010_登山者
男1「今、アパートに入っていった登山者風の男は、マル対の一階上の部屋に入った」
路地裏に停車した車の中。隠れ家を監視している警察公安課の刑事が携帯電話に向かって報告を行っていた。
男1「マル対とは無関係と思われる。マル対の部屋には異常なし。状況報告終わり」
電話を終え、飲みかけの缶コーヒーに手を伸ばした。
男2「いつまで監視なんですかね。早くとっ捕まえれば良いのに」
男1「サイバー班がいろいろ動いてるらしい。まあ、俺らは指示が来たら動けば良いよ」
車の横を二人組の通行人が通り過ぎた。
男1「……なんか、人が多いな……」
ついさっきも人通りがあった。ただの住宅街のはずだが……
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リン「やっぱり、この見方が一番堪能できるですな」
リンはご満悦だった。
隠れ家に籠城して数日。リンはこの引きこもり生活中に、アカネの表チャンネルと裏チャンネルを交互に視聴して、そのギャップを堪能する、という楽しみ方を開発していた。
この方法は、世界で自分しか出来ない。
リン「デマゴーグの方の動画数が多くて、バランスが取れないところが難点ですが……」
リンはもう何週目か分からない動画リストを、もう一度再生した。
永久に見続けられる自信がある。
リン「……もっと見ていたかったな……」
つい涙がこぼれそうになったが、頭を振ってそれ以上考えないようにした。
パソコン横のチョコレート菓子の袋に手を伸ばす。しかし、袋は空だった。
リン「むー……もうちょっとストックしとけば良かったです……」
警察の監視下に入ってから、一度も外出していない。そろそろ食料ストックが尽きる。
コンビニに行くくらい見逃してくれるだろうか?いきなり逮捕はなくても、任意同行くらいは求められるかも知れない。
自分の対人スキルで上手くかわせるだろうか?キョドって一発逮捕されないだろうか?アカネが一緒なら……
もう一度頭を振って涙を引っ込める。
リン「もう5日……ですね……」
アカネが隠れ家から出て行って、5日になる。
リン「ふふ……我ながら、良いタイミングでケンカしたです。
あれなら、警察はアカネの存在に気づいていない……と、思うです。
ボクの一生で一番のファインプレイ、です」
良かった。本当に良かった。アカネが無事。それは何にも代えられない。
でも……
リン「あれが最後になっちゃったけど……」
ひどいことを言って、アカネを傷つけた。謝りたい。
許してもらえなくても、もう一度会って……
リン「……」
ボイスメッセージは聞いてもらえただろうか?
もっとちゃんと言えば良かった。ちゃんと謝れば良かった。
もっとちゃんと、感謝を伝えれば、良かった。
リン「あ、これ、ダメなやつ……」
涙がもう、引っ込まない。
リンは手で顔を覆った。
その時だった。
ガシャーン!
窓ガラスが割れ、角張った大きなリュックが飛び込んできた。
そして。
アカネ「この、ばかリン!
電話出ろ!」
登山ウェア姿のアカネが、割れた窓から隠れ家に入って来た。




