63.真相
駆け付けたエリスの前で、アレクシスは静かに告げる。
『リアム。お前にはここで死んでもらう』
降りしきる雨に打たれながら、リアムとオリビアを冷たく見下ろし、選択を迫る。
『オリビア、お前はどうする? 兄と共に逝くか、今すぐ選べ』
――その光景を目の当たりにしたエリスは――。
◇◇◇
「……っ!」
――ハッ、と瞼を開いたエリスの視界に映ったのは、見慣れたベッドの天蓋だった。
ここはエメラルド宮のエリスの寝室である。
侍女が開けてくれたのだろう、カーテンの開かれた窓からは燦々と日が降り注ぎ、気持ちのいい朝の訪れを示している。
つまり、今のは、夢――と言いたいところだが、今のワンシーンは、正真正銘、現実に起こったことだ。
「……また、あの日の夢」
エリスは両手で顔を覆い、「はぁー」と大きく息を吐いた。
決闘が行われてからちょうど一週間。
アレクシスのあのときの台詞は、すべてが誤解だったと判明したにも関わらず、聞いた瞬間のショックが大きかったせいか、まだこうして夢に見てしまう。
――それにしても。
(殿下も、起こしてくださればいいのに)
隣には、昨夜共に眠りについたはずのアレクシスの姿は無く、時計の針が九時を回っていることからも、既に宮を出てしまっていると予想がついた。
というのも、決闘が終わった翌日から、疲れが出たのかエリスはなかなか朝起きられず、アレクシスはそんなエリスを気遣ってか、ひとりで朝食を済ませて出てしまう日が続いているのだ。
エリスが「見送りたいので起こしてほしい」と頼んでも、「無理はしなくていい」と、取り合ってもらえない。
侍女たちからも、「眠り悪阻という言葉もあるくらいですから、殿下の仰るとおりになさった方が」と言われてしまい、結局この一週間、エリスは一度もアレクシスを見送ることができないでいた。
(殿下がお優しいのはわかるけれど、ここまで気を遣われると、逆に居心地が悪いのよね。でも、わたしにそんなことを言う資格がないのは、わかってる)
エリスは一週間前、夢に見たあの場面の直後、ショックのあまり気を失ってしまったのだ。
シオンが咄嗟に身体を支えてくれて大事には至らず、幸い三十秒ほどで意識を取り戻したから良かったものの、その場にいた全員に心配をかけてしまった。
その後すぐに、アレクシスの言い放った『死』の意味が誤解だったとわかり、どれだけホッとしたことか。
けれど、そんなエリスの中に芽生えた次の感情は、自己嫌悪だった。
(結局わたしは、最後まで殿下を信じることができなかった。本心ではずっと、殿下のことを疑っていたんだわ。……きっと、今も)
わかっている。こんな気持ちになるのは、自分の心が弱いせいだと。
それに今回の一件について、アレクシスは「全て俺の責任だ」と言ったが、エリスは、少なからず自分にも原因はあったのだと、強く自覚していた。
(殿下に、ちゃんと気持ちをお伝えしなきゃ。……この子のためにも)
エリスは下腹部にそっと両手を当て、決意する。
そしてようやく顔を上げると、窓の向こうの晴れ渡る空を見上げ、目を細めた。
「お二人は、そろそろあちらに着いたころかしら……」
◇
一方その頃、アレクシスは宮廷内の執務室にて、セドリックと共に書類を捌いているところだった。
(あと数日はかかるかと思ったが、今日中にはどうにかなりそうだな)
執務卓には、目を通さなければならない資料や、機密事項と印の入った分厚い封筒がまだいくつも積まれているが、急ぎ裁可を下さなければならない稟議書類は残りわずか。
アレクシスは、それらの書類をパラパラと捲りながら、安堵の息を吐く。
二人は連日、決闘の為にさぼってしまった仕事の遅れを取り戻すため、普段より二時間早く宮廷に上がり、夜遅くまで仕事をしていた。
決闘の後始末に加え、予定を繰り越していた軍法会議や他国の軍事関係者との面会など、かなり慌ただしい一週間だったが、無事乗り切れたのはセドリックのおかげと言えよう。
セドリックは、演習から戻った翌日から決闘が行われるまでの一週間の間、夕方には帰宮してしまうアレクシスに代わり、出来うる限りの仕事を終わらせてくれていたのだから。
――それに。
「…………」
アレクシスは手にしていた書類の束を机に置くと、右の一番上の引き出しを開け、A4サイズの茶封筒を取り出す。
それは一見何の変哲もない封筒だが、中に入っているのは、リアムについての調査報告書だった。
(もう、一週間になるのか)
アレクシスがこの書類を受け取ったのは、決闘前日の朝のこと。
エリスとの夕食を経て、アレクシスがリアムについての処遇を考え直し始めていたところ、セドリックからこの茶封筒を渡されたのだ。
「殿下が心変わりをしたら、渡すつもりで調べておりました。無駄にならなくて良かったです」と。
そこには、リアムの生い立ちについて事細かに記されていた。
ルクレール家に引き取られてから、リアムが父親からどのような暴力を受けてきたのか。執事や昔の使用人たちの証言や、病院の診察記録。
他にも、死んだ実の母親のことや、育った孤児院の名前と住所。それに、その孤児院が火事で焼け落ちたときの当時の記録と、それから……。
「……『Luca』? これがリアムの本当の名前なのか?」
「はい。ランデル語で『光をもたらす者』と言う意味ですね。帝国語ですと、第四皇子殿下の御名、Lucasがこれに当たります。リアム様の母親は、ランデル王国出身だったのでしょう」
「……ルカ」
アレクシスは繰り返す。が、正直違和感しか感じなかった。
アレクシスにとってリアムはリアムであり、今更別の名前だったと言われても、大した意味を持たなかったからだ。
だが、きっと、本人にとっては大いに意味のあるものなのだろう。
――それにしても。
「セドリック、お前、本当にこれを一人で調べたのか?」
アレクシスには到底信じられなかった。
たった五日で、それも夕方以降の短い時間で、これだけのことを調べ上げたなどとは。
するとその問いに、セドリックは肯定も否定もせず、微かに口角を上げる。
それはつまり、協力者がいるということを意味しており、アレクシスは全てを悟った。
(ああ、やはりそうか。……兄上め)
こうなると、ジークフリートが今帝都にいることすら、クロヴィスの策謀なのではと思えてくる。
その目的は不明だが、何もかもが、クロヴィスの手のひらの上のことのように感じてしまう。
いや、事実、自分は転がされているのだろう。
だが例えそうだとしても、やることは変わらない。
今のリアムの置かれた状況からして、エリスの望みを叶える方法は、たった一つしかないのだから。
アレクシスは腹を括り、セドリックに命じる。
「お前はこれから遺体安置所に行き、若い男女の遺体を探してこい。できるだけ良い状態のものをな」
「……! 承知しました。衣類もこちらで手配しておきます。して、殿下はどうなさるのです?」
「ジークフリートに会いにいく。死人の受け入れ先が必要だからな」