぼされた村の生き残りなの。

 あのとき、ギリアムがバフォメットを追い返してくれたから――今の私は生きてる」


「……生きていてくれたのか」


 ドクン、と胸の奥で心臓が鳴る。

 沈んでいた記憶が、ゆっくりと浮かび上がった。


「その後も《《匿名の人》》から村にお金が届いて……。

 みんな、あれで立ち直れたんだ。

 感謝しても、しきれなかったよ」


「あの村の子がこんなにも大きくなって――……そうか、そうか!」


 助けられなかった命は、数え切れない。

 けれど――確かに、生き延びて育った命もある。

 それだけで胸が熱くなった。


 ……歳を取ると、涙腺が弱くなっていけない。

 唇を噛み、溢れそうになるものを必死に堪えた。


「その後ね――ノクスが世界中の悪魔を狩りつくすって言ったの。

 ご先祖様が残した聖具の扱いを覚えて、書物を読んで……」


 流れるように話し始めたセラフに、俺は思わず手を挙げる。


「待ってくれ。

 まるでセラフとノクスが別人みたいな言い方だな?」


「あ……ごめんなさい、ギリアム。

 最初にそれを言わなくちゃね」


 セラフは微笑み、指を胸の中央に当てた。

 その仕草は、まるで自分の内側にもう一人の誰かが眠っているかのようだった。


「私の一族はね、母方と父方、どちらの血も強すぎたの。

 だから、二つの人格を持って生まれる。

 人々を癒すのは私、セラフ。

 そして――癒しの力と聖具で断罪するのが、ノクス」


「そ、そんなことが……」


 それはつまり、アイリスに剣聖リンナが宿っていたようなもの――。

 俺の脳裏に、戦慄にも似た既視感が走った。


「それでお話の続きなんだけど、セラフは王都グランヴェルムに――」


 再び息を吸ったとき、乱雑にドアがノックされた。

 俺が「どうぞ」と返すと、勢いよく扉が開く。


「ちぃ~っす。

 ウチが焼いたマジ美味いお紅茶と焼き菓子はいかがっすかあ」


 鍛冶屋グラハムの娘であり、アクアヴェルムの“ファッションリーダー”を自称するメィルが、両手でトレイを抱えて立っていた。


「メィル、ありがとう。

 美味しくいただくよ」


「あと、親父がこの人も連れてってやれって。

 良かったっす?」


 メィルの派手なポニーテールの後ろに、 清楚なワンピース姿の少女が立っていた。

 絹糸のようにしなやかな金髪は、一本の三つ編みにまとめられ、

 すっと通った鼻筋と整った顔立ちは、まるで舞台の花形のように整っている。


 ……どこかで、見覚えがある。


「探したました、新たなマスター」

「新たなマスター?」

 

 新しくアイテールやドロシー、エメラダ、セラフがクランに加入したが、こんな伯爵令嬢がメンバーにいただろうか。


「お、お忘れですか。

 治癒師であるマスターには必須の盾、聖騎士エメラダです」


 彼女は慣れぬワンピースの裾をぎゅっと握りしめ、視線を落とす。


「す、すまない、エメラダか。

 見違えるほど綺麗で気が付かなかったよ」


 頬を夕暮れよりも濃く染め、彼女は小さくうつむいた。

 言葉を探しながら、やっとの思いで口を開く。


「水路だけでなく、行き場のない私をクランにも誘ってもらい――、お礼をお伝えに、あ、ちが、そ、その。

 いつも白馬の王子のように助けに馳せ参じるそのお姿……う、運命的過ぎて……ん……なんと申し上げたらいいか――」


 焦るあまり、言葉が絡まる。

 その様子を見つめていたセラフは、やわらかな笑みを浮かべた。

 エメラダの熱が、見る間に冷めていく。


「こほん……立ち聞きするつもりは、なかったのです。

 でも、その先の話――私にも、聞かせていただけますか」


 セラフは静かに頷く。

 その微笑みは聖女のように穏やかで、同時に何かを見透かすようでもあった。


「うん、もちろん……ここからが、大事な話だから」


 セラフ=ノクスは、再び物語の続きを語り始めた。

【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/works/16818093086666246290

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