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60.信じる心


 それからしばらくの間、二人は剣を打ち合っていた。


 両者一歩も譲ることなく、互いの急所を的確に狙いながら一進一退の攻防を繰り広げる二人の戦いは、まるで戦場さながらの激しさだった。




「……殿下」


 そんな二人の戦いを、エリスは固唾を呑んで見守る。


 生まれて初めて見る決闘に、緊張と不安を入り混じらせながら、彼女はただ、アレクシスの無事を祈っていた。



(……動きが速すぎて、何が起きているのか全然わからない)



 エリスの祖国であるスフィア王国は、三方を海に囲まれた地理的な条件が幸いし、戦いとは無縁な国だった。


 他国へも攻めにくいが、攻められにくい。

 加えて比較的温暖な気候なため、食料不足に陥ることもない。


 それは周辺諸国も同様で、豊かさによる平和が保たれていた。


 それ故に、文明レベルは帝国に比べ半世紀ほど遅れてしまったのだが、エリスの知る限り、ここ数十年の間に戦争は一度も起きていない。


 そんな国で育ったエリスにとって、真剣での斬り合いや決闘を間近で見るのは、これが初めてのことだった。


  

(これだけ離れているのに凄い気迫だわ。殺気がここまで伝わってくる。……決闘が、こんなに激しいものだったなんて)



 闘技場全体に繰り返し冴えわたる鋭い金属音。剣技の応酬。


 自分が戦っているわけでもないのに、心臓がバクバクと高鳴って、呼吸が苦しくなってくる。

 冷や汗が背中を伝い、早くこの時間が終わってくれないかという焦りで、胸がいっぱいになった。


 けれどエリスは、そんな恐怖を振り払うように、拳にぐっと力を込める。

 今にも目を逸らしたくなる気持ちを堪え、アレクシスを食い入るように見つめる。



(でも大丈夫よ。殿下はお強いもの、きっと怪我ひとつせず戻ってこられるわ。それにクロヴィス殿下も仰ったじゃない。『アレクシスを信じてやってくれ』って)



 ――そう。

 それは決闘が始まる前、アレクシスに声援を送った後のこと。


 エリスは、時間ぎりぎりになってようやく二階席に姿を現したクロヴィスから、こう言われた。


「今の声援、聞かせてもらった。私もアレクシスに激励を送るつもりでいたのだが、必要なくなってしまったな」と。


 更に、このように告げられた。


「実はここだけの話、私は今日の決闘を不安に思っていたんだ。アレクシスが友を殺めてしまうのではとな。――だが、君のおかげで考えを改めたようだ。きっと悪い結果にはならないだろう。アレクシスを信じて、どうか見守ってやってほしい」



 その言葉を聞いたエリスは、正直驚いた。

 驚きのあまり、言葉を返すのをすっかり忘れてしまったほどだった。


 エリスは、アレクシスとクロヴィスの仲が悪いと思っていたからだ。


 それなのに、クロヴィスのアレクシスを見る目は、予想と違い、弟を案じている。


 それを、エリスはとても意外に思ったのだ。



 ――そもそも、エリスがクロヴィスとまともに言葉を交わしたのは今日が初めてのこと。


 結婚式でも、宮廷舞踏会でも、建国祭の式典でも、クロヴィスと挨拶以上に関わることはなかった。


 それはアレクシスが、エリスがクロヴィスと交流することを嫌がったからだ。


 シオンがこの帝国に留学することが決まったときだって、「クロヴィス殿下に直接お礼を伝えたい」と申し出たエリスに、アレクシスは、「礼なら俺から伝えておく。君が気にする必要はない」と不機嫌に返すだけだった。



(殿下があまりにもクロヴィス殿下の話題を避けるから、お二人は仲が悪いのかと思っていたけれど……。少なくともクロヴィス殿下の方は、アレクシス殿下を大切に思っていらっしゃる様に見える)


 本当のところはわからない。


 だが、クロヴィスがアレクシスを信じていることは確かだろう。


 でなければ、『信じてやってほしい』などという言葉は、決して出てこないはずなのだから。




(クロヴィス殿下があそこまで仰るんだもの。わたしが殿下を信じないわけにはいかないわ)


 ――エリスは、そんな気持ちでアレクシスの戦いを見守っていた。


 すると決闘開始から三分ほどが経ったところで、不意に尋ねられる。



「エリス妃――君はこういった場には不慣れだろう? 何か分からないことがあれば、遠慮せずに聞いてくれ。シオン、……君もな」


 その声に顔を上げ振り向くと、マリアンヌの向こうの席に座したクロヴィスが、こちらを見て微笑んでいた。


 これはきっと、クロヴィスなりに気を遣ってくれているのだろう。


 マリアンヌからも、


「いい機会ですもの。お兄様に何でも聞かれたらよろしくてよ。決闘のルールや勝敗のつけ方。あとは……そうね。今の戦況や、どちらに分があるのか、だとか」


 と優しく微笑まれ、エリスはシオンと顔を見合わせる。



 一応エリスは、ルール程度なら侍女から履修済みだった。


 決闘のルールはとても単純で、剣以外の武器や体術を使わないこと。

 勝敗は、片方が負けを認めるか、戦闘を続行できない状態になること。ただそれだけだ。


 つまり、剣を落としたり、背中を地面に着いたりするだけでは勝負は決しない。

 その段階で『負け』を認めれば終わりだが、認めない限り戦いは続く。



 この内容は、馬車の中でシオンとも確認をした。

 だからルールについては改めて聞く必要はなかったが、確かに、戦況は気になるところである。


 なぜって、ここから見ている限り、アレクシスとリアムはほぼ互角に戦っているように見えるからだ。


 エリスは、アレクシスの方が圧倒的に強いものかと思っていたために、正直、今の戦況に不安を抱いていた。

 かと言って、アレクシスが押されているのかなどと、聞くわけにはいかない。



 そんなエリスの感情を、シオンは感じ取ったのだろう。

 シオンは、どう質問しようか悩むエリスの代わりに、問いかける。


「クロヴィス殿下。では僕から、一つよろしいでしょうか」

「ああ、構わない。何でも聞いてくれ」

「では……ルクレール卿のあの剣の持ち方には、何か意味があるのでしょうか。決闘開始直前、ルクレール卿の姿を見たアレクシス殿下は、明らかに驚いた様子でした。それは、ルクレール卿の剣の持ち方のせいですか?」


 シオンはエリスと同様、アレクシスとリアムにはそれなりの実力差があると思っていた。


 だから、あっという間に勝敗が決してもおかしくないと考えていたのだが、予想とは違う現実に、きっとこれには訳があるはずだと思った。


 その理由を考えたとき、原因は、リアムのあの不思議な剣の持ち方にあるとしか思えなかった。



 するとクロヴィスは、「いい質問だ」と、関心した様子で説明してくれる。


「あれは我が国のいにしえの戦士たちが、戦場で己を鼓舞するときに行っていた儀式のようなものだ。敵に囲まれ成す術がなくなったとき。あるいは、自身が犠牲にならざるを得ないとき。命の危機に対する恐怖心を律し、最後まで戦い抜くことを神に誓う。鞘を捨て、剣を利き手と縛りつけることで自ら退路を断ち、全てを天に委ねる――そういった意味がある。昨今は銃剣への移行が進み、剣を持つのは指揮官クラスのみとなった故に、すっかり見ない光景となったがな」

「……つまり、ルクレール卿はここで命を散らすおつもりだと? アレクシス殿下は、そのことに動揺なさった、ということでしょうか?」

「ルクレール卿の本心は分からない。が、少なくとも、アレクシスはそう理解しただろう。しかし、動揺しているかと言われれば、少し違うな」

「どういうことですか?」


 シオンが更に尋ねると、クロヴィスは二秒ほど思案して、こう問い返す。


「では逆に問うが――君がウサギを狩るとして、生きたままとらえるのと、殺してつかまえるの、どちらでもいいとしたら、どちらを選ぶ?」

「……それは勿論、後者です」

「理由は?」

「当然、その方が容易たやすいからです。殺してしまえば、途中で逃げられるリスクがなくなりますから」

「そうだ。生け捕りというのは案外難しいものでな。それがウサギであればそうでもないが、もし獲物がシカやイノシシ……あるいはクマとなれば、捕まえるどころか、一瞬の油断が命取りとなる。まして相手は捨て身ときた。それも自分をよく知った相手となれば、警戒しないわけにはいかない。――つまりアレクシスは、絶好の機会を伺っているということだ。大きな獲物を、確実に生け捕りにするためにな」

「…………」



 ――『生け捕り』


 まさか決闘を狩りに例えられるとは思っていなかったエリスは、シオンとクロヴィスの会話を内心恐ろしく思ったが、アレクシスが押されているわけではないということに、ひとまずは安堵する。


(例え方は気になるけれど、あれは殿下の作戦ということなのね)


 ホッと息を吐きながら、再び闘技場のアレクシスを見下ろす。


 だが、それも束の間――。



「……降ってきたか」と、不意にクロヴィスの声色が変わり、エリスが空を見上げると、灰色の分厚い雲から無数の雨粒が落ち始めていた。


(……雨?)


 刹那、エリスの脳裏に、いつかのセドリックの忠告が過ぎる。

 



「エリス様、今日はあまり殿下に話しかけない方が良いかもしれません」

「……? どうしてですか?」

「酷い雨ですから。殿下は昔から雨がお嫌いなのです。雨の日はいつもの三割増しで不機嫌になりますから、お気をつけを」




 そのときは、『そうか』と思うだけだったし、実際アレクシスは多少機嫌が悪いように見えても、それ以外は特におかしなところはなかった為に、今まで気にしてこなかった。


 誰だって嫌いなものくらいある、と。


 けれどこのタイミングで降りだした雨と、クロヴィスの空を見つめる眼差しに、エリスはどことなく嫌な予感を覚えた。



「あの、クロヴィス殿下」

「何だ?」

「アレクシス殿下は、雨がお嫌いなのですよね。……その、大丈夫なのでしょうか」

 

 本当は信じたい。こんなことを尋ねるなんて、アレクシスを信じていないのと同義だ。


 だが、誰かに『大丈夫』と言ってほしかった。



 そんな気持ちで尋ねると、クロヴィスはエリスの気持ちを推し量るように目を細めた。


 そうして、突き放すかのような声で告げる。



「大丈夫と言ってやりたいところだが、こればかりは本人次第。――私に言えるのは、それだけだ」


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