表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

バクローの困りごと


 イチコよりも年長に見える軽ワゴン車は、バクローの運転で案外軽快に峠道を走った。ベリーバレー支所から遠ざかるにつれ、イチコはうれしいような、わびしいような気分に襲われた。あの事故以来、気分の浮き沈みが激しく、突然涙ぐんだり黙り込んだりしてしまう。自分自身を制御不能なイチコに、バクローは余裕の運転ぶりで話しかけてきた。


「あのな。べつにアンタをさらっちまおうってんじゃないんだから、そんなシケたツラすんなよ。せっかく土台はメンコイのに、もったいないだろ、ニコッと笑ってみな」


「よそ見しないで。ちゃんと前、見ていてください」

「あのな。言っとくけどオレはかれこれ七十年も運転してきたんだ、けっこう腕はいいんだぜ」

「だって。忘れちゃったんじゃないですか?」

「忘れたのは発進のやり方だけ。つうか、マニュアルが邪魔したんだな」

「マニュアルって?」

「知らんか?クラッチ踏んでギアをローに入れるんだ。ちょっとずつ離しながらアクセル踏んで走り出す。セコンド、サード、トップに上げたら高速で走れるのさ」


「それを、左手と左脚でやるんですか?」

「決まってるだろ」

「それって、忙しすぎないですか?いまのわたしには、全然ムリだし」

「そりゃ、忙しいさ。けど、楽しいんだな。アンタもケガ治ったらやってみな。丁度いい具合に手足が長いから、たぶん向いてると思うぜ」

「楽しいんですか?マニュアル車って。面倒くさいとか疲れるとか、聞いたことはあったけど、楽しいなんて初耳です」


「楽しいもんだったと、オレも最近気づいたんだ。こないだ免許の更新をしたとき、いろんな検査も受けた。頭の中をグリグリと掻きまわされたみたいだった。家に帰ったらぐったりして丸々一日寝ちまって、おんなじ夢を何回も見た。年食ったいまのオレが十八のときみたいに、マニュアル車で免許の実技試験を受けて、合格した夢だった。


 昔やったみたいに、ビュンビュン飛ばして走りまわったぜ、うれしくてな。目が醒めてもシフトレバーを握った感触が左手に、やけにくっきり残ってた。左脚はクラッチを踏んでる感じがまんまあって、特に膝がびりびりした。膝はオレの弱点だから、長距離ドライブしてクラッチ踏みっ放しだった後は、いつもびりびり痛かったのを思い出した。そんな調子でこの二週間ばかり、ずっとアタマの中でマニュアル車を走らせていたんだ」


「はあ」

 話に乗り切れないイチコの応答ぶりには委細構わず、バクローの弁舌はますます熱を帯びた。

「…なもんで、クラッチとシフトレバーのないこいつに乗ったとき、アタマの中の配線がちっとばかりこんがらがったのさ。わかるだろ?」

「はあ。どうでしょうか」

「わからんか?」

「どちらかと言えば」

「そうか。まあ、そうだろうな。ネエちゃん、アンタは愛想なしだが、ウソもない子のようだ。そりゃ、なかなかわるくないぞ」

「わたしの名前はイチコ・フォレスト・ウェットフィールドです」

「なんと、長い名前だ。イチコちゃんでいいな?よし、オレはこれからマニュアル車に乗りに行く。なので、イチコちゃんも行くんだ」


「はあ?マニュアル車ですか、どこへ?」

「郊外の知り合いに預けたんだ。だいぶ前だが、たぶんまだあるだろ」

「はあ?前もって連絡するとかした方が、よくないですか」

「いんや。連絡はしない。不意打ちで行く」


 キッパリと言い切るバクローに気圧され、イチコはしばし黙り込んだが、ふと、気づいて尋ねた。

「そういえば、もうシティから出たんですか?どこのゲートから?」

「あのな。大声じゃ言えんが宅配業者の軽ワゴンにとっちゃ、ゲートなんてものはないも同然なのさ。宅配荷物の数は増える一方だから、もはや日常的にフリーパスなんだ。このクルマのナビは、ゲート以外の抜け道だってゴマンと知ってる。頼りになるぜ」


 ついでに、気になっていたことを踏み込んで尋ねた。

「バクローさんのお仕事は運送業ですか?」

「いんや。このクルマは知り合いからちょいと借りた。オレは馬喰だ」

「はあ?ばくろうって、お名前でしょ」

「ひい祖父さんの時代あたりに、馬喰をやっている家だからバクローって名字になったらしい。だからオレは、バクローという家に生まれた馬喰なのさ」


 さっぱりわかった気がしないと思いつつ、それでもイチコはさらに尋ねた。

「はあ。ばくろうって、どんなお仕事ですか?」

「大昔は家畜全部だったが、近年はもっぱら馬の目利きだ。競走馬の値打ちを測って決めるんだが、やつらが来てからはやってない、というか出来ないことになっちまった」

「やつらって?」

 一応訊きながらもイチコは、その答えはわかった気がしていた。


「“おっかさん”だかスーパーなんとかだか、調子こいてふざけた名乗り方をしてるやつらだ。一瞬で新馬の特徴やら弱点やら、気性まで見抜いて、スパッと値段をつけやがる。そいつがまたやたらとピッタシ、当たってるんだよな」


「それ、“ママン”と呼ばれてるスーパーAIのことですね。ちなみに、人称はやつらじゃなくて、やつです。大勢いるみたいな感じするけど、人格としてはひとりなので。“ママン”はわたしの上司でもあって、勤務中はずっと監視されてるみたいでした」


「そうなのかい?けど、オレにとっちゃ、やっぱりやつらだ。ママンだのおっかさんだのって感じは、全然しないからな。なんたってやつらは、ニッポン国からもらったオレの馬喰資格を取り上げちまった。必要ないとかぬかして、馬喰っていう職業自体をないものにしやがったんだ」


「はあ?それって、どういうことですか?」

「つまり、こういうことだ。職業はなにかと訊かれたら、いまだってオレは馬喰だと答える。しかしもう組合はないし、どこからも仕事の依頼は来ないんで、労働の実態はない。当然収入もナシだ。


 それでもやっぱり、オレは馬喰だと名乗る。引退したつもりはないからな、いろんな書類の職業欄にも書く。それがやつらにとっちゃ、架空の職業に就いていると自称して申告も納税もしない、怪しからん最下級国民だってことになるのさ」


「最下級国民、ですか?」

「最近の役所じゃ、言わなくなったか?昔はちょいと流行りかけたんだがな。富裕層や有名人は高額納税者だから、文句なしに最上級国民なのさ。だけどオレみたいな無職の年寄りとか、ネイティブニッポン人の血を引くミナシゴなんかは、最下級国民てわけだ」

「それ、わたしだわ。ミナシゴって孤児のことでしょ。わたし、最下級国民だったんですね」

「イチコちゃんの半分は大陸人なのかい?」

「父親が。とっくに自分の国へ帰ってしまったみたいですけど」

「ほう?」

「よく知らないんです、だからミナシゴ。そっか。最下級国民なのか」


 いささか興奮気味にサイカキュウコクミンと繰り返すイチコのポケットの中で、スマホの着信音がリンリンと鳴った。

「おお、懐かしいな。その音は黒電話のベルじゃないか、昔々の」

「そうなんですか?珍しい音だと思ったんです。あ、ケイシーだ」

「お。カレシかい?オレのことは気にせんで、喋りな、ほれ、早く」

 バクローに言われるまま、イチコは通話ボタンに触れた。


「ハイ、ケイシー」

「イチコ。怪我の具合はどうだい?移動中なのか?運転してないよな」

「心配しないで。運転してるのは馬喰のバクローさんという、最下級国民のオジサンだから」

「サイカキュウコクミン?ばくろうのバクローさん?」

「そうだよ。バクローさんによれば、わたしもケイシーも最下級国民の仲間だって。半分ネイティブのミナシゴだから」

「へえ。面白いこと言うオジサンだな。どんな人?」


 イチコはスマホのカメラをバクローの横顔に向けた。バクローは大仰にニヤリと笑ってウィンクした。

「やあ、ケイシーくん。アンタのイチコちゃんはいい子だな。オレが六十年若かったら横取りしたかも知らんが、アンタもイケメンだからちっと無理っぽいな」

「どうも、バクローさん。横取りは絶対にダメです、諦めてください」

「おお。いい返事だ、なあイチコちゃん」

 バクローはさも愉快そうにワハハハッと笑い、ふたりもつられて笑った。軽口の応酬で一気に場の雰囲気がほぐれ、イチコはスマホをグローブボックスの上に据え置いた。


「楽しそうだな、イチコ。笑顔なんて久しぶりに見た気がするよ」

「わたしも久しぶりに笑った感じする。なんたって、バクローさんが面白すぎるんだもの」

「その、ばくろうのバクローさんとは、どういう意味なんだろう?」

 そこでイチコはケイシーに、ベリーバレー支所で出会ってからバクローと交わした会話のあらましを、かいつまんで伝えた。

 バクローの名の由来、マニュアル車を運転する楽しさ(心配かけたくないと思いAT車の操作をど忘れした部分は割愛した)、これからその実技を見せてもらうこと。


「ケイシーくん。暇だったらアンタも来ないか?きっと気に入るぜ」

「マニュアル車に乗ってみたいのはやまやまですけど、ボクがいま居るところは北方の国境付近なので、ちょっと遠すぎますね」

「なんとまあ。そんな僻地でケイシーくんは何をやってるんだい?」

「ボクは医者になりかけている学生で、実地研修中です」

「なんと。いずれは上級国民の仲間入りじゃないか、大したもんだ」

「上級国民なんて、ボクは全然ガラじゃないですよ」


「ケイシー、なんか疲れてるみたい、大丈夫?」

「パイプラインで火災があって、二日間も燃えたんだ。怪我人が次々運ばれてきて、眠る時間もなかった。やっと鎮火して解放されたところだ」

「シティではそんなニュース、やってなかったよ。“ママン”でもすぐ消せない火事があるなんて、ニュースにならないのかな。ねえケイシー、研修生がそんな危ない現場へ派遣されるって、ふつうじゃない気がする」

「そんなこと、言ってもしょうがないさ」

「わたしのせいなの?わたしがドクターギョートクを怒らせたから?」

「それだけど。オレ、養子縁組の解消を申し入れることにした。ひと眠りしたら、手続きを始めるつもりだ。だからもう、クヨクヨするなよ。ギョートクファミリーとは縁が切れるんだ、だから、もういい…」


「ケイシー、マズイんじゃないの、養子でなくなるなんて」

 しかしイチコの問いかけにケイシーからの応答はなく、その姿も画面から外れた。映っているのはシーツらしき布地のうねりばかり、イビキ混じりの寝息が聞こえてきた。

「なあイチコちゃん、ケイシーくんは相当くたびれてるぞ。このまま寝かしてやりな、ていうか、もう寝ちまってるんじゃないのか」


 ケイシーは寝返りを打ったらしく、手に握ったままのスマホのカメラがその横顔を捉えた。深い眠りに落ちたその表情の無防備さに、イチコは胸を突かれた。見てはいけないものを見てしまったような気持ちと、ずっと見守っていたい気持ちとがせめぎ合った。


「たしかに、よく眠ってます。初めて見ました、ケイシーのこんな顔」

「ホッとしたんだろ、アンタと喋ったから」

 イチコはそっとスマホの通話を終えた。

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ