64.あの日、あの場所で
こうして、二人はそれぞれ奔走した。
セドリックがリアムとオリビア、二人と似た容姿の遺体を手配し、当日の闘技場周辺の警備の確認と部下たちへの口裏合わせを行っている間、アレクシスは帝国ホテルでジークフリートと面会し、リアムとオリビアを引き取ってもらえるよう申し入れた。
「僕に二人を引き取れって? しかも、明日帝都を発てって、随分無茶言うなぁ」
「無茶だと? そんなことを言って、本当は兄上から何か聞かされているんだろう」
「まぁ、それは否定しないけどさ。まさかこういう意味だとは思ってなかったからな。……これ、後から父親がしゃしゃり出てくることはないんだろうね?」
「それは問題ない。二人は死んだものとするからな」
「……!」
平然と言い放たれたアレクシスの言葉に、流石に驚いたのだろう。ジークフリートは目を見張る。
「それ、死を偽装するってことかい? 父親なら死体が本物かどうかくらい、すぐに気が付くと思うけど」
「そうだな、間違いなく気付くだろう。だが、あの二人がこの帝国で共に生きる道はない。かといって、帝国貴族という肩書きのまま国外に出ることは叶わない。そもそもルクレール侯は絶対に許さないだろうからな。――それに、俺はリアムを許したわけじゃないんだ。リアムを国外追放に処すことは、決闘を受けたときから決めていた。それを今さら覆すつもりはない」
アレクシスは続ける。
「つまり、二人まとめて国外に出すためにはこれが最善手だということだ。それに決闘の報せを受けたルクレール侯が急ぎ帝都に向かっているとしても、到着まで最低まだ三日はかかる。その間に二人の死を既成事実にしてしまえば、侯爵にできることは何もないだろう」
「……確かに、戻る場所のない人間を取り戻そうとはしない、か。なかなか横暴だけど、嫌いじゃない。――わかった、他でもない君からの頼みだ、引き受けよう。ただしこれは『貸し』にしておく。いつか必ず、何らかの形で返してもらう。それでいい?」
「望むところだ」
そんな口約束のもと、二人は翌日の流れについて話し合った。
決闘開始の午前十一時を過ぎたころ、ジークフリートがオリビアを帝都第二陸軍基地まで連れてくること。
決闘が終わり次第、リアムとオリビアをジークフリートの侍従と侍女に変装させ、馬車に乗せてその足で帝都を発つこと。
そしてまた、リアムの処遇は(決闘に勝ちさえすれば)アレクシスの一存で決められるが、オリビアについては本人の意思を尊重する必要があるため、決闘が終わり次第、その場で本人に直接確認するということで話がまとまった。
その後、アレクシスはクロヴィスの元を訪れ、計画の全てを伝えた。
すると返ってきたのは、「好きにやれ」との一言で、アレクシスは改めて、これはクロヴィスの計画の一部なのだと悟った。
こうして、いよいよ迎えた決闘当日。
リアムが予想以上になりふり構わず攻めてきたことや、決闘開始直後に雨が降り出した上、オリビアが剣の前に飛び出してくるなどいくつかのハプニングはあったものの、最終的にはリアムが戦闘を放棄し、アレクシスの勝利が決まった。
そして、ついにその時は訪れる。
「リアム・ルクレール。お前を、国外追放の刑に処す」
アレクシスがそう告げると、リアムは地面に両ひざをついたまま、ピクリと瞼を震わせた。
それはまるで、その罰が酷く期待外れであったとでも言うような、何かを諦めきった顔だった。
――やはりお前は、私を殺してはくれないのだな。
そう言いたげな瞳をしていた。
それでも、オリビアの前だからだろう。リアムはその言葉を口にすることはなく、アレクシスの宣告を受け入れる。
「わかった。私は国を出る。……それでいいんだな?」
「お兄様、そんな……!」
「いいんだ、オリビア。私のしたことを考えれば、アレクシスの決定は甘すぎるくらいだ。お前になら分かるだろう?」
「……っ」
本当なら殺されていて当然だった。
少なくともリアム自身はそれを望んでいたし、その為にアレクシスを大いに煽ったつもりだった。
にも関わらず、アレクシスは結果的に、リアムに傷一つ付けずに決闘を終わらせた。
それを情けと言わずして、何と言うのだろうか。
――だが、素直に罰を受け入れたリアムに、アレクシスはこう続ける。
「勝手に話を終わらせるな。まだ続きがある」
「続き、だと?」
「そうだ。お前がこれから向かうはランデル王国。そこでお前は、帝国を追われた貴族ではなく、全く別の人間として生きることになる。リアム・ルクレールの名は捨て、新たな名を名乗ってな」
「……別の人間として? だが、そんなこと――」
「可能だ。その為に俺は、お前たち二人と、よく似た容姿の遺体を用意したのだからな」
「――っ」
刹那、リアムの瞳が大きく見開かれる。
アレクシスの言葉の真の意味を理解して。
「……そんな。だが、それでは……」
「罰にはならないと? ――ああ、そうだな。俺もそう思っている。だが、エリスはお前を許すと言った。お前とオリビアが共に生きる道を用意しろと、彼女が望んだ。だから――」
アレクシスは一呼吸置くと、二人を見下ろし、言い放つ。
「リアム、お前にはここで死んでもらう。――オリビア、お前はどうする? 兄と共に行くか、今すぐ選べ」
――そして、次の瞬間。
◇
「……下、……殿下……、――アレクシス殿下!」
「――っ」
その声にハッと顔を上げると、セドリックが心配そうな顔でこちらを見ていた。
どうやら意識を飛ばしてしまっていたようだ。
右手に掴んだままの茶封筒が、手汗で少しばかり湿っている。
「それ、リアム様の調査書類ですよね。またあの日のことを思い出していたのですか?」
「――!」
そう尋ねられ、アレクシスはギクリとした。図星だった。
アレクシスは決闘以来、少しでも気を抜くと、決闘直後に駆け付けてきたエリスが血の気を失くして倒れた瞬間を思い出してしまうのだ。
「殿下、あれは間が悪かったのです。すぐに誤解は解けたのですから――」
「わかっている。……それでも、どうしても考えてしまうんだ。やはりエリスには話しておくべきだったのではと。そうすれば、あれ程の心労をかけることはなかったのに」
「それはそうかもしれませんが……。いつまでもそれを気にして、エリス様を避けていては本末転倒なのでは?」
「――ッ」
セドリックの鋭い指摘に、アレクシスは押し黙る。
――アレクシスは、エリスに計画の全容を話さなかった。
その理由は、決闘では何が起こるかわからないというのもあったし、何より、オリビアがどのような選択をするのかわからなかったからだ。
だが、それが結果的にエリスの心に負担をかけてしまった。
そのことに、アレクシスは強い自責の念を感じていた。
だが最も問題なのはこの先で、アレクシスは先日の件を気にするあまり、この一週間、エリスを避けてしまう日々が続いているのだ。
朝エリスを起こさずに、ひとりで朝食を済ませてしまっているのがいい例である。
(確かにセドリックの言うとおりだ。いい加減、気持ちの整理をつけなければ。ようやく日常が戻ってきたというのに、いつまでもこのままではいられない。最近、エリスの態度もよそよそしい気がするし……)
――と、そう考え始めたその時だ。
執務室の扉がノックされ、第二皇子の側近の一人が姿を現す。
側近は、アレクシスが何か尋ねるより早く、淡々とこう言った。
「クロヴィス殿下がお呼びです。例の件、全てに片がついたとのこと」
その言葉に、アレクシスとセドリックは顔を見合わせる。
例の件とはルクレール侯爵のことだ。
アレクシスは、クロヴィスの申し出(という名の命令)により、ルクレール侯爵の対応をクロヴィスに任せていた。
つまりこの呼び出しは、その結果報告ということなのだろう。
「わかった。すぐに行くと伝えてくれ」
アレクシスはそう返事をし、茶封筒をもう一度手にすると、セドリックと共にクロヴィスの執務室へと向かった。