★第27話 リリィと教会
衛星都市アクアヴェルムの朝は、いつも通りに始まった。
漁港は早くから賑わい、沖に出る船や、市内の水路を巡る小舟が次々と動き出す。
市場には買い出しの使用人や商人がひしめき合い、大通りには早くも人の往来が生まれていた。
やがて時計塔が、いつものように鐘を鳴らす――はずだった。
だが、その鐘を鳴らす老人の姿がない。
極稀にそんな日もある。
人々は深く気にせず、変わらぬ日常を送ろうとする。
……けれど、拭いきれない違和感が漂っていた。
手紙の配達人が来ない。
ギルドの受付嬢が、一人足りない。
学び舎の先生が出勤しない。
庭師が現れない。
どれも大きな問題ではない。
だが、その小さな欠落が積み重なり、日常の歯車を少しずつ崩していった。
「シスター、全然来ないね、どうしたのかなー?」
教会の小さな部屋には、十歳にも満たない子どもたちが十名ほど集まっていた。
「シスター、風邪でも引いたのかな?」
「昨日は元気だったよ?」
「他のシスターはいたみたい」
知っていることを口々に語り合い、礼拝堂はざわめきに包まれる。
だからだろう。
――侵入者に、誰一人気づかなかった。
「ふへ、ふへへへ……バ、バフォメット様は若い血を好む……。
し、しかも聖職者の息のかかった子どもなら……」
石像が倒れたような音が響き、子どもたちは一斉に振り返った。
「え、誰か来たのかな?」
「シスター、慌てて転んでたりして」
笑い合った次の瞬間、ドアの下から真っ赤な液体が流れ込んでくる。
それが何か、子どもたちは知らない。
金切り声のようなドアの開閉音が、これから訪れる惨劇を告げていた。
「あああああ、狙い通りだ。
お前ら、捕まえろ。逃げるなら魔術をかけろ。
洗礼を受けさせろ。
――皆の命は、バフォメット様のために」
枯れ枝のような細長い腕、胴が異様に長く猫背の背中はすでに人ではない。
肉体の人間性すら失った虚ろな目の男が、大ぶりのナイフを手にして叫ぶ。
その背後には、血液の入った瓶を持つ二人の男が立っていた。
それは悪魔の祝福を受けた血液瓶。
頭から浴びれば理性を失い、狂信者を増やすことができる。
「シ、シスター……ど、どうして……寝てるの……?」
襲いかかる信者を前に、子どもたちは現実を理解できず、動かない血だらけのシスターを見つめることしかできない。
やがて、そのシスターも他の信者の手により、ずるずると引きずられてどこかへと消えていった。
「ひ、ひぃ……」
声を上げようとしたが、うまく言葉にならない。
「まずは一匹……生きてても辛いことしかないからなぁあ。
なら、早く死んだほうが幸せだろう???」
血液瓶を投げるまでもないと判断した男たちは、身を低くして走り出す。
手前の少女を小脇に抱え、横の男子を肩に担ぐ。
「や、やめて、たすけてええ!!」
「きゃあああ!!」
「うるせえええ!!!
生血を絞って、肉を喰われれば怖くないから、今助けてやるからなあああ!」
「救い、救い!!」
「救済、救済!!」
出来る限りの子どもたちを掴んで去ろうとする足に、一人の少女がしがみついた。
「は、離して……おねがいだからあ!」
「また迎えに来るから、いい子で待っててなあ、よかったなあ」
「ひっ……だ、誰か……、か、かみさま」
非力な少女は振りほどかれ、後方へ吹き飛んでシスター像に背中を打ち付ける。
「う、うう」
歪む視界の中で他の子どもたちが連れ去られていく。
いくら神に祈ろうとも助けは来ない。
神は平等に誰も助けず、誰も生かさないし殺さない。
それを知るにはまだ早すぎる年齢だった。
けど悪魔だけは間違いなく存在する。
――私たちを、ころして、たのしむんだ。
弱者は強いやつらの、餌でしかないんだ。
「たすけて、たすけてよおお!!」
少女の叫びが天を裂くその瞬間、巨大なステンドグラスが砕け、ガラス片がきらめく中へ人影が滑り込んだ。
床を転がり、起き上がると――
「う、腕があああ、俺の腕があああああああ!!」
腕だけがくるくると回って落ちる。
ナイフが次々と空を舞う。
「シッ!」
人影は使用人が身につける紺色のワンピース。
舞い踊るようなステップでフリル付きのエプロンが揺れる。
「ああああ、脚が、逃げるための足があああ、これじゃ走れねえよおお!」
「そちらのお嬢様、机の後ろへ」
水色の髪を持つ少女は、冷徹な瞳のまま幼女に隠れるように促した。
乱入したメイド服の女――リリィは、スカートの両端を丁寧に持ち上げて、足を揃えてお辞儀をする。
「なんだ、なんだんなこのメイドは!?」
「下種に名乗る名は、持ち合わせておりません」
スカートの中から地面に落下したのは、男たちが目にしたことのない代物だった。
長い筒に取っ手が付いている奇妙な――武器。
リリィは腰を落とし、それを拾い上げて、トリガーに指を添える。
頬を筒身に寄せ、片目で狙いを絞るその姿は、まるで舞うように静かで速い。
武器の構えは無駄がなく、凛とした緊張が場を引き締める。
「何やってんだあいつ??
いけえお前ら、若い女だ!!!」
彼らは知らない。
王都グランヴェルム兵器開発局が試験開発した【マスケット銃】を。
――ダンッ。
火薬が灰色の蒸気となって噴き出し、短い閃光とともに乾いた衝撃が響く。
銃の反動が肩を震わせ、足元に重心を落としたリリィは微動だにしないまま次弾へと滑らかに移行する。
火薬の匂いが鼻をつき、硝煙の余韻が空気を引き裂いた。
一人目の男が脚を打たれて膝を付く。
「な――」
咄嗟に血液瓶を構える。
――ダンッ。
二発目。
銃口が吐き出す衝撃が再び炸裂し、二人目が崩れ落ちる。
弾は容赦なく肉を断ち、床に赤が広がる。
「な、なんなんだ、こいつ、妙な格好をしているが、普通じゃない――!!」
男たちの叫びが途切れ、混乱が生まれる。
リリィの動きは粗暴ではない。
狙いを定め、呼吸を整え、反動をいなして次を撃つ——その一連は整然とした殺意の舞だった。
最後の男が子どもを地面に投げ捨てて、他の獲物を探すために踵を返した瞬間。
――ダンッ。
「ぐはっ……」
三発目が放たれ、太腿を貫いた一人が地に伏す。
童心を襲った凶行は、銃声の連打により瞬く間に止められた。
硝煙の白い漂いが聖堂に充満し、リリィは静かに銃を下ろす。
彼女の目には恐怖ではなく、冷たい決意が宿っていた。
「体術に移行する必要すらないとは」
リリィは子どもたちに振り向いて、頬を緩ませる。
「お、お姉ちゃんはだあれ……かみさま?」
幼子の言葉にリリィは穏やかに微笑んだ。
「神よりも頼りになるもの――それはメイドです」
凶信者たちの唸り声がある中、リリィは彼らを連れてすぐに衛兵たちへと引き渡した。
教会の襲撃が特別ではない。
今、街を舞台にした火種は大きく燃え広がり始めていた。
様々な場所で冒険者や衛兵たちが剣を交え始めている。
――伝説のクラン、『クロノ・クロノス』所属だったユウヒもまた、戦果へと身を投じようとしていた。
【カクヨム】
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