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第10話 アイリスの病気とリリィの苦手

 王都からの馬車移動に加え、初めてのダイヤウルフ討伐。

 疲労が溜まっていたのか、アイリスは陽が落ちるとすぐに眠りについた。


 ハウス購入の当日にも拘らず、各部屋にはベッドまで用意されていた。

 ――さすがはリリィ、抜かりがない。


「それで、話というのは」

「ええ。アイリス様のご病気についてです。

 クランハウスを手に入れた今だからこそ、お伝えするべきかと」


 アンティーク調に整えられたリビングで、俺とリリィはテーブルを挟み、湯気の立つハーブティーを口にしていた。


 リリィはしばし視線をカップの中に落とし、沈黙ののち、慎重に言葉を選ぶように口を開く。


「いつ頃からか……今は十五歳ですので十年前でしょうか。

 先ほどのように、別の人格が表に出ることがあるのです」


「確かにさっきは、普段のアイリスとは別人のようだったな。

 風格があるというか、威圧感すら感じた」


「最初に人格が変わったのは五歳の頃。

 剣技の訓練で、一人目の師範を――文字通り叩きのめしました」


「五歳児が……師範を?」


 思わず目を見開く俺に、リリィは静かに頷く。

 幼少期から共に過ごしてきた彼女の言葉に偽りはないだろう。


「瞳の色が蒼から朱に変わり、威風堂々とした立ち居振る舞いをなさるのです」


「そういえば、ダイヤウルフ討伐のときも同じだったな……やはり戦闘時のみなのか?」


「私が知る限りでは。

 ですが、私はアイリス様から離れることは滅多にありません。

 起床、就寝、湯浴みも、常にお傍におりますから」


「まさに――おはようからおやすみまで、ってやつか」


「だからこそ、このクランハウスに到着したとき、戦闘でもないのに《《あの方》》が現れたのは意外でした」


「ふむ……その《《あの方》》とやらが、何者かを語ったことは?」


「いえ。戦闘時は戦いに専念されますので、言葉を交わすこともなく……先ほどが初めてです」


 なるほど。

 となると、正体は本人すら知らないということか。


「その方は、自らを《我》と呼び、強い自信と厳しさを備えたお方です。そして――これまで負けた姿を見たことがありません」


「天下無双、ってやつだな……。

 けど、なぜ今ここで顔を出したんだ?」


 顎を撫でると、夜のせいで伸びた無精髭のざらついた感触が指先に伝わる。


「分かりません。情報が少なすぎます。

 ただ……アイリス様ご自身は『優しき剣士』を目指すお方。

 人格が変わることにも何らかの意味を見出し、受け入れておられるようです」


「なるほどな……らしいというか、器の大きいやつだ」


 もしかしたら俺は、とんでもない少女をクランメンバーに迎え入れてしまったのかもしれない。


「ありがとう、リリィ。大事な話を聞かせてくれて。

 これからは俺も注意して見るようにするよ」


「いえ、全てはアイリス様のため。

 ……ギリアム様もお疲れでしょう。

 本日はお休みになられては?」


「ああ――その前に、俺からも話がある」


「話、ですか」


「このクランハウスのことだ。

 ……訳あり物件って言ったろ」


 ティーセットを片付けようとしたリリィの手が止まり、再び椅子に腰を下ろした。


「格安の理由、でございますね」


「ああ。どうやら夜になると――出るらしい」


「出る、とは……?

 まさか、Gと呼ばれる、メイド界隈で最も憎むべき存在でしょうか」


「いや、それも嫌だが――」


 俺が言葉を続けるより先に、リリィは察したように顔色を失った。

 白い頬が青ざめ、桜色の唇が小刻みに震える。


「ゆうれ――」

「おおおおお、思い出させないでください、ギリアム様!」


 椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、リリィが俺の隣にすり寄る。

そしてぎゅっと腕を絡ませ、無理やり平静を装った。


「ど、どうした?」

「……準備でございます」


 言葉こそ冷静だが、視線は定まらず、口元は引きつった笑み。


 ――なるほど。お化けの類が苦手なのか。

 あの冷静沈着なリリィが。


「夜な夜な叫び声が聞こえたり、誰もいないのに足音が響くんだとよ」


 管理している冒険者ギルドの職員も言っていた。

 どうやら本当らしい。


 リリィは返事をしない。

 ただ、ぎゅっと俺の腕を握り、さらに体を寄せてくる。


「モンスターのゴースト類ではないらしい。

 お祓いをしても消えず……おそらく過去に住んでいた人間の怨念が――」


「い、いやああ!!」


 ついにリリィは俺の胸に顔を埋め、小さな体を震わせた。


「す、すまん……そこまで苦手だとは思わなかった」


「え、ええ……古い屋敷に住んでいたもので……どうにも慣れなくて」


「まあ、そういうわけで格安だったんだ。

 夜な夜な話しかけられて眠れず、購入者はすぐに手放すらしい」


「じゃ、じゃあ今日から私……眠れません……。

 い、いっ、一緒に寝てください!!」


「アイリスと一緒じゃ駄目なのか?」

「ア、アイリス様は三秒で眠ってしまうんですよ!」


 ――そんなに寝つきがいいのか。


「とはいえな……俺は良くても社会的にだな」


 この密着っぷりは、さすがに色々と誤解を招くだろう。


「で、ですが、ギリアム様……い、今もそこに白い何かが見える気が……」


「そんな、都合よく出るわけ――」


 リリィが指さす方を振り返ると、アイリスの部屋の扉がゆっくりと動いた。


 閉めたはずなのに、軋む音を立てて開き、半透明の“何か”がするりと滑り込んでいく。


「ア、アイリス様……!」


 悲鳴のような声をあげるリリィ。

 震えた声はかすれて、涙目のまま俺を見上げてくる。


「任せろ」


 暗黒騎士である俺なら、死に近い存在の扱いには慣れている。

 すぐに立ち上がろうとした――が。


 ずっしりと重い感覚が体にまとわりつき、動きが鈍る。


「……悪霊の呪いか?」


 金縛りかと思ったが、視線を落とすと答えは明らかだった。


 普段は氷の女王のようなリリィが、子どものように俺にしがみつき、必死に震えているのだった。

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