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50.クロヴィスの忠告


 それから少し後、アレクシスは宮廷に併設された訓練場の中心で、兄クロヴィスと対峙していた。


 セドリックやクロヴィスの騎士ら、その他の若い貴族軍人らの観客ギャラリーが固唾を呑んで見守る中、模造刀を正面に構え、クロヴィスと睨みあっていた。



(なるほど。稽古を怠っていないというのは本当だったようだな。現役を退しりぞいて七年経って尚、隙のないこの構え。流石兄上と言うべきか)


 そんなことを考えながら、クロヴィスに問いかける。


「兄上。先ほどの言葉、忘れていませんよね」


 すると、ニコリと口角を上げるクロヴィス。


「勿論だ。お前が勝ったら、例の条件を無くしてやろう」

「絶対ですよ」

「ああ。皇族の名にかけて誓おう」


 

 ◆



『例の条件を無くす』


 それは、先ほど執務室にて、アレクシスがクロヴィスに約束させた内容だった。



「お相手、お願いします、兄上。――ですが、ただの手合わせではつまらないでしょう。どうです? ここはひとつ、負けた方が勝った方の望みを聞くというのは」



 それは、アレクシスが咄嗟に思いついた浅知恵だった。

 チェスは無理でも、剣ならば、と。


 つまり、アレクシスはこの手合わせを利用して、クロヴィスが提示した『立会人を引き受ける条件』を取り下げさせようと考えたのだ。



(確かに兄上は強い。だが、前線を退いて久しい兄上に、負ける気はしない)



 ――生きる伝説。天賦てんぶの才。


 クロヴィスを形容する呼び名は多くある。


 事実、クロヴィスはあらゆる才能に恵まれていたし、アレクシスは剣術でさえ、一度たりともクロヴィスに勝てたことはない。



 だがそれは、アレクシスがまだ幼かったからだ。


 彼がクロヴィスに剣を教わったのは、母親であるルチア皇妃が亡くなるまでの、一、二年の間だけ。


 クロヴィスの実弟であり、アレクシスの異母弟(と言っても年齢は同じだが)の第四皇子ルーカスと、自分。そしてセドリックの三人で、鬼畜とも言えるクロヴィスのしごきに耐えたのは今となってはいい思い出だが、今はそのときとは状況が違う。


 アレクシスは十歳にも満たない少年ではないし、クロヴィスが軍を退役してから、七年もの月日が経っているのだから。




「いかがでしょう、兄上」


 アレクシスは、クロヴィスを挑発的に見定める。


 すると流石のクロヴィスもこれは意外だったのか、何かを考えるように目を細めた。



「ほう? お前が私に勝負を持ち掛けると?」

「はい。俺が勝ったら、例の条件を取り下げてください。決闘には俺一人で臨みます。兄上は、ただ黙って立会人を引き受ける。どうです?」

「…………」



 憧れ、羨望、嫉妬。


 かつて幼いアレクシスが偉大な兄に抱いたそれらの感情は、クロヴィスがたった十五で初陣を飾り、見事勝利を収めた頃からますます大きくなり、気付いたときには畏怖いふへと変わっていた。


 学生でありながら戦場に身を置き、華々しい戦功を上げていく、三つ上の腹違いの兄、クロヴィス。 


 アレクシスは遠くない未来、戦場で兄と肩を並べる日を想像し、同時に、いつか必ず兄を打ち負かしてやると闘志を燃やした。


 それなのに、クロヴィスは十八歳の誕生日を迎えたその日、あっさりと軍を退いた。


 しかもアレクシスがそれを知らされたのは、それから三年後、留学先のランデル王国から戻った後のこと。


 第四皇子ルーカスからクロヴィスの退役を知らされたときの失望感は、今でも昨日のことのように覚えている。



 それ以来、アレクシスは何年にも渡り、クロヴィスを避け続けてきた。


 どうして軍を辞めたのか――と尋ねる気にもならなかった。


 聞いたところで答えないのはわかっていたし、答えを得たところで、クロヴィスが軍に戻ってくるわけでもなかったからだ。

 


 これはそんなクロヴィスと戦える、またとない機会。


 その対決に純粋な気持ちでのぞめないことには後ろめたさを感じたが、それでも、今のアレクシスにはクロヴィスとの手合わせ以上に大切なものがある。



(正直、卑怯だという自覚はある。だが、俺が兄上に勝てるとしたら、これしかない)



 アレクシスは、一歩も引かずにクロヴィスを睨みつける。


 すると、クロヴィスは「ふっ」と小さく声を上げ、さも愉快そうに顔を歪めた。



「余程自信があるようだ。いいだろう。だが、わかっているな? 勝負となれば手加減はしない。お前が負ければ、私の望みを聞くのはお前の方だぞ」


「勿論、承知の上です」


「そうか。ならば受けて立とうじゃないか。少しは私を楽しませてくれることを期待しているよ、アレクシス?」



 ◇



 そして今、アレクシスは剣を片手にクロヴィスを鋭く見つめ――セドリックの試合開始の合図と共に、容赦なく、クロヴィスへと斬り込んだ。










 ――のだったが……。











「兄上……! お待ちください、兄上……!」




 試合開始から十分が過ぎた今、アレクシスは、訓練場から出ていこうとするクロヴィスの背中を追いかけていた。


 その顔を、怒りと屈辱に染めて――。



「兄上ッ! お待ちを……、――おい、待てと言っている!」


 

 アレクシスは、立ち止まりもしないクロヴィスの肩を背後から掴み、力任せに自分の方を振り向かせる。


 するとクロヴィスは、まるでアレクシスをからかう様に、「何だ?」と微笑んだ。


 その小馬鹿にした様な態度に、アレクシスは顔をしかめる。



「それはこちらの台詞だ! 何だ、さっきの戦いは! まさかあのような卑怯な手を使うとはッ!」


「卑怯? いったい何のことだ?」


「とぼけるな! 最後の一撃……あの直前、兄上はあの場にいもしない『エリス』の名を……。あんな戦い、俺は認めない!」



 ――先ほどの試合、押していたのはアレクシスの方だった。


 序盤はスピードとテクニックのあるクロヴィスが優勢だったが、アレクシスが持久力勝負に持ち込み、試合開始から五分経過した頃に形勢が逆転。


 ついにアレクシスがクロヴィスを追い詰め、誰もがアレクシスの勝利を確信した。


 だが――。


 アレクシスがクロヴィスの剣をごうとしたその瞬間、クロヴィスはアレクシスの背後に視線を向け、驚いた様にこう呟いたのだ。



「エリス妃?」――と。



 当然、それはクロヴィスの罠だった。


 けれど、まさかそうとは思わなかったアレクシスは、その声に導かれるまま背後に気を取られ、その隙を狙われた結果、敗北したのである。




「答えろ! なぜあんな卑怯な手を使った!」



 アレクシスは怒りのあまり、クロヴィスの胸倉に掴みかかる。


 周囲の観客ギャラリーが蒼い顔で立ち竦む中、大声で怒鳴り散らす。


「兄上には恥じというものがないのか! あんな手を使って掴んだ勝利に、いったい何の意味がある!」



 ――アレクシスは、手合わせを心底楽しんでいた。


 当然勝利は求めていたけれど、クロヴィスと剣を交えた瞬間、本来の目的を忘れてしまうほどの高揚感に満たされた。


 本気のクロヴィスと戦えることに、強い喜びと興奮を感じていた。


 だからこそ許せなかった。

 

 負けたことにではなく、クロヴィスが卑怯な手を使ったことに。



 ――だがクロヴィスは少しも取り合わず、アレクシスの手を払いのける。



「卑怯? まさかお前は、戦場でもそんな甘いことを言っているのではあるまいな?」


「……! 突然何を……、そんなはずないだろう!」

「そうか? ではお前は私を何だと思った。敵ではないのなら、味方か? 血の繋がりのある兄ならば、正々堂々勝負するはずだと信じたか? ならば認識を改めることだ。私はお前の敵ではないが、味方でもない。そう易々やすやすとお前の踏み台になってやるつもりはないよ」

「――ッ」


 クロヴィスの言葉に、アレクシスは拳を強く握りしめる。



 なぜなら、それが図星だったからだ。


 確かにアレクシスは、クロヴィスを敵とは認識していなかった。どちらかと言えば、味方だと思っていた。


 幼い自分に剣を教え、その後に起きたスタルク王国との開戦時も、自分とセドリックを守るため、ランデル王国に身を寄せられるように手配してくれたのはクロヴィスだ。


 正直、クロヴィスの性格は気に入らないし、不満を上げれば切りがないけれど。

 それでも、アレクシスは心の奥ではクロヴィスを尊敬し、信頼していた。


 だから考えもしなかったのだ。

 卑怯な手を使ってでも、クロヴィスが勝利に手を伸ばす可能性を。



「…………」



 押し黙ってしまったアレクシスに、クロヴィスは静かな声で告げる。



「アレクシス。お前は昔から人を信じすぎるきらいがある。それはお前の長所だが、弱点だ。表面だけを見ていては、いつか足元をすくわれるよ」

「……っ。……それは、どういう――」

「わからないか? では聞くが、もしリアムが私と同じような手を使ってきたら、お前は引っかからない自信があるか?」

「――!」

「私はな、別にお前に、必要以上に人を疑えと言っているわけではない。事実、神聖な決闘という場で、彼がそんな手を使ってくることはまずないだろう。だが、何事も決めつけるのはよくない。彼の表情、言葉、仕草――その裏に隠された心理を読まなければ、お前はきっと、大切なものを失うことになる。これは私からの忠告だ」

「…………」

「では、今度こそ失礼するよ。これから大事な会議があるのでな」


 そう言って、こちらに背を向け歩き出すクロヴィス。


 アレクシスはそんなクロヴィスの背中を見つめ、しばらく呆然としていたが、不意に、何かを思い出したようにクロヴィスを呼び止める。



「兄上!」


「……何だ?」


「俺はまだ、兄上の望みを聞いていない」


 そう。


『負けた方が、勝った方の望みを聞く』――これはそういう勝負だった。


 アレクシスは、未だ納得はしきれていなかったが、それでも負けは負けである。約束は守らなければならない。


 そう思って尋ねたのだが、クロヴィスは『まるで忘れていた』という顔で、あっけらかんと言い放つ。


「あいにく、お前に叶えてもらわねばならないような望みはないのでな。その権利は、いつかしかるべきときに使わせてもらうとしよう」


 ――と、驚くアレクシスをそのままに、「明後日の決闘、楽しみにしている」とだけ言い残して去っていく。



「…………」


(然るべきときだと? いかにも、兄上らしい曖昧な答えだな)



 アレクシスは、そんな兄の背中を睨むような目で見送った。


 皮肉気に顔を歪め、それこそ、一部始終を離れた場所で見守っていたセドリックから、声をかけられるその瞬間まで。




「――殿下。そろそろ定例会議のお時間です」


「……ああ。わかっている」


(にしても、兄上の言った『大切なもの』とはいったい何だ? やはりエリスのことか? ……兄上の言葉は、まどろっこしくてよくわからん)



 アレクシスは大きく溜め息をつき、身をひるがえす。


 そうして、すっきりしない気持ちのまま、訓練場を後にした。

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