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65.クロヴィスの思惑



「参りました、兄上」


「来たか。まぁ座れ」



 一週間ぶりに会うクロヴィスは、いつになく上機嫌な様子だった。

 表情などは普段と何ら変化はないが、通常目を合わせるだけで走る緊張感を、今日は感じない。


 その理由はおそらく、ルクレール侯爵の件が片付いたからなのだろう。


(……兄上の目が笑っている。余程上手く事が運んだようだな)




 アレクシスは一週間前、リアムとオリビアを見送った直後、クロヴィスから声を掛けられた。


「ルクレール侯の対応は私に任せてもらえるか? 彼に用があってな」

「用、ですか?」

「これとは別件で、問いたださなければならないことがある」

「――!」


 それを聞いて、アレクシスは確信した。

 やはり、クロヴィスの狙いはルクレール侯爵だったのだ、と。


 そうでなければ、いくらクロヴィスとはいえ、たった二日や三日でリアムの情報を集めることなどできやしないのだから。


(兄上は、前々からルクレール侯爵に関することを調べていたのだろう。それであの調査書を……)


 となると、ここはクロヴィスに譲る他ない。


 そもそも、ルクレール侯爵は先々代の頃から三代に渡って議会の議長を務め、政治、経済、どちらにも絶大な影響力を誇る大貴族。


 ジークフリートには、「ルクレール侯爵のことは俺がどうにかする」と言い切ったものの、セドリックの力を借りたとしても手に余るかもしれない――そう思う程度には、アレクシスはルクレール侯爵を厄介な相手だと認識していた。


『決闘中に命を落としたリアムと、そんな兄を追って自死を選んだオリビア』――二人に見立てた遺体を多くの人間に目撃させ、買収した医者に死亡診断書を書かせて二人の死を既成事実にしたとしても、ルクレール侯爵の手にかかれば簡単に覆えされてしまうだろうと。


 そのリスクと天秤にかけた結果、アレクシスはクロヴィスに一任することを決めたのだ。




 アレクシスがソファに腰を降ろすと、クロヴィスはさっそく口を開く。


「さて――まずはリアムとオリビア嬢の死についてだが、話し合い・・・・の末、ルクレール侯は二人の死を受け入れる意思を示した。二人の葬儀は領地にて執り行い、弔問は一切不要だそうだ。二人の行先ゆくえは詮索せぬように一筆書かせたから、安心するといい」

「――!」


 それは朗報だった。


 話し合いというのは、いわゆるクロヴィスお得意の脅し・・だろうが、今重要なのはその方法ではなく、ルクレール侯が二人の死を認めたという事実。


(これでエリスにいい報告ができる。後でジークフリートにも知らせなければな)


 とはいえこの結果は、クロヴィスに一任した時点で当然の結果だ。最低限満たすべき条件とも言える。


 つまり、これで終わりなはずがない。


「感謝します、兄上。ですが、それだけではないのでしょう?」

「……と言うと?」

「兄上は俺に言いましたよね。ルクレール侯に問いたださなければならないことがあると。つまり兄上は、以前から侯爵について調べていた。その上で、俺とリアムのいざこざを利用した。――違いますか?」

「…………」


 アレクシスは決闘以降、次にクロヴィスに会ったら確かめるつもりでいた。


 どうしてクロヴィスはルクレール侯爵について調べていたのか。

 二年前、自分とリアムの間に起きた問題トラブルを、クロヴィスは知っていたのか。

 今回の決闘に至った経緯について、どこからどこまでがクロヴィスの計画のうちだったのか。


 自分にはそれを知る権利がある、そう考えていた。



 アレクシスは、セドリックに持たせていた茶封筒を受け取りテーブルの上に置く。

 それをクロヴィスの前にスライドさせると、重々しく唇を開いた。


「答えてください、兄上。今回の件、どこまでが兄上の計画だったのですか。ここに書かれていた内容は、一朝一夕いっちょういっせきで調べられるものではない。リアムの生まれや虐待のこと。それに、孤児院の放火の犯人が侯爵の手の者であったこと……。兄上はそれを前々から知りながら、問題を放置していたのですか」


 もし事前に知っていたのなら、リアムがエリスに手を出す前に止められたのではないか。

 決闘などという大ごとになる前に、全てを防げたのではないか、と、そんな気持ちで。


「兄上に感謝しているのは本当です。結果的に、全てが丸く収まったのは兄上のお力添えのおかげですから。ですがもし、この騒ぎそのもの・・・・が兄上の仕業であったなら――」



 アレクシスは一呼吸置き、クロヴィスを鋭く見据える。



「――俺は、兄上を許さない」

 


 その言葉に、部屋の空気が張り詰める。

 特にクロヴィスの側近たちの表情は険しく、今にもアレクシスを咎めんばかりの勢いだったが――けれど、それだけだった。


 クロヴィスは側近たちを右手で制し、唇に弧を描く。

 そして、たしなめるようにこう言った。


「確かにそう思うのも無理はない。私がここ数年に渡り、ルクレール侯について調べていたのは事実だからな。それに私は、リアムが死んだ兄の代わりであることも、お前との間にトラブルがあったことも知っていた。――だが、だからといって今回の騒ぎそのものが私のせいだと決めつけるのは、あまりに短絡的ではないか?」

「……では、兄上は否定すると?」

「ああ、断じて違うと断言する。そもそも、侯爵の本来の跡取りが死んだことを知らぬ貴族などいやしない。ルクレール侯相手だからと口にしないだけで、我らの親世代は皆知っていることだ。更に付け加えるなら、私生児が後継者の代替スペアとして引き取られることも、召使い同然の扱いを受けることも何ら珍しいことではない。それは各家門の問題であって、私が口を出すべきことではない」

「……っ」


 ――家門の問題。口を出すべきことではない。

 その乾いた声に、アレクシスは押し黙る。


 全てはクロヴィスの言う通りだったからだ。

 リアムが父親から不当な扱いを受けていようが、それを止める権利も義務も、クロヴィスには有りはしない。


 つまりクロヴィスは、見過ごしただけ・・だと言っているのだ。

 リアムの置かれた状況や、アレクシスとの間に起きた確執について知りながら、何かが起こるかもしれないとわかっていながら、実際に事が起こるまで待っていた。


 止めることこそしなかったが、積極的に何かを起こそうとしたわけでもない。

 だから、自分に責任はない、と。



 それは到底納得できる答えではなかった。


 けれどアレクシスは、これ以上問い詰めても無駄だと悟る。

 クロヴィスの口ぶりからするに、これ以上答える気はないのだろうから。


 ――が、そう思ったそのときだ。


「とは言え」と口にしたクロヴィスの声色が、変わる。


「エリス妃を巻き込んでしまったことについては、私も責任を感じていてな。お前たちを利用させてもらった恩もある。"例の噂"はこちらで処理すると約束しよう」

「――!」


 この言葉に、アレクシスはハッと顔を上げた。


 例の噂とは当然、エリスの不貞に関する噂のことだ。

 アレクシスは当初、決闘を終えたらリアムに謝罪文を公表させるつもりでいた。それをもって、あらゆる憶測を治めようと考えていた。だがリアムの死により、本来の目的を果たせなくなってしまった。


 そのせいだろう。貴族たちは皆、ルクレール侯爵に同情心を寄せているのだ。

 表立っては口にしないが、リアムのみならずオリビアまでもが命を落とすことになったのは、エリスのせいだと、裏で囁き合っている。良き友人関係であったはずのアレクシスとリアムの仲を壊した、悪女であると。



(確かに、俺一人ではどうしようもないところまで広まってしまったが……)



 この一週間、アレクシスはエリスを一歩もエメラルド宮の外に出していないため、エリスはまだ噂の内容を知らないが、あと一月もすれば社交シーズンがやってくる。

 そうなれば、いくらアレクシスが気をつけようと、エリスの耳に入ることになるだろう。


 それも、アレクシスの悩みの種だった。


 けれどクロヴィスは、それをどうにかすると言っている。



「それは願ってもないことですが、一体どのように?」

「噂を消すには新たな噂を流すのが最も効果的だ。不貞など霞んでしまうほどの、不祥事スキャンダルをな」

「それは、どういう……」


 すると、アレクシスが呟いたそのときだ。


 執務室の外でバタバタと騒がしい足音がして、扉が荒めにノックされる。と同時に、クロヴィスが「噂をすればだな」と呟いたと思ったら、「至急申し伝えたいことが」と焦りに満ちた声がして、一人の若い男が駆け込んできた。

 胸元に青いヒナギクのバッジをつけていることから、内政官であることがわかる。


 彼はこの場にアレクシスがいることに気付き一瞬怯んだが、クロヴィスの「用件を言え」という声に即座に反応し、一枚の書類を突き出すと、まくし立てるようにこう言った。



「たった今この書状が届き、ルクレール侯爵が本日付で議長を辞任されると……!」

 


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