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大布干し

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 う~ん、こうしてみると、この街並みもそこかしこで太陽パネルを見かけるようになったと思いません?

 ド素人の意見としては、陽がのぼってから沈むまでに得られる電力で、私たちの生活で使う電気をどれほどまかなうことができているんでしょう?

 ほら、夜になると家の人たちが帰ってきて、いろいろ家電を使うだろうから電力量が増えがちになるでしょう? それでもし昼間分を使いきっちゃったらどうなるのかなあ、と。


 ――そうしてひとつに偏ると危ないから、いくつもの予備や別の電力でカバーしている?


 う~ん、まあそうですよねえ。一個やられて全滅しちゃうとなると、安全性を担保できませんし。もし代用がきくものだったら、数用意するのがスジというものでしょう。

 しかし、世の中には代えのきかないオンリーワンもあるものです。なにが、といわれたら色々浮かぶと思いますが、まずピンと来るといったら、先に挙げた太陽でしょう。

 太陽の力はすさまじく、地球の位置が現時点からちょっと近くても遠くても、我々はこうして生きていられなかった可能性が高いのだとか。そうなると太陽を特別視する古来の考えも、自然なことだったかもしれませんね。

 その長い歴史ゆえか、太陽をめぐった不思議な話は枚挙にいとまがありません。

 私の地元にも、太陽関連でちょっと不思議な話が残っていましてね。その話、耳に入れてみませんか?


 天日干し、というと布団から干物まで幅広く使われている干し方でしょう。

 太陽の光はその紫外線効果によって菌の繁殖を防ぎ、菌そのものも殺しうる力を持っている。科学的にそれらが分かっていない時期であるなら、病の元である邪気を払っているととらえられたこともあると思います。

 その邪気払いに関し、私たちの地元で行われていたのが「大布干し」と呼ばれる風習なのです。

 一家に一枚、家の壁面を覆えるほどの大きな布を用意し、それぞれの集落の隅や小山の上など見晴らしのいいところに長い竿を渡して、日中の太陽光を当てるんです。


 理由としては、壁面への「娯楽」のためらしいですね。

 この陽光を浴びた布を、家の壁面へしばらく張り付けてあげるんです。西向きの壁は夕陽ばかりを浴びるから、朝日を多く含んだ布を。対する東側の壁には、暮れかけの陽の光を含んだ布を。

 ほら、火照った肌に冷たい手ぬぐいを当てると、気持ちいいじゃないですか? けれど、自らの手でそれができる人間と違い、彼ら家屋は決められた場所へ立ち続け、決められたものを受け入れ続けなければならない。

 それはあまりに哀れだから、自分では味わえないものを用意してあげる。日ごろお世話になっているものゆえに、お礼を兼ねて。

 気遣いととるか、おせっかいととるかは人によると思いますが、私個人としては悪くない考えだと思いますよ。誰だって気分転換はしたいと思いますしね。

 しかし、その大布干しは現在だと行われていません。そのきっかけと伝わっているのが、次のようなできごとですね。


 江戸時代の初期、というのが有力ですが伝聞なので、ほんとのところは分かりません。

 集落が過去最高の人口を迎えたころ、大々的に大布干しが行われた日があったんですね。

 相応に風の出ている日だったようで、高所から見下ろしたとき、布たちが一斉にたなびく様子は壮観だったと伝わっています。

 しかし、布をたなびかせはじめてから、しばらくがして。

 空を横切っていく、大鷲の姿があったといいます。地上から見る分には小さかったというから、それなりの高空を飛んでいたのでしょう。

 その大鷲が、ちょうど空の太陽と重なるあたりで、急に身をよじり始めたんです。

 墜落はしませんでしたが、飛ぶ姿勢はおおいに乱れて、ふらつきながら先へ先へ進んでいきます。

 その際、太陽の光のもとに散った大小の羽たちは、一時的に地上をかげらせるほど盛大な数だったとか。


 それらの羽は、まるで渦へ飲み込まれるように空を巻きながら、集落のほうへ落ちてきます。ちょうど、大布干しがされているところ目がけてですね。

 そうして近づいた羽根の一枚一枚は、おのずと散っていき、たっぷり干している布の一枚一枚に乗っかっていきました。

 布一枚ごとにどれだけ羽根が乗っかるかは、それぞれによって差はあったといいます。しかし、それらの羽根は一片たりとも地面へ落ちることはなく、布たちの上におさまったのだとか。

 そうして、すべての布が羽根を乗せきった直後。

 竿を渡していた地面が大きく口を開き、羽根のついた布たちを竿まるごと、その裂け目から飲み込んでしまったのです。


 揺れを伴わない、唐突な地割れ。それはおよそ人々の知る現象ではありませんでした。

 あまりの不意打ちに、近辺の通行人や建物まで瞬く間に飲み込まれ、その割れ目もすぐさまおのずと閉じあわされ、彼らの消失がなければ見間違いか何かと思われたことでしょう。

 このことがあってから、同じような事態が起こることを防ぐため、大布干しはなくなってしまったといいます。おそらく、布を干され続けていることに不満を持つ、竿近辺の地面たちが腹を立てたんじゃないかと私は思っているのですが……今度は壁面たちですね。

 大布干しがなくなり、気分転換できる機会がなくなった。

 それがまた長い年月を経て、機嫌を損ねるときが来てしまうんじゃないか、と。

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