★第33話 アベルの願望と偽の聖女
「こんなはずじゃねぇ、そんなはずねえんだ」
アベルは親指の爪を噛み、落ち着きなく視線をさまよわせていた。
「水路の時もそうだ、気付いたら記憶が抜け落ちてた。
知らぬ間にクランハウスに戻って――さっきは屋敷に入ったはずなのに、今度は何だ」
周囲を見渡せば、異様に長い腕をぶら下げ、猫背のままよろめく狂信者たちが、一方向へと足並みを揃えて歩いている。
夢遊病者のように気がつけば、その群れの中にアベル自身も混ざっていた。
「なんで襲ってこねえんだ……?」
独り言は虚空に消える。
狂信者たちはアベルを無視し、ただ地面を引きずるように歩き続け、手には死体や瀕死の人間を抱えている。
バフォメットへの供物なのだろう。
「だ、誰か……た、たすけ……」
微かな声に目を向けると、片足をつかまれて引きずられている冒険者の青年がいた。
血を流しすぎて、瞳はすでに虚ろ。
助かる見込みは薄い。
アベルは一瞥しただけで身を縮め、群れの影に紛れる。
弱いくせに運もなく乗り込んできた奴が悪い――助ける義理も、メリットもない。
「……あれはアザレア様と領主か」
可憐な少女は肩に担がれ、中年の男は地面を引きずられながら、いずれも意識を失っていた。
「ふむ、目が覚めてから助ければ報酬は倍か……それどころか、あの女も屋敷も全部俺のもんだ」
領主がこのまま《《事故》》で死ねば、さらに都合がいい。
自然と口元が吊り上がり、アベルは肩を震わせて笑った。
『貴方(貴女)の願いを叶えよう』
「……ん?」
性別も年齢も定かでない声が響き、アベルは辺りを見渡す。
だが目に映るのは、瀕死の人間と正気を失った怪物たちだけだった。
『貴方(貴女)の望む未来はなんだ?』
「誰だ?」
問いかけても返事はない。
水路でも似た声を聞いた気がするが、相変わらず記憶は霞がかかったままだ。
「俺の未来か、そりゃあよ。
良い女と豪邸、そして誰もが平伏すような名声だ」
だからS級クラン『黄金の剣』から、年老いた男を追放し、美貌の女たちを揃えた。
あとは名声さえ、さらに広まれば、金も女も勝手に転がり込んでくる。
『人間が人間たる欲望――単純で、だからこそ強大な願い……』
「はっ、そりゃどーも」
嘲るように吐き捨てながらも、その声を聞いていると腹の奥から魔力が沸き上がってくる。
本来、アベルは魔術の才などない剣士だ。
だが今は違う。
何かを使えそうだと錯覚するほどに、体内を魔力が渦巻いていた。
――そうだ、手柄は全部俺一人のもの。
今なら手に取るように分かる。
「そこで、見てるなぁ――!」
突如、アベルは壁に向けて右腕を振り抜いた。
失ったはずの黄金の剣が宙に現れ、矢のように飛んで壁に突き刺さる。
いや、確かに何かがいた。
刹那、鮮血が飛び散り、手応えが走る。
「逃げたか――いいねえ。
あとは俺一人が領主の前でバフォメットを殺せば、予定通りじゃねえか」
すべては思い通り。
いつものように、世界は自分の望む方向へと回っている。
全てを手に入れたらつまらなくなるのか?
いや、そんなはずはない。
毎日が楽しすぎて、脳天が爆発しそうになるに決まってる。
下種な想像を巡らせながら、《《仲間たち》》と共に、アベルは廃屋へと足を進めていった。
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「うっ、油断……」
肩甲骨のあたりに魔力剣が深々と突き刺さり、声を漏らしそうになる。
ユウヒは瓦礫を背に、ずるずると座り込んだ。
三百年前なら、こんな凡ミスはしなかった。
長い年月の末に仲間と再会し、新たなクランマスターと出会ったことで――気が緩んでしまったのだろう。
「……すぐに動けない」
袖を乱暴に裂き、口と手で器用に縛って止血する。
致命傷ではないが、放置はできない。
「ギリアム様――ご報告を」
自らの血で地面に、漆黒の鳥を描き出す。
シノビスキル:カラス。
血から形作られた鳥は、ギリアムの魔力を追うように勢いよく飛び立った。
「……悔しい」
与えられた任務を遂行できなかった。
調査と暗躍を誇りとするのに、現状に浮かれ、失態を演じるとは。
「どんな罰も受ける――罰……ふふ、ふふふ」
苦しげに顔を歪めながらも、次の瞬間には嬉しそうに胸に手を当てる。
あんな罰、こんな罰――様々な想像が脳裏をよぎり、ユウヒの頬は赤く染まった。
「あーあ、尾行もここまで。
安全に歩けたのになあ。
ねえ、ダークエルフのお姉ちゃん、怪我しちゃったのかな?」
「え?」
振り向くと、そこには擦り切れたローブを深く被った小柄な影が立っていた。
隠者のようなボロ布に身を包み、口元しか見えない。
その幼い背丈には不釣り合いな、大きな十字架のペンダントが胸で揺れている。
「あのときの子……街から逃げた方が良い」
ユウヒの忠告も聞かず、少女はゆっくりとフードを脱いだ。
まだ十歳にも満たないほどの幼い顔立ち。
背中にはエメラルドグリーンの長い髪が滑らかに流れ、瞳の奥では四葉のクローバーのような神秘的な模様が光を宿していた。
しかし、ユウヒが食事を分け与えた時と、雰囲気に違和感ある。
陽だまりの様な笑顔を浮かべる年相応の子だったが――今はイタズラがばれても反省していない子供のようだ。
「どのみち、そろそろ出番だと思ったし……逃げるのも隠れるのも、もうおしまい」
そう告げると、少女はシスター服の中から奇妙な道具を取り出す。
油のような匂いが鼻を刺した。
片手に収まる小さな装置。
スイッチを押し込むと、火打石が弾けて小さな炎が灯る。
「これはね、『ドレイクの種火』っていう私のとても信仰深い聖具――逃げないでね」
少女はそう言って、ユウヒの傷口へ炎を押し当てた。
焼ける痛みを予測して顔を歪めるが、不思議と肉は壊死せず、痛みもなく、むしろ生命力を呼び覚ますようにじんじんと熱が広がる。
「うん。これで、ご飯のお礼はばっちりだよ」
「ありがと……あなたは何者?」
「私?」
少女は首を傾げ、少し考え込む。
「聖女……なんてもう反吐が出るし……。
うーん、偽聖女……うん、偽聖女、だよ」
その呼び名がしっくり来たのか、言い聞かせるようにポンッと手を打った。
「偽ってところが、私っぽい。
ここポイントだよ」
言葉とは裏腹に偽聖女の笑みは、愛を司る女神のようでもあった。
【カクヨム】
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