行徳の森
ドクターギョートクと最新AIである愛車のイブリンは、巨大な砂嵐の間隙をくぐり抜け、ポプラの大樹が立ち並ぶギョートクの森にたどり着いた。気まぐれに襲いかかる突風にも、車体が吹き飛ばされずに済んだのは、ひとえにイブリンが重かったからだった。
半年に一度、総合診療医として必要な医療機器を一切合切積み込んだAI車イブリンとともに、自ら“往診ツアー”と称する旅に出た。サッポロシティから遠く離れて点在する集落に住む農業と漁業の従事者たちや、専ら海岸線をガードする警備兵たちの医者として働くためだ。ドクターギョートクがライフワークとするこのツアーに襲いかかる困難は、砂嵐ごときにとどまらなかった。この程度で怖気づいてはいられないのだった。
それはともかく、今回の帰還を待ち構えたように降って湧いた苦情には、さすがのドクターギョートクも出鼻をくじかれた。積み重ねた豊かな経験知をもってしても、いささか手こずりそうで気が重かった。要するに、どう対処したものかハラが決まらなかったのだ。
起こっていることのあらましは大体予想がついた。これは、いわゆる家族のモンダイだった。ドクターギョートクにとっては最も苦手であり、直面することを避けて来た分野だ。
そのツケがついに回って来たのかと、あれこれ思いあぐねるドクターギョートクに、AI車イブリンがささやきかけた。その声色は、ドクター好みの甘いベルベットボイスに設定してあった。
「ドクター。保全課のパトロールEVが近づいています」
「乗員はだれだ?」
「イチコ・フォレスト・ウェットフィールドとドーリーです」
「そりゃよかった。願ってもない巡り合わせだ。もしかしてイブリン、キミが手を回してくれたのかい?」
「まさか。ドクター、わたしには手も足もないこと、ご存じでしょ」
「代わりに、とんでもなく高速回転するオツムがあるだろ。あー、ところでイブリン、今回の苦情対応はわたしとイチコとでどうにかやれそうだと思うのだが…」
「ドクター、わたしを置いて行かないで」
「しかしなあ、これはおそらくわたしと家族との、その、愁嘆場になりそうな気配がありありなんでね」
「ドクターのご家族ならば、わたしにとってもファミリーですわ」
イブリンの言い分はもっともだった。この“往診ツアー”の旅程には、ドクターギョートクがサッポロシティの内外に居住する三人の夫人たちを訪れ、合わせて十一人の子どもたちの成長ぶりを確かめるという、大いに有意義な目的もあったのだ。
イブリンと夫人たちは旧知の間柄であり、ドクターを巡る軋轢も含め、打ち解けたガールズトークを交わす仲でもあった。女同士はそれでいいのだが。ドクターギョートクは思うのだった。成人した子どもたちのうち、とりわけ男の子とその行状について、イブリンに知られたくない気持ちが働くのはどうしたわけだろう。
つまりはこの出来過ぎるAIに対して、自分には息子の出来の悪さを恥じ入る気持ちがあるのだと気づいた。どう足掻いたってこのAIには、なにひとつ隠しようがないのに。
ドクターギョートクはハラをくくり、リストバンド型タブレットにイブリンをダウンロードした。防塵コートを着込み、ゴーグルとマスクをつけて呼吸を整えると、だれにともなく芝居がかった気合を入れた。
「鬼が出るか蛇が出るか、いざ、参ろうぞ、レィディ」
リストバンドの中で、イブリンがくすくすと忍び笑いを堪えているような気配があった。
ドクターギョートクはまず、そこにあるべきものがないと気づいた。砂塵にもやったゴーグルごしであっても、彼の背丈より高い欅材の門柱を見落とすはずはない。しかしやはり、それはあるべき場所にないのだった。
木立に囲まれた車寄せには、新旧さまざまな型式のEV車が十数台も、乱雑に停めてあった。中でもとりわけ大きく無骨に過ぎる改造車が、不自然に傾いて見えた。ドクターギョートクはもしやと思い、近づいてその左前輪の下を覗き込んだ。
思った通り無骨に過ぎる改造車は、そのごつい左前輪で欅材の門柱を踏みしだいていた。頑丈なはずの欅材だが、二百年超の星霜を経てもろくなったところへ、この図体の改造車に踏まれたのではひとたまりもなく、無残にぱっくりと割れてしまっていた。
ドクターギョートクは呻きながら車体の下にもぐり込み、どうにか門柱の半分ほどを引っ張り出した。その際、地面から見上げた改造車の下回りのフォルムに既知感を覚え、そして気づいた。それは、かつてドクターギョートク自身が愛用していたランドクルーザーだった。
遥か昔のこと、“往診ツアー”のために購入した最初のクルマだった。イブリンを手に入れてからはすっかり無用の長物となり果て、その存在さえ忘れていた。子どもたちのだれかが使っているのだろうと、うっすら思った程度だ。
しかしなんとも迂闊なことに、だれがこいつを乗り回しているのか確かめる前に、失念してしまったのだ。子どもの頭数が多いと、どうしてもこんな不手際が起こった。どうしようもなく、避けがたく起こるのだ。
ドクターギョートクは、いまはっきりと悟った。こんなにも見苦しく無骨な姿に改造された彼のランドクルーザーで、行徳寺のシンボルである欅材の門柱を踏みつけ破壊したのは、第四子のデイブに違いないと。
連合国政府が政策立案と実行を一任しているというスーパーAIは、“ママン”と呼ばれているらしいが、その思考はちっとも母親っぽくなかった。子どもの数と両親の幸福度が必ずしも比例しない可能性を、まったく考慮してくれていないのだ。ドクターギョートクの場合はネイティブニッポン人だが、医者であるがゆえに十一人の子どもを持ってよしと、スーパーAI“ママン”によって認可されていた。
しかしそんなものは、特権でもステータスでもなんでもなかった。単なる嫌がらせか、パワハラ的難クセにすぎない。ドクターギョートクはホントのところ、そう思っている。しかしもちろん、口には出せない。
ドクターギョートクは欅材の門柱の残り半分ほどを掲げ持ち、微かな光にかざした。流麗な楷書体で行徳寺と墨書された文字が、辛うじて読み取れた。ギョートクファミリーの先祖が開いたこの寺の住職として、父親の代までは家族ともどもここに住んでいたのだ。
連合国政府によって歴史的価値のある建造物と認められた行徳寺は、解体を免れて周辺の森も残された。父親はこの処遇を大いに喜んだが、ドクターギョートクは手放しで喜べなかった。なにしろ、保存のためのメンテナンスと管理に関わる出費のすべてが、彼の肩にのしかかってきたのだ。
それでも彼は、長年にわたって重い負担に耐えた。行徳寺こそは自分たちギョートク一族が集うべき場所であり、アイデンティティの拠り所であると信じたからだ。いまや連合国政府によって分割統治されるに至ったこのニッポン国で、歴史的建造物を所有する一族であるというセレブ感が、捨てがたく誇らしかったのも事実だったが。
蛍光オレンジに輝く防塵コートを目印に(たぶんあれがドクターギョートクだと見当つけて)、イチコは行徳寺の車寄せのわずかな隙間に滑り込んだ。危うく、バカでかいタイヤをつけた改造ランクルの下にもぐり込みそうになった。なにしろ十数台ものクルマがデタラメに、バラバラと置かれて狭かったのだ。その有り様は、これから直面する事態のデタラメぶりを予告しているような乱雑さだった。
防塵マスクとゴーグルをつけたドクターギョートクは、いつもの眼光鋭いまなざしが見えなくて、イチコは内心ホッとした。値踏みされているような、自分が小さな子どもに戻ってしまったような萎縮感を、覚えずに済んだ。イチコとドクターギョートクは無言でうなずき合った。
イブリンが小さなリストバンドの中に収まって、控えめなのもよかった。自分よりずっと嫋やかな女の子っぽい物言いをするこのAIに、イチコはやはり気後れしがちだった。
イチコはドーリーに車内で待てと命じ、ホルスターから取り出した保全課支給の小型エアガンを構え、ドクターギョートクに小声で尋ねた。
「だれか出て来ましたか?」
「いいや。わたしもいま着いたばかりだ。ねえキミ、そんな物騒なモノは必要ないんじゃないか?」
「一応、規則ですから。なるべく撃たないでおこうと思いますけど」
本堂の脇に回り込み、周囲をチェックする。黄砂をかぶったおかげで生々しさが半減した子豚の残骸が散らばっていた。もともとは庭園であったらしい立木の根元の地面に、丈の高い草が密生して、その一部は雑に刈り取られた形跡があった。
保全課のウェブサイトで見た覚えのある特徴的な葉の形から、最近問題視されている新交配種の麻薬草だとわかった。マスクをずらして葉の匂いを嗅いでみた。ほのかに甘酸っぱい。本物の匂いを嗅いだことはないけれど、ウェブサイトの記述通りだった。
渡り廊下の軒下には、刈り取った草の束が干されてあった。閉じられた襖に顔を近づけると、隙間から漏れ出た煙に甘酸っぱい匂いが感じ取れた。イチコはドクターギョートクに向き直り、通告した。
「違法薬物と無許可で火気使用の疑いがあります。踏み込みますが、よろしいですね?」
ゴーグルの下でドクターギョートクの目が泳ぎ、一瞬、虚空に跳んだ。けれども、即座に立ち直ってイチコを直視した。
「どうだろうイチコ、ここはひとつ、わたしに任せてもらえないかな?」
「それはどういう意味ですか?」
「まず、わたしが踏み込む。わたしが話をする。連中を出て行かせる。キミは黙ってそこにいる。エアガンを見せてもいいが撃たない。補導も逮捕もない。連中が立ち去るのを見届ける。キミが到着したとき連中はすでにいなかった。そういうことにしてくれたら、申し分ないんだが」
今度はイチコの目が泳いで、迷った。しかしドクターギョートクの意向に反して、麻薬中毒者十数人を相手に大立ち回りをやってのける自信はなかった。勝てるとは、まったく思えない。迷うまでもなく、選択肢はひとつきりだった。
「お任せします、ドクターギョートク。でもエアガンは、あなたと自分を守るために撃つかもしれません、威嚇として」
「けっこう。それではいざ、参ろうか。レィディたち」
ドクターギョートクは襖に歩み寄って両手をかけ、大きく開いた。よく通る重低音の地声をさらに張り上げ、第四子の名前を呼んだ。
「デイブ。いるのはわかってるぞ。どこだ?」
本堂の内部は薄暗く、おびただしい煙と甘酸っぱい臭気が混じり合い、黄砂の嵐に負けるとも劣らない不快さに満ちていた。その昔は暖房用に使われていたらしい大火鉢の中で、麻薬草らしき枯れ草がくすぶり、低く流れて垂れこめる雲のような煙を、とめどなく吐き続けている。
やれやれ。
ドクターギョートクは、またも呻いた。こんな光景は前世紀のサブカルチャーを紹介する映像で散々見た覚えがあった。クサとケムリでトリップしてピース。いつの時代もハグレ者たちのやらかすことは似たり寄ったりで、オリジナリティがまるでないのだ。まったくもって、ウンザリする。
数十年前、彼自身の若かりし頃にもそれなりの悩みはあったし、絶望感も人並みに味わった。それでも。ドクターギョートクは断言する。ここまで浅はかな振る舞いに堕ちた試しは、ただの一度もなかったのだ。
それなのに。
この愚か者たちの群れの中にわが子がいるとは、とんでもない悪夢だ。慨嘆するドクターギョートクに、すぐ近くの足もとから不承不承の応答があった。
「オヤジ。戸、閉めてくれよ。ヤバイ砂が入るだろ」
ギョッとして目を凝らせば、垂れこめた煙の雲の切れ間に、蠢く人体らしきかたまりが見て取れた。見まわせば板敷きの床のそこかしこに、似たようなかたまりがごろごろといくつも転がっているではないか。ドクターギョートクは呆気にとられ、しばし絶句した。
かたまりの単位はどれも二体でひと組、中には裸体同士が隙間なく密着し、完全に一体化したと見えるものがあった。彼らの無我夢中から放たれる熱に気圧されたのか、はたまた妖しいケムリに何らかの作用を及ぼされたのか、百戦錬磨のドクターギョートクが小言ひとつ言えずに目を逸らした。
しかしながら大方のかたまりは、半裸か着衣のままでおざなりに腰部分だけを繋ぎ合わせているにすぎなかった。なんと横着な。ドクターギョートクは、みたび呻いた。それよりなにより、どうにも不謹慎な気がしてならない。
そんなのはセックスじゃないぞ。声を大にして言いたかったが、そこに至ってようやく、この場に直面しているのは自分だけじゃないことを思い出した。
怒れるドクターギョートクは、精いっぱいの猫撫で声で語りかけた。
「デイブ、このケムリはたぶん砂よりヤバイぞ。とにかくソレはもうやめなさい。保全課のイチコが、取り締まりに来てるんだ」
「イチコって?あー、ウチの養子にお迎えした優秀なケイシーくんのカノジョさんかよ」
言いながらデイブは繋がっていた半裸の女体を手荒く突き放した。あばら骨の浮いた腹部が露わになった。瘦せぎすの少女か萎びた老女か、どちらとも見分けがつかない。いずれにしても女性は深い陶酔状態にあり、意識がないようだ。その薬物中毒歴は相当に長く、深刻と思われた。
「なあイチコ、忙しいケイシーくんの代わりにヒマなボクとヤってみないか?だってあいつはバカ正直に何年も毎日SТ錠呑んでたんだろ…」
デイブが減らず口を言い終わる前に、イチコは動いた。大火鉢の中でくすぶる麻薬草に消火剤をたっぷりと噴射し、宣言した。
「連合国政府所有の歴史的建造物内に無断で侵入し、さらには無許可で火気と違法薬物を持ち込み、歴史ある寺院を火災の危険にさらした行為を厳重注意します。即刻、退去してください。なお、違法薬物は没収しますので、葉っぱ一枚であろうと持ち出しを禁じます」
締めくくりに、エアガンの撃鉄を高らかにカチリと鳴らした。
「チェッ、ここはボクの祖父ちゃんちだったんだぜ。なあオヤジ、この養子のカノジョで自分も孤児のネエちゃんに、この国では由緒正しいホンモノの市民が物事を動かすんだってこと、教えてやってくんない?」
「デイブ。イチコとケイシーが孤児になったのは、彼らの責任じゃない。ふたりとも他国の侵略行為による戦災ゆえの孤児であって…」
そこでドクターギョートクは、これ以上語り続ければ必然的に連合国政府とAI“ママン”を批判するに至ってしまうと気づき、口をつぐんだ。それでもなお腹の底から沸き上がり、溢れ出しそうな言葉の数々を、歯を食いしばって呑み下した。
その間にもイチコはキビキビと動いた。すべての襖戸を開けてまわった。麻薬草から発して充満したケムリを、有害物質をたっぷり含んだ砂嵐の勢いで追い出した。どちらがどれほどマシなのかは、神のみぞ知るというほかなかった。
そこかしこに転がっていた二体ひと組のかたまりがモソモソと動き出し、そそくさと退散の準備にとりかかった。その内のひとりが、デイブに突き放された後も昏睡から醒めない痩せっぽちの女体を、引きずるようにして連れ去った。
デイブはいたく不満顔だ。仲間だか子分だかタカリ屋だか、とにかく同行して来た者たちがだれ一人、自分の許可を求めようともせず、立ち去ろうとしていることにショックを受け、拗ねて、その怒りを父親に投げつけた。
「チェッ。だれがチクりやがったんだ、オヤジ、知ってんだろ?」
「チクリじゃない、苦情だ。お前たちが豚の血やら臓物やらで用水路を汚したから、迷惑を被った下流の農園主が当局とわたしに知らせてきた。わたしはここの所有者だからな、管理責任があるんだ」
「水なんてさ、放っとけば勝手に流れてキレイになるんじゃねーの」
「バカなことを。なあデイブ。豚肉が食いたかったらマーケットで調理済みの総菜を買いなさい。旨そうなのがいろいろあるだろ。間違っても豚を殺して食おうなんて、先祖返りしたみたいな野蛮なマネはしてくれるな。そんなことをする必要はないんだ。しかし感染症の危険はそこそこある。お前、あの豚を食ったのか?」
「まさか。あんなもん食うわけないだろ、気持ちわりぃ、ゲロしそうだ」
「なんだと?それじゃ、なぜあんなことを。殺して切り刻んで、どうするつもりだったんだ?」
「どうもしないさ。ただ殺したかった。ホント言うとヤリながら女を殺したかった。けど、さすがにそれはヤバイから豚一匹買ってきて、みんなで順番に刺した。ものすごく暴れやがったんで、こっちも血まみれになった。えらい大騒ぎだったけど、その後のアレはわるくなかった。てか、最高によかったぜ。オヤジも試してみれば、わかるんじゃねーの」
言い放つなり、デイブは身をひるがえして駆け去った。ほどなく、ランドクルーザーのエンジン音が響き渡った。懐かしいランクルの咆哮を聴いたドクターギョートクは、そのクルマに乗っていた当時、忙しさに追われて深く考えもせず下した決断を、苦い悔いとともに思い返した。
第四子のデイブだけが、政府から割り当て支給されたSТ錠をひどく嫌い、呑みたくないと抵抗したのだった。脅しても賺してもダメだった。
弱り切ったドクターギョートクは、まあいいか、と自分を納得させた。診療業務は忙しく、彼自身はまだ若いのに、子どもたちは次々と生まれて増え続けた。第四子だけにかまけている余裕はなくて、ファミリーの医療記録と医薬品残高をちょいとばかり改ざんした。造作もないことだった。結果、デイブはSТ錠を一錠も呑まずに今日に至っている。明らかに、連合国領サッポロシティの条例違反だった。
SТ錠を呑まなければ何が起こるか、どうまずいのか。憶測と噂話の類はワンサカあって囁かれ続けたが、正しいデータはどこにも示されていなかった。その当時はむしろ、呑み続けた場合に起こり得ると想定されることばかりがクローズアップされ、盛んに語られていたのだ。
いくぶん後ろめたい気持ちもあって、ほかの子どもたちには指示通りきちんと吞むように言い聞かせ、その管理を母親たちとイブリンに任せた。養子のケイシーを含め、デイブ以外の十人の子どもたちは、特筆すべきモンダイもなく、概ね順調に育っている。
と、今日までは信じていたのだが。
たったいま知った、第四子デイブの奇行と悪癖はドクターギョートクを打ちのめした。とりわけ、性的興奮と直結する攻撃性の発露をためらいもなく、父親である自分に語ったその口ぶりが気にかかった。醒めきっているようで、どこか助けを求めているような。
もうひとつ気にかかったのは、イチコとイブリンも聞いていたことだ。あまりの面目なさにドクターギョートクは、デイブの素行の悪さをすべて、例の麻薬草をはじめとする薬物使用のせいにしてしまいたかった。
空気を読んでドクターギョートクのきまり悪さを察したイチコは、素知らぬ顔でビジネスライクに告げた。
「不特定多数の侵入者はすでに立ち去りました。わたしも撤収します。あとはお任せしていいですね?ドクターギョートク」
「ああ。すぐに清掃業者を呼んでここをきれいにしてもらうつもりだ。その結果をハサムに伝えよう。今後の管理についてはこれから追々決めたいと思うが、いっそこの森を伐採してしまったらどうだろう、さっぱりしていいと思わないかい?」
「思いませんよ、ドクター。森がなくなって剝き出しの行徳寺なんて、サマになりません。わたしも出来るだけパトロールします。森はぜひ、残しておいていただきたいです」
イチコとドーリーを乗せた86号車が立ち去った後、ドクターギョートクは暫し放心の体で立ち尽くした。そのまま眠ってしまいそうだった。本当に眠りかけたとき、リストバンドの中のイブリンが囁きかけた。
「ドクター。お話ししなくてはならないことがあります」
「なんだい?その前置きは。発言をためらうとは、キミらしくもない」
「グートがいません」
「グート?ウチの九番目のチビのことかい?あいつならネムロの家にいたじゃないか」
「わたしのバックシートに乗っていました。ここまでは」
「なに?そのことを私に黙っていたのか」
「バッテリーを引っこ抜いてやる。グートはそう言いました」
「キミを脅したのか。やれやれ。その辺をうろついてるんじゃないか?」
ドクターギョートクは、車体に戻したイブリンの探知機能をフル稼働して、行徳寺の境内と森の中を探した。五歳になったばかりのグートは見つからなかった。さらにパワーアップして範囲を広げた。するとグートを示す赤い点は、ここから遠ざかってゆく小型車両と重なった。
「パトロールEVに乗ったのか、イチコの」
「パトロールEV86号車を追跡します」
「とんでもないやんちゃ坊主だな。だれに似たんだ?私か」
「ドクター。パトロールEVが停止しました」
「そりゃよかった。イチコが気づいて止まったんだろう」
「よくありません。路外に転落した模様です」
「なんだと?」
やがて当該地点に駆けつけたドクターギョートクは、崖下に腹を見せて転落している86号車を発見したのだった。