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52.オリビアの嘘



「……お願い、ですか?」

「はい。お時間は取らせませんわ」

「…………」


(オリビア様が、わたしにお願い? それに、突然来られるだなんて……)


 エリスはあまりにも予想外の状況に、すぐには返事を返せなかった。


 なぜならオリビアのこの行動は、一般的に無礼とされるものだったからだ。


 約束もなく、どころか、知らせひとつせずに訪問するなど、余程親しい仲でなければあり得ない。

 まして皇子妃であるエリスに、アポなし訪問など許しがたいことである。


 ――などと使用人たちは考えているのか、あるいは、オリビアが以前アレクシスのことを慕っていたという情報を知っているからなのか。彼らは皆一様に、オリビアを警戒する様子を見せた。


 もしエリスがこの場に現れなければ、エリスに知らせることなく、オリビアを追い返していただろうというくらいには。


 だが――。


(連絡もせずに来るということは、そうしなければならない理由があったということ。オリビア様には恩があるし、話も聞かずにお帰りいただくなんてできないわ。それにオリビア様は、シオンが今どうしているのか、知っているかもしれない)


 オリビアの願いというのが、リアムとの一件に関わりのあることだろうと予想はついていたけれど。

 聞けば困ることになるかもしれないと、わかってはいたけれど。


 それでもシオンのことや、今回の一件の詳細を知りたいと思っていたエリスには、オリビアを追い返すという選択肢は存在しなかった。



 エリスは、一歩、二歩とオリビアへと歩み寄り、ニコリと微笑む。



「時間なんて気になさらないで。これからちょうどお茶にしようと思っていたところでしたの。よろしければ、ご一緒していただけませんか?」


 何か言いたげな使用人たちを制するがごとく、エリスは侍女たちにお茶の準備をするように指示を出し、オリビアを宮の中へと招き入れた。



 ◇



 その後エリスは、オリビアを応接室に通すのではなく、散歩に誘った。


「お茶の支度ができるまで、外を歩きませんか? 庭園の奥に温室が……。オリビア様のお屋敷の温室には、遠く及びませんけれど」と。


 もちろん、それは二人きりになる口実だった。


 屋内ではどうしたって使用人たちの目があり、込み入った話をするのは難しい。

 だが外ならば、声が届かないほどの距離を空けるくらい容易いことだ。


 すると、オリビアはエリスの意図を汲んでくれたようで、「勿論ですわ」と快諾してくれた。



 こうして二人は、数人の侍女を後ろに従えて、庭園を抜け、温室へと向かった。


 十一月の半ばを迎えるこの季節、屋外庭園は流石に冷えてきたけれど、温室の中は十分すぎるほど暖かく、話をするにはちょうどいい。


 そう思って選んだ場所だったが、エリスは、温室に着く頃には自身の発言を後悔し始めていた。



(……やっぱり、オリビア様の顔色、悪い気がするわ。体調がよくないんじゃないかしら)



 ――そう。

 

 室内では気付かなかったが、こうして太陽の下を歩くと、オリビアの顔色の悪さがよくわかるのだ。


 隣を歩くオリビアの姿は、以前と変わらず気品に溢れているし、表情こそ読めないが、受け答えにはそつがなく、エリスに対する礼儀礼節もしっかり感じられる。


 だが、やはり、どう見ても顔色が悪いのである。



(もしかして、あまり眠れていないのかもしれないわ。気丈な方だと思っていたけれど……それほどリアム様の一件が堪えているということなの? 声のトーンも、先週に比べて、明らかにお元気がない)


 それはつまり、それだけあの一件の予後が悪いということなのではないか。


 アレクシスは何も話してくれないが、少なくとも、オリビアがこれだけやつれるだけの理由があるのではないか。


 そう思うと、いよいよ事の成り行きが心配になってくる。


 オリビアのことも、シオンのことも、何一つ把握しないまま、この五日間を過ごしていた自分が心底恥ずかしくなった。



(わたし、本当に何も知らないんだわ。そんなわたしが、オリビア様にどう声をかけてさしあげたらいいの?)



 そもそも、エリスとオリビアが言葉を交わすのは、今日でようやく四回目。


 一度目は図書館で助けられたとき。二度目はお茶会で、三度目は帝国ホテルで。


 その三回のうち、交流目的だったのはお茶会だけだ。

 だがそのときだって、オリビアと親しくなったのはエリスではなく、どちらかと言えばシオンの方だった。


 オリビアの笑顔を引き出したのもシオンだし、アボカドを一緒に収穫したのもシオン。


 つまり、エリスはオリビアのことをほとんど知らないといってよく、立場的に見ても、友人と呼べる間柄ではないことは間違いない。


 ましてエリスは、オリビアからしたら、かつての想い人アレクシスの妻であり、恋敵。

 一緒にいて楽しい相手ではないだろう。


 そんな自分に、オリビアは会いにきてくれたのだ。

 否――どうしても会わなければならない理由があったのだ。


 体調不良を押してまで――。



(ああ、それは……いったい誰の為に……?)



 エリスは自問し、自答する。



 ――そんなの、リアムの為に決まっているではないか、と。





 エリスは侍女たちに、「一周したらすぐに戻ってくるわ」と、温室の入り口付近で待つように伝えると、オリビアと二人きりで、温室の奥へと足を進めた。



 その間、オリビアはずっと黙り込んだままだった。


 エリスはそんなオリビアを見て、彼女は侍女の前では、気丈に振舞っていただけなのだと理解した。


 

(まるで、別人みたい)



 たった四度。


 四度しか会ったことのない関係だ。

 自分がいったい彼女の何を知っているというのだろう。


 何も知りはしない。彼女の過去も、今も。何を信じ、誰を愛し、どう生きるのか。

 何一つ知りはしない。


 それでも、知っていることもある。


 困っている人がいたら、迷わず手を差し伸べられるような優しさと正義感を持っていること。

 花や植物が好きなこと。医者顔負けなほどの知識を身に着けていること。


 そして、リアムを心から愛し、慕っていること。



 言葉など交わさなくたってわかる。

 自分がシオンを愛しているように、彼女もリアムを愛していると。


 視線の先の彼女の瞳が、今にも崩れそうな横顔が、そう叫んでいるのだから。 



「……オリビア様」



 きっと自分は、彼女の力にはなれないだろう。


 アレクシスの意に反することをしようとは、どうしても考えられないから。


 けれど、それでも知りたいと思うのだ。


 たとえ役に立てなくても、彼女の心を知りたいと。

 

 それが、ただのエゴだとわかっていても。



「どうか聞かせてください。オリビア様の願いとは……。リアム様に、何かあったのですか?」



 エリスが尋ねると、オリビアはハッとしたように顔を上げた。


 そうして、泣き出しそうな声で呟くのだ。



「お兄さまが」――と。



「……お兄さまが、部屋から出てきてくださらないの。……こんなこと、初めてで。どうしたらいいのか、わからなくて……。二日後には決闘を控えているというのに……わたくしの話を、少しも聞いてくださらなくて……」


「……!」

(決闘……ですって?)



 刹那、エリスは自分の耳を疑った。

 突如突き付けられた『決闘』という二文字に、困惑を隠せなかった。


 だが本当に驚いたのは、その後――オリビアが続けざまに吐いた言葉を聞いた時だった。



「全部わたくしのせいなの。……わたくしが、わたくしがお兄さまに嘘をついたから……、殿下のことを慕っているだなんて、嘘をついてしまったから……!」


「……!?」

(――嘘? それって、どういうこと……?)


 混乱を極めるエリスの前で、オリビアは両目からぼろぼろと大粒の涙を流し、悲痛な声で泣き叫ぶ。



「お兄さまが変わってしまったのは、わたくしのせいなのよ……! 全部全部、わたくしが悪いの! ――ああッ、このままだとお兄さまが殺されてしまう……! わたくしのせいで、お兄さまが死んでしまう……」


「……っ」


「……お兄さまが、……お兄さま、……が……」



 ――すると、その瞬間だった。


 全てを言い終わる前に、オリビアの身体がぐらりと傾いたのは。



「――ッ! オリビア様……!?」



 極度の興奮とストレスからか。

 血の気の引いた顔でその場に崩れ落ちるオリビアに、エリスは咄嗟に手を伸ばした。


 どうにか彼女の身体を支えようと、急いで地面を蹴る。



 ――だが。



(間に合わないわ……!)



 そう思ったときだ。


 温室の奥の方向からサッと人影が現れて、気付いたときにはもう、オリビアの肩をしっかりと支えてくれていた。


「大丈夫ですか、オリビア様」と、オリビアに優しい眼差しを向けていた。



(……どうして)


 その人物を視界に映したエリスは、驚きのあまり目を見張る。


 そう。なぜなら、そこにいたのは――。



「……シオン? どうして、あなたがいるの……?」



 この場に絶対にいるはずのない、最愛の弟、シオンだったのだから。


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