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砂嵐の街

この作品は2017年にカクヨムで公開した「森の中へ」に加筆、一字だけ変えて「森の中で」と改題したものです。ワタクシのアタマの中にこびりついて消え去らない“ちょこっと未来”シリーズ発端の一作目です。そういえばカーリーやリュウトの前に、イチコとケイシーがいたのだと気づきました。わりと気に入っているので、こちらでも公開したいと思います。


「なーイチコ、オレの、アイジンに、なーれよっ」

 いつものデタラメなラップ調で足踏みしながら、グートは甲高い声を張り上げ繰り返した。なんとも可愛げがなかった。たった五歳の子どもだから。ケイシーの義理の弟になった子だから。割り引いてみたけれど、やっぱりちっとも可愛くないのだ。


 グートの容赦ない足踏みが、運転席の背もたれにバンバン響いて視界を揺らした。飽きもせず、イチコに会うたびアイジンになれよと口にするが、この子はいったいどこでこんなワードを覚えたのか。イチコはグートの母親を知らなかった。父親のドクターギョートクは気さくな人物だと思うが、よく知っているとは言えない。

 ギョートク家そのものがNGワードナシ、悪ふざけもフリーパスの開放的な家庭なのだろうか。孤児育ちのイチコには、考えてみたところで想像もつかない。


 数えたらそのときが、十七回目の『アイジンになーれよっ』だった。イチコの耳は聴いたが、意識にはかすりもせずにスルーした。なにしろ、手いっぱいだったのだ。イチコが運転するパトロールEVは黄砂の嵐の直撃を避けるべく、視界がほとんどゼロメートルの公道を右往左往していたのだ。


 サッポロシティ市民生活保全課所属のパトロールEV86号車は、もちろん自動運転システムをフル稼働していた。赤外線センサーを駆使して、安全走行を確保しようと努めた。走行距離二十万キロ超の老体ではあったが、パトEVはそのまま支障なくシティへ帰りつけるはずだった。

 グートがあんなことさえしなければ。


 二〇三〇年五月初旬の朝だった。

 北方連合国領ホッカイドー州サッポロシティの空は清々しく晴れ渡り、澄んだ五月の風が爽やかに吹き抜けている。ただしそれは、上空二千メートル以上の高所に限ってのことだ。


 二千メートルより下るにつれ、風は大陸の砂漠地帯から砂を巻き上げ、たちまちにして風景を煙らせた。とりわけ地表付近では、砂漠の黄砂と都市部の乾いた汚染土や排ガスを混ぜ合わせ、新たなる手ごわい有害物質を生成して大気中に放ち、縦横無尽に舞い踊らせている。


 有害な微粒子を含んだ砂は、幾重にも渦を巻いてサッポロシティの人々の暮らしを包み込んだ。どこへも逃れようがなく、どうにも避けようがない砂嵐の襲来だった。ただひたすら閉じこもり、耐えてやり過ごすしかなかった。


 十八歳になったイチコ・フォレスト・ウェットフィールドは、サッポロシティ庁舎内の市民生活保全課の窓から外の砂嵐を眺めていた。あと五分、いや三分待てばこの厄介な砂嵐も通り過ぎ、明るい陽ざしを拝めるのではないかと、ひそかに期待して。


 しかし、さっぱりそうはならなかった。今日の砂嵐はいつにも増してしつこく吹き荒び、収まる気配をまるで見せない。そのうえ天気図によれば、砂嵐は次第に東の方向へ移動してゆく見込みだった。


 通報を受けたイチコが、これからパトロール業務に出向く予定の目的地は、サッポロシティの中心部から北北東の方角へおよそ九十キロの距離にあった。つまり、下手をすると抜きつ抜かれつ砂嵐を引き連れ、移動してゆく破目になりそうなのだ。


 イチコはその旨と事の次第を入力して、北方連合国所有のスーパーAI、通称“ママン”に予定変更のお伺いを立てた。即座に返答があった。


『予定変更願いを却下する。ナビゲーションシステムに従って行動する限り、砂嵐は保全課員業務の脅威とならない』


 添付のロードマップに辿るべきルートが示され、目印となるポイントに通過すべき時刻が記されてあった。それに従って移動すれば砂嵐の直撃を避けられるという、“ママン”の予測だった。過去の的中率はもちろん100%を誇っている。


 “ママン”が予測した出発時刻を見るなり、イチコは文字通りに跳び上がった。

『九時七分~十六分』

 現在時刻は九時十分、猶予はたったの六分間しかない。デスク下に伏せて待機する大型ミックス犬のドーリーは、気配を察知してすでにダッシュの構えだ。イチコは必要な装備をつかみ取りながら、出動の号令をかけた。

『ドーリー、GO』


 ゴールデンレトリーバーの体格と尻尾に、ウオルシュ・コーギー・ペンブローグの長い耳と短めの逞しい脚を持ったドーリーは、艶やかなゴールドの毛をなびかせて疾走した。イチコとつかず離れずの間を保ってオフィスを駆け抜け、地下駐車場へ下りるシュートに飛び込んだ。


 数十台ものパトロールEVがずらりと並んだ地下駐車場を、ドーリーは一直線に駆けて、中の一台の脇にピタリと止まった。なんら目印などなかったが、それはたしかにイチコが乗るべき86号車だった。


 イチコはパトロールEV86号車から充電ケーブルを外してドーリーを乗せ、自分も運転席に滑り込んだ。自動的にエンジンがかかる。“ママン”の予測マップをEVにインストールしたところで、九時十五分。イチコの86号車は地下駐車場を飛び出し、公道に乗った。


 時刻は九時十六分に達した。後方の空は渦巻く砂嵐に覆われて暗いが、前方は仄かに明るさをとどめ、視界が開けていた。たしかに、前進を阻むほどの悪影響はなさそうだった。さすがは“ママン”、予測通りだ。ただし問題は、背後から迫りくるあの巨大な砂嵐を、脅威と思わずにいられるかどうかだ。


 四年前、十四歳の自分ならあの砂嵐のど真ん中へでも突っ込んで行ったかもしれない。そう思ってイチコは苦笑した。怖いはずのもの、そのすべてを怖がるまいと突っ張った、なんとも捨て鉢な子どもだった。

 ラインガード、ベアナックル、ストリート暮らし。わざわざ危険を選び取ったような日々を送っていた。思い返せば、いまこうして無事に生きていること自体が不思議だった。


 十四歳までひどく小柄だったイチコの身長は、この四年の間にスクスク伸びて、いまでは平均値の一六〇センチを超えた。リリックМのアドバイスに従い、連合国政府がネイティブニッポン人の子どもたちに配給しているSТ錠の服用を、やめたせいかもしれない。或いは、さほど影響はないのかもしれない。本当のところは、だれにもわからなかった。


 ともあれリリックМは、イチコを保護してくれた。子ども向けの給食サービスルームで久しぶりの食事にありついた十四歳の小さなイチコが、配られた錠剤を呑もうとしたとき、リリックМの手がやさしく押しとどめた。


 大陸から入ってきた感染症を予防する薬なので必ず吞むように。顔なじみのスタッフからそう聞かされていたイチコは、与えられるたびになんの疑いもなく、サクラピンク色の錠剤を呑んでいた。


けれどもボランティアらしい初対面のオバちゃんは、すべすべの柔らかな手のひらでイチコの手を包み、そっと錠剤を奪い取って代わりの粒を握らせた。わけがわからなかった。けれど、オバちゃんの手の温もりはわるくなかった。だからイチコはなにも訊かずに、錠剤を呑むしぐさで粒を口にした。甘い砂糖菓子だった。


 こうしてリリックМは、イチコが危うい状況にあった時期に、温かい保護を与えてくれた。イチコは救われた。しかし実は、リリックМ自身も救われたのだ。由緒正しいネイティブニッポン人の血脈と豊かな資産を保有するリリックМは、連合国政府から生涯に八人の子どもを持てる資格を与えられていた。


 八人の子どもを持てる資格って、なんなのそれ?

 その事情を知らされたとき、イチコが抱いた正直な感想だった。なんだかアホらしいような、それにも増して恐ろしいような気持になった。もちろん、口にはしなかったが。リリックМの困ったような笑顔と、釣り合わない真剣な眼差し。この件について深く知りたがることはタブーなのだと、イチコは悟った。


 ともあれ、イチコはリリックМの八番目の子どもとして、住民基本データに登録された。そして十六歳のとき、市民生活保全課の臨時職員となった。とりあえず、イチコがストリート暮らしに戻ってしまう心配はなくなったと、リリックМは喜んだ。比較的ラクで安全な市庁舎の職員になれたのだから、ネイティブニッポン人の血を引く子どもの身の振り方としては上出来だわ。そう言って、心から安堵した笑顔を見せた。


 サッポロシティ居住区域の車両出入り口にはゲートがあり、二十四時間監視されていた。しかしもちろん、パトロールEVはフリーパスだ。通過する間、パッチリと見開いた目でまっすぐにカメラを見るだけでいい。瞳の虹彩と顔立ちの認証が瞬時に行われ、イチコ・フォレスト・ウェットフィールドとパトロール犬のドーリーが、86号車に乗って区域外パトロールへ出動したと記録された。


 出動するときの緊張感とゾクゾク感を、イチコは気に入っている。保全課員としてのパトロール業務自体も、決して悪くなかった。シベリアガスのパイプラインを破壊行為から守るラインガードのバイトや、子ども同士が殴り合って見せるベアナックルに比べたら危険度はたしかに低い。けれどもそれは、いくらかマシな程度なのだ。


 イチコはラクで安全な職に就いたと信じ、喜んでくれているリリックМに、この事実は敢えて伝えない。話す気になれない。リリックМと母子関係が成立してからのイチコは、ひとつふたつと、小さなヒミツを抱え始めている。ガッカリさせたくないし悲しむ顔を見たくない、その一心だった。ただのやさしいオバちゃんだった頃のリリックМには、わりとなんでも話せたのに。あの頃が懐かしいような気がするのは、なぜだろう。思えば不思議なことだった。


 ゲートを出た後の公道沿いに、家並みはまったく見られなかった。住宅と呼べるような建物は、廃屋でさえも残されていない。サッポロシティは無用な広がりをカットされ、コンパクトに集約された都市になりつつあった。最大収容人口は三百万人と設定され、インフラ網の再整備が行われている。一般市民用居住区域の住人になるには厳密な審査があり、地図上に引かれた区域の境界線を絶対に越えてはならないのだった。


 ときおり公道沿いに現れる建物はむやみと大きくそっけなく、何かの工場に違いないと思われた。しかしどの建物にも、何の工場であるかを示す看板の類はまったく見当たらない。何度もこの道を通っているイチコにも、なんのための建物かまるで見当がつかない。関係者オンリー、無関係の者は知る必要もない。それは市庁舎内全般に通じるスタンスと同様のものだった。


 やがて工場群が途切れ、その先はひたすら田園風景が続いた。公道の両側に針葉樹の並木が連なり、種々の雑木林へと姿を変えて奥へ伸び、農地を守るように取り囲んでいる。そこには住居があり、人が生活している気配も感じ取れた。

 厳しい資格審査の末に農業従事者と認められ、農地を貸与された者とその家族のみが、シティの居住区域外に住むことを許された。そのひとり、ハサムの住居に続く長い農道を、イチコの86号車は徐行で進んだ。


 ハサムは砂漠の国の出身だというが、小麦はもちろん野菜や米までも、細やかな心配りを発揮して巧みに育てた。見渡せる限り、水田に植えられたばかりの青苗が整然と並んでいる。ハサムとその家族の仕事ぶりは、いつ見ても丁寧で美しく、イチコは感嘆せずにいられなかった。


 真っ先に駆けつけたのは犬たちだ。つられたように、子どもたちも集まって来る。興奮したドーリーが大きくひと声吠えた。なだめながらイチコは、ハサムの犬たちと子どもたちを数えた。十四人と十二匹。どちらも、この前来たときより増えた気がした。やれやれ。そのうちハサム農園では、子どもと犬の託児所が必要になりそうだ。


 子どもたちの中心にはハサムがいて、にこやかに両手を開いてイチコの名を呼び、出迎えてくれた。イチコも歓待に応えた。

「ハサム。ドーリーを走らせてやってもいいかしら?」

「もちろんだよ。大きな犬にはたくさんの運動が必要だからな、さあ行きなさい」

 車内から解放されたドーリーは喜色満面で駆け出し、ハサムの犬たちがけたたましく吠えたてながらその後を追った。迫力のドッグレースに子どもたちは手を打って喜んだ。イチコもハサムとともに、しばしレースの展開を眺めた。


「さてと。仕事をしましょう。今度は何が起こったの?」

「水だよ。上流にあるドクターギョートクの森の中に若いやつらが集まって、用水路を汚しているんだ」

「ああ。あの古いお寺のことね。あなたから直接注意したの?」

「昨日一回した。やつらは気をつけると言って、しばらくはマシになったけど、朝になったらまたひどく汚れていたので、通報した」

「すぐ通報してくれて、よかったわ」

「シティ育ちの若いやつらがやることはひどすぎる。オレは怒っているが、ケンカはしたくない。トラブルはダメだ。自分たちのためにならないからな」

「それでいいと思う。ハサムは正しいわ」


 思慮深く争いを嫌うハサムは、勤勉で愛情深い父親でもあった。聞けばその出身地は、イチコの父トビアスの故郷に近いらしい。それを知ったハサムは、より一層イチコを信頼してくれるようになった。いまでは友人のように振舞っている。


 農地を横切って用水路へ向かう道すがら、イチコは作業をする四人の女性と出会い、愛想よく微笑んでうなずき合った。しかし、彼女たちのだれとも言葉は交わさない。どう対したらいいのか、わからないからだ。それぞれ農作業に勤しむ女性たちはみな、ハサムの妻なのだった。


 ハサムから妻たちを紹介されなかったことも一因になった。保全課員イチコとの用向きに対処するのは、ハサムひとりに限られた。妻たちの間には序列や上下関係があるのかも知れない。しかし一見したところは、見当もつかなかった。言葉を交わすなら四人全員と公平に、イチコはそう考える。それが叶わぬ以上、だれかひとりに話しかけたりはしない。うなずき合うだけに留めておく。


 用水路の濁り方は予想した以上にひどいものだった。土砂の濁りの中に、動物の毛や血糊や脂らしきものも見て取れた。ハサムはそれらを指し、さも汚らわしそうに顔を歪めた。

「やつらは豚を屠った。隣の住人が豚を殺そうと解体して食べようと、やつらの勝手だ。気味が悪くて堪らんが、どうにかガマンはできる。だけどこんなふうに、オレの米と野菜を作るための水を汚すのは許せない。なあイチコ、オレの言ってることは間違ってるか?」


「いいえ。間違ってないと思う。でも…」

 ハサムが左の脇にぴたりとつけて持っている、散弾銃に目を遣った。

「それを構えたりしたら、大きな間違いの元になりそうだわ。そんなつもり、ないよね?」

「やつらは大勢いる。向かって来たら空砲を撃って追い払う。カラスの群れを追い払うみたいに」


「あのねハサム。保全課員だって、人に対して発砲したらただじゃ済まないの。たとえ当たらなくても、空砲でも、問題になるわ。まして一市民のあなたには、いいことがひとつもないと思う」

「オレが移民だからか?何なんだこの国は。自分の家族を守るにも国の許可が要るのか」

「まあそうね。相手もマズイの。ドクターギョートクはネイティブの中でも最上級の市民だから、その息子に対して当局は厳しくないと思う」


「ドクターギョートクはいい医者だ。遠くても往診してくれる。ウチの子どもたちも診てもらってる。実は、最初にドクターに相談したんだ。そうしたら、当局に通報してくれと言われた」

「そうなの?ドクターがいまどこにいるか、わかる?」

「昨日まで東部で往診中だったらしい。急いで行くと言ってたが、この砂嵐だから遅れるかもしれない」


 あらためて頭上を見まわせば、東の空はいくぶん明るいものの、西の方角は薄茶色にもやって空と地平線の区別がつかない。かつてなかったほどに濃く禍々しく、煙って見える砂嵐の襲来が迫っていた。


「ハサム。いつもより危険な砂嵐が来るわ。家族をみんな家に入れて、あなたも一緒にいたほうがいいと思う」

「イチコはどうする?あれが通り過ぎるまで、ウチにいたらどうだ?」

「ありがたいけど、わたしは仕事をするわ。森の中でドクターギョートクと落ち合ってから行動する。この件はドクターの意向に反して動けないと思うから。大丈夫、うまくやるから心配しないで、落ち着いていて」


 なにやら残念そうなハサムを残し、イチコはドーリーを乗せて86号車をスタートさせた。そうして、思った。温厚に見えるハサムだが、実は血の気の多い男なのかもしれないと。

空気清浄装置をフル稼働して、自分とドーリーが持ち込んだ微細な有害物質を吸い取らせた。またすぐ外に出るのだが、車内の空気は可能な限り清浄に保ちたかった。


 次いで、ナビの探知追跡システムを作動し、ドクターギョートクの車を探した。医療機器を満載してモバイルクリニックの機能を持つドクターの車は、どこにいようと所在確認が可能な特殊車両に分類されていた。


すぐさま反応があった。ドクターギョートクのモバイルクリニックは砂嵐をものともせず、ギョートクの森までほんの数キロ地点を爆走していた。どうかすると、イチコの86号車より先に到着しそうな勢いだった。






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