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51.オリビアの訪問


 アレクシスがクロヴィスとの手合わせを終えてしばらく経った頃、エリスはエメラルド宮の自室で、シオンからの返事を待ち続けていた。



(遅いわね。まだ戻ってこないなんて、何かあったのかしら)



 エリスは、時間の経過と共に膨らんでいく不安に押しつぶされそうになりながら、窓からじっと、正門の方の様子を伺う。




 エリスがシオンへ宛てた手紙を侍女に預けたのは、三時間以上も前のこと。


 そのときエリスは、遅くとも二時間もあれば、侍女は戻ってくるだろうと考えていた。


 宮から学院までの距離は、馬車で片道三十分程度。


 今日は平日で講義があるとはいえ、業者や外部の研究員が多く出入りする学院では、講義中であろうと生徒を呼び出すことが可能だ。その為、侍女がシオンに会うのは何ら難しいことではない。

 だから、何かトラブルでもない限り、すぐに戻ってくるだろうと。

 

 だが実際は、三時間が経った今も、侍女が戻ってくる気配はない。



(流石に遅すぎるわ。もしかして、シオンはまだ学院に戻っていないのかしら)



 この五日間、アレクシスもセドリックも、シオンについて何一つ教えてはくれなかった。


 エリスが自分から聞かなかったというのもあるだろうが、シオンについてだけではなく、リアムのことやオリビアのこと、そして、エリスの不名誉な噂について今後どのような対応をするのかということさえ、アレクシスは話そうとしなかった。


 エリスはアレクシスのその心を、自分を守ろうとするが故だと理解していた。


「君は何も心配せずに、自分の身体のことだけを考えて過ごしてくれ」


 ――と、ひと月ぶりに再会した五日前の夜、寝台で囁いてくれた言葉の通りに。



 だが、そのときは何の疑いもなく頷いたエリスも、時間が経つにつれ、違和感を覚えるようになった。


 アレクシスを疑うつもりはないし、彼の愛は信じている。

 けれど、本当に自分は何も知らないままでいいのだろうかと、守られているだけでいいのかと、そんな疑問を抱くようになった。



(わかっているわ。殿下はわたしが『知る』ことを望んでいない。それがわたしを守るためだということも、理解はしているつもりよ。……だけど)



『宮の外には出ないでくれ』というアレクシスの言いつけを破るつもりはない。


『シオンの出入りを禁じる』との決め事に、不満を述べるつもりもない。


 この先アレクシスが諸々の事件についてどんな決定を下そうと、理解し、受け入れるつもりでいる。

 それがアレクシスの愛だと信じているから。


 しかし、それでも。

 いや、だからこそ、秘密や隠し事はしないでほしいと思ってしまう。


 アレクシスが何を考えて、どうしたいのか、その心だけでも教えてほしいと、知りたいと願ってしまう。

 守られるだけではなく、アレクシスの心を理解し、共に悩み、支えたいと。


 そう思うのは、自分の我儘わがままだろうか――。




 エリスは時計の針をじっと見つめながら、祖国での古い記憶を思い起こす。


 それはいつだったか昔、婚約者のユリウスに宛てた手紙を、腹違いの妹、クリスティーナに駄目にされたときの記憶。



(……確かあれは、わたしが十二のときだったかしら)



 エリスはその日、ユリウスから届いた手紙の返事をしたため、いつものように侍女へ手渡した。


 そこまでは良かったのだが、侍女がその手紙を出しにいこうとしたところに偶然クリスティーナが通りかかり、侍女から手紙を取り上げたのである。


「お姉さまから殿下に? いいわ、この手紙、あなたの代わりにわたしが出しておいてあげる」と。


 当然、侍女は「困る」と抗議した。


 するとクリスティーナは腹を立て、手紙を侍女の足元に投げ捨てると、手近な花瓶の水を、侍女に向かってぶちまけたのである。


 これにより手紙はずぶ濡れになり、しかもクリスティーナは、それを侍女のせいにしたのだ。



「まぁ、大変! まさか殿下宛ての手紙をずぶ濡れにするだなんて! 不敬にもほどがあるわ!」



 周りの使用人に聞こえるような大声で、クリスティーナが侍女に向かってそう言い放ったことを別の侍女から聞かされたエリスは、はらわたが煮えくり返るかと思った。


 ユリウスへの手紙を駄目にされたことより、自分の侍女を侮辱されたことが許せなかった。

 と同時に、侍女の心に傷を負わせてしまった自身への無力感でいっぱいになった。



 今になってそのときのことを思い出したのは、「申し訳ございません、お嬢様。私のせいで」と、手紙を駄目にしてしまったことを詫びる記憶の中の彼女の顔が、先ほどシオンへの手紙を預けた侍女の様子と、どこか重なるところがあったからだろう。


 ――結局その後、侍女は追い出される形で仕事を辞めることになり、エリスはその侍女から「新しい職が決まりました」との連絡が届くまでの間、自責の念に苦しめられることになったのだ。




(殿下はわたしがシオンに手紙を送ることについて何も仰らなかったけれど、もしかしたら、侍女たちには別の指示を出していたのかもしれないわ)


 例えば、「シオンに手紙を届けないように」だとか、「シオンからの手紙をエリスには渡さないように」だとか。


 あまり考えたくはないが、そうだとしたら、侍女の戻りが遅いことや、手紙を渡した際の応答への違和感にも、説明がつく。



(二度と同じ失敗はしまいと誓ったのに……。あの違和感を、そのままにして行かせるんじゃなかった。わたしの失態よ)


 もし彼女が、アレクシスと自分の異なる命令の板挟みのせいで、戻ってこられないとしたら――そんな思考に陥ったエリスは、罪悪感に唇を歪める。


 とはいえ、悩んでいるだけでは始まらないし、何一つ解決しない。



(ひとまず他の使用人たちに状況を確認して……そのあと、別の人間を学院に向かわせましょう)


 そう考えた、その矢先だ。


 不意に、窓の外――正門の方が、なんだか騒がしいことに気付く。

 エリスの住む南棟からは、角度的に正門は見えないが、明らかにいつもと様子が違う。



(どうしたのかしら……?)


 気になったエリスは、自ら確認するべく部屋を出た。


 部屋の外で待機していた侍女たちからは、


「わたくしたちが確認して参りますから」

「エリス様はお部屋でお待ちください」


 などと止められたが、それらを振り切り、エリスは南棟から本棟を抜け、玄関ホールへと急ぐ。


 するとホールを抜けた先、一台の馬車の前に、宮の従僕らが大勢集まっているのを確認したエリスは、その騒ぎの中心にいる人物の姿に、ハッと目を見開いた。



「……オリビア様?」



 そう。なぜならそこにいたのは、オリビアだったからだ。


 あまりにも突然すぎるオリビアの登場に、エリスはただ純粋に驚く。


(どうして、彼女がここに?)


 そう思うと同時に、オリビアとバチンと目が合って――。



 オリビアは優雅な所作でお辞儀カーテシーをしながら、唇を開く。

 


「突然の訪問をお許しください、エリス皇子妃殿下。本日は無理を承知の上で、殿下にどうしてもお願いしたい儀があり、こうして参った次第でございます。短い時間で構いません。わたくしに、お時間をいただけませんでしょうか」


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