第20話 邪神教団の拠点
オールを漕ぎ、小舟は薄暗い水路を進んでいく。
トンネルの空気はじめっと重く、時おりネズミやコウモリの気配が走った。
「……感じる」
暗黒兜がなくともわかる。
残り香のように漂うのは、魔界の空気だ。
「やはりバフォメットは召喚済みか」
魔界とは悪魔や死霊の住まう世界。
彼らは肉体をこちらへ持ち込めず、人の身体を依り代として精神だけを現す。
つまり――山羊頭の怪物がそのまま潜んでいるのではなく、召喚者の姿でどこかに紛れているはずだ。
気配を辿りながら迷路のような水路を進むと、壁に人工的な文様が浮かび始めた。
「……山羊の頭と魔法陣。術式を水路全体に張っているのか」
奥へ行くほど、鼻を突く腐臭が強まる。
ドブの臭いに混ざり、肉が腐ったような匂いが漂ってきた。
「近いな」
小舟を降り、水路脇の小道へ足を踏み出す。
壁に手を添えて進むと、思った以上に広い。
上水と下水が轟音を立てて流れ落ちる場所もあれば、レンガ積みの高低差ある水路も現れる。
砕けたレンガの隙間から光が漏れていた。
引き寄せられるように覗き込むと――。
「あたりだ」
そこには山羊頭を被った司祭が立ち、血で描かれたグノーシア教の山羊の怪物へ祈りを捧げていた。
その周囲に集うのは、老若男女さまざまな人々。
皆、一様に恍惚とした表情で跪いている。
「さて……拠点は見つけたが」
悪魔に魅入られた人間はやがて理性を失い、狂気に呑まれていく。
狂気は伝染し、破壊と虐殺をもたらすだろう。
理性を残す間、彼らは悪魔から望みを叶える報酬を得ている。
それを自ら捨てろと説得するのは、不可能だ。
「なら……召喚者を捕まえるしかないか」
ただ殺しただけでは、精神が信者へ移るだけ。
退けるには同じ闇の力で強引に追い返すか、あるいは聖なる力で消し飛ばすしかない。
「……今の俺は形ばかりは治癒師だが、神聖属性は使えん」
暗黒スキルは神聖と相反する。
必要なのは神聖スキルを扱える治癒師か、祝福を受けた聖騎士、聖女――。
俺の知り合いにいる神聖属性となると……。
「こんな時、アイテールがいてくれればな」
まだ幼い少女だったが、秘めた魔力量は驚くほど大きい。
俺が補助した部分も少なくないが、治癒師としての才覚は確かだった。
「……まあ、追放されたオッサンを助けに来るわけないか」
今ごろ彼女は王都グランヴェルムで、アベルたちと頂上を目指しているはずだ――。
「よ、よびました??」
「うぉっ!」
背後から声をかけられ、思わず飛び跳ねる。
振り返ると、そこには見慣れた栗色のツインテール姿が身をかがめていた。
青を基調とした治癒師のローブ。裾からのぞく膝上のスカート。
どう見ても、あのアイテールだ。
「あ、アイテール!? なんでこんなところに」
「そ、それは、色々あって……で、でも、ギリアムさん、ギリアムさあん!」
今にも抱きつきそうな勢いで迫ってきたので、反射的に彼女の口を手で覆った。
「ふぁふいふるんふぇふふぁ!」
「……悪い。
奴らは敏感だ、まずは一緒に身を潜めよう」
ようやく口を離すと、アイテールは涙ぐみながら俺を見上げてくる。
「あ、無理やり塞いで悪かった。苦しかったか?」
「ううん、違うんです……。いつもの優しいギリアムさんだから……なんだか懐かしくて……嬉しくて……うぅ」
これまでアベルの下で張り詰めていた緊張が解けたのだろう。
アイテールは声を殺しながら、ぽろぽろと涙を零した。
「聞きたいこと、いっぱいあるんですからぁ……!」
「ああ、戻ったら話そう。拠点は掴んだ、一度戻って作戦会議だ。
下手に刺激すれば、今夜には街が――」
――火の海になる。
あの時の村のように。
慎重に動くしかない。
息を殺し、闇の中から、ただ首を狩るようにバフォメットを討つのだ。
「ギ、ギリアムさん? ど、どうかしたんですか?」
涙目のまま心配そうに見上げるアイテールに、慌てて言葉を繋ぐ。
「いや……俺のクランもある。街の護りは心配いらないと思ってな。
よし、撤退するぞ、アイテール」
「え、ギリアムさん、クラン立ち上げたんですか!? いいなぁ――!」
話好きの彼女の小さな手を握り、その場を離れようとした――その時、教祖と信者たちがざわつき始めた。
「……見つかったか?」
「ど、どどど、どうしましょう!?」
くそ。アイテールがいて助かると思ったが、今は戦うべきじゃない。
信者たちは武器を構え、陣形を作り始める。
だが――狙いは俺たちではなかった。
その証拠は、すぐに現れる。
「ギリアムさん、あ、あれを見てください!」
建物の隙間から覗くと、冒険者たちが教団に対峙していた。
戦士、魔術師、シーフ、治癒師……数は多い。
その先頭に立つのは、黄金の鎧に身を包んだ一人の剣士。
剣を抜き、天に掲げる。
「あいつは……まさか」
「我が名はSランク冒険者アベル=ウィング!
クラン『黄金の剣』のマスターである。
アザレア様の名の下、貴様らグノーシア教団とバフォメットを断つ!!」
【カクヨム】
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