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59.決闘開始



「――ッ」


 刹那、アレクシスは大きく目を見開いた。


 祈るように胸の前で両手を合わせ、恥じらうような視線を投げてくるエリスの姿に、動揺を隠せなかった。



「……エリス」



 ――ああ、こんなの反則だ。



 アレクシスの心に、形容しがたい感情がこみ上げる。


 それは、まさかこのタイミングで声を掛けられるとは思っていなかったという衝撃と、自分はエリスに許されているのだという安堵。


 それに、恥ずかしい思いに堪えてまで自分に勝利の祈りを捧げてくれたエリスへの、どうしようもない愛しさだった。



(俺は君を突き放したんだぞ。それなのに、君は……)


 今のこの状況で、しかもこれだけ離れた距離で、皇子妃であるエリスが声を張り上げてまで自分に声援を送る――それがどれだけ難しいことか。



 そもそも、エリスと共に行動するのを拒否したのは自分の方だ。


『集中したい』などと半分嘘のような言い訳をし、決闘開始ぎりぎりの時間に基地に着くようシオンの迎えの時間を調整した上で、基地に到着したエリスを自分のいる地上部ではなく、二階席に案内するよう部下たちに指示をした。


 本当にそれでいいのかと迷う心はあったし、セドリックからも指摘を受けたが、これ以上エリスと気まずくなりたくない。エリスを失望させたくない。という気持ちの方がどうしても大きかったからだ。


 だが、エリスは声をかけてくれた。ただ純粋に、自分の勝利を祈ってくれた。


 その事実に、アレクシスはどうしようもなく、胸が熱くなるのを止められなかった。



(――クソ。……こんなときに)



 これから決闘だと言うのに、不謹慎なことを考えてしまう自分がいる。

 今すぐエリスの元に駆け上がり、抱きしめてしまいたい衝動で一杯になる。


 けれど、そんなことが許されるはずもない。

 


 

「……セドリック」


 アレクシスは、エリスの姿を瞳の奥に捉えたまま、隣に立つセドリックを低い声で呼んだ。


「何でしょう」といつもと変わらぬ返事をするセドリックに、こう続ける。


「五分で終わらせる」

「……!」


 それを聞いたセドリックは、流石に五分は短すぎると思ったのか。あるいは、アレクシスが冷静さを欠いていると思ったか、僅かに眉を震わせた。


 が、アレクシスの横顔から、あくまでも冷静であることを悟ったらしく、やれやれと微笑む。


「確かに、早く終えるに越したことはありません。ですがどうか油断はなさらないように。急いては事を仕損じる、と昔から言いますから」

「わかっている。そういうお前こそ、準備は抜かりないんだろうな?」

「ええ、全ては殿下のご命令通りに」


 

 ――と、そんなやり取りを終えたところで、ようやく対戦相手リアムが到着したようだ。


 闘技場の入り口に控えていた部下たちの間に緊張が走るのを感じ、アレクシスが振り向くと、陸軍モスグリーンの軍服を装ったリアムが、こちらに歩いてくる姿が確認できた。



(ようやくお出ましか)


 だがそう思ったのも束の間、アレクシスは大きな違和感を覚え、眉をひそめる。


 リアムが剣を抜いていたからだ。


 それも、ただ抜いているだけではない。剣は布で右手としっかり固定され、更に、腰にあるはずの鞘は見当たらない。


 そんなリアムの姿に、アレクシスは心がざわめき立つのを感じた。



「殿下、あれは……」

「……ああ、わかっている」



 あれは戦場で敵陣に取り残され、後がないときの戦い方だ。

 あるいは味方や民を逃がすため、死すらいとわず敵を迎え撃つときのやり方だ。


 鞘を捨て、腕と剣を縛りつける。


 一歩も後には引かないと。敵に背中を見せはしないと。

 たとえ命尽きようと、決して剣を放しはしない。最後まで戦い抜くのだという、強い意思と覚悟の表れ。


 と同時に、生きることへの執着を捨てた証でもある。


 つまり、リアムはこう表現しているのだ。

『死んでも負けは認めない』『どちらかが戦闘不能になるまで、戦いを終わらせるつもりはない』――と。



「リアム……お前、その右手は……」



 刹那――思わずそう言いかけたアレクシスの脳裏に、昨夜のセドリックの言葉が蘇る。

 


「リアム様が、死を覚悟して殿下に挑まれるのは確かでしょう。ですが、私はそれだけではないように思います。リアム様の目的は、『死を迎えることそのもの』ではないかと……そう思えてならないのです」


 ――と、今日の決闘の準備を終えたその別れ際、神妙な顔で告げたセドリックの声が。




(正直まさかとは思ったが……セドリックの言う通りだったのか?)


 実際のところ、リアムの本意は剣を打ち合わあせてみなければわからない。


 けれど、少なくとも、こうして目の前に対峙しているリアムから、死に対する恐怖や動揺といった負の感情が一切感じられないのは事実。


 それどころか、リアムは瞳に狂気を滲ませて、愉快そうに笑うのだ。 



「あぁ、この右手か? 意味ならちゃんと理解している。君が想像している通りにね」

 とアレクシスを挑発し、


「先ほどのエリス妃の声援も、よく聞こえていたよ。全く、どこまでも癇に障る方だ」

 と、エリスを侮辱し、微笑むのである。



「…………」


 だが、アレクシスは何も言い返さなかった。


 自分やエリスを侮辱するような発言にも、わずかに眉を寄せるに留めた。


 ここで何を言っても無駄だと判断したからだ。


 現に、自分を見据えるリアムの瞳は、およそ自分の記憶の中のリアムとは似ても似つかないほど冷めきっているのだから。


 怒りも、憎しみも、闘志すら感じさせない――そこにあるのは、真冬の湖に張った氷の様な冷たい殺気と、生への興味を微塵も感じさせない、狂気だけ。


 そんな状態のリアムと、まともな会話が成立するとは思えなかった。



「…………」


「………………」



 結局、アレクシスはそれ以上リアムに声をかけることなく、二人は無言で睨み合いを続けたまま、予定時刻の午前十一時を迎えた。


 すると時間きっかりに、いつの間にか二階席に着席していたクロヴィスから、決闘開始の許可が下される。


 それを合図に、審判役のセドリックによって「決闘開始」が宣言されると、アレクシスはその声と同時に、リアムとの間合いを詰めるべく、一気に踏み込んだ。


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