第十話:誕生日パーティー①
会場の喧騒が遠い幻聴のように響く。
色鮮やかな装飾も、楽しげな音楽も、リゼットの心には届かなかった。
隣で無邪気に微笑む弟、エリックの手を握りながら、彼女は何度も、何度も、視線を会場の隅へと走らせる。
そこには、黒い騎士の盛装に身を包んだディオンの姿があった。
彼の無表情な顔はいつもと変わらない。だが、その視線が、一瞬たりとも自分から離れないことを、リゼットは知っていた。
(ディオン…)
昨夜の悪夢が、彼女の脳裏をかすめる。血に染まった床。倒れ伏すエリック。そして、冷たく微笑む影。
ディオンの言った通り、ここに来るべきではなかったのだろうか。私の予知夢が、この幸せな時間を破滅へと導く呪いなのだとしたら…。
不安に押しつぶされそうになるリゼットを、エリックが心配そうに見つめる。
「姉上、どうしたんだい? ケーキが運ばれてくるよ!」
エリックの言葉に、リゼットは無理やり笑顔を作った。
騎士団盛装の窮屈さが、ディオンの心に張り付くような重圧感を増幅させる。
彼の視線は、会場の中心にいるリゼットに釘付けになっていた。
(リゼット様…)
昨夜の予知夢。そして、リゼットの過去の予知夢が、かつて自分を記憶喪失に追いやった事故に繋がっているという事実。アルフレッド殿は、これを「未熟な感情」と一笑に付すだろう。
「ディオン、持ち場を離れるな」
騎士団長のアルフレッド・ハワードの声が、冷たく響く。彼はディオンに、会場の隅にある扉の警備を命じた。それは、メインの出入り口からは遠く離れた、目立たない場所だった。
「…承知いたしました」
ディオンはアルフレッドの指示に従うしかなかった。
だが、彼の勘が、この配置が意図的なものであることを告げていた。
この会場のどこかで、何かが起きる。
そして、その瞬間を、自分は見逃すわけにはいかない。
リゼットの後ろに控えるイヴェットは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
しかし、その内心は、嵐のように荒れ狂っていた。
(もうすぐ…)
厨房へと向かった協力者からの合図を、イヴェットは待っていた。
誕生日ケーキに仕込まれた毒。それが、この華やかなパーティーを、悲劇へと変える最初の一歩となる。
リゼット様は、不安そうに周囲を見回している。
そして、その視線の先には、ディオン・ノックスの姿があった。
(ごめんなさい、リゼット様。あなたをこんなにも苦しめることになってしまった)
リゼット様への愛情と、家の再興という使命。
二つの感情が、イヴェットの心を激しく揺さぶる。
だが、もう引き返せない。
全ては、没落したフォール家のため。そして、ヴァルガスとの同盟を強固にするため。
イヴェットは、リゼットの冷たい手に、そっと触れた。
「大丈夫でございます、リゼット様。もうすぐ、お祝いのケーキが運ばれてきますよ」
アルフレッドは、会場の警備状況を静かに見渡していた。
すべては計画通りに進んでいる。
レオンハルト将軍の指示通り、ディオンをメインの警備から外した。
あの男の過剰な忠誠心は、私の邪魔になる。
(ディオン、お前はまだ、真の正義を知らない)
国を強国にするためなら、いかなる犠牲も厭わない。
それが、ヴァルガスとアークランドの間に真の平和をもたらす唯一の道だ。
リゼット王女の予知夢という不安定な力に頼ることなく、強大な軍事力を持つヴァルガスと手を組むこと。
それが、私の信じる正義だった。
「殿下、お誕生日おめでとうございます!」
ケーキが運ばれ、エリック王子が拍手喝采を浴びる。
会場は、歓喜の渦に包まれていた。
そして、その瞬間。
厨房から運ばれてきたケーキの隣に、もう一つのケーキが置かれていた。
「姉上、見て! 僕のケーキだ!」
エリックの声が、広間に響き渡る。
しかし、そのケーキの上には、毒が仕込まれた装飾が、不気味に輝いていた。




