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49.決闘の条件


 一方その頃、宮廷のロータリーで馬車から降りたアレクシスは、セドリックを伴い、執務室へと向かっていた。


 すれ違いざまに何か言いたげな視線を寄越してくる貴族たちの目を煩わしく思いながら、長い廊下を早足で進んでいく。



(言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいものを)



 五日前、帝国ホテルからエリスを連れ戻したアレクシスは、第二皇子クロヴィスに決闘の立会人を頼むために宮廷へと上がった。


 すると、やはりと言うべきか、アレクシスを待っていたのは、貴族たちからの好奇の目だった。



「例の件、知ってるか?」

第二皇子クロヴィス殿下は否定されとのことだが」

「そういえば、妃殿下には元々よくない噂がありましたな。婚約者である祖国の王子を裏切ったとか」

「つまり今回のことは、起こるべくして起こったと?」

「殿下と卿は古くから付き合いのある間柄。噂が事実なら下賜される可能性も」

「殿下は女性がお嫌いだからな。ていのいい厄介払いということか」



 同情、哀れみ、侮蔑ぶべつ。そして嘲笑。


 クロヴィスの「口を慎め」という命令の効果か、噂の具体的な内容を語るものは誰一人としていなかったが、それでも、貴族たちの考えは嫌でも伝わってくる。


 アレクシスの女嫌いと、エリスが祖国の王太子を裏切り帝国に輿入れしたという噂。

 それらを今回の件に結び付け、陰で好き勝手言う浅ましい貴族たち。


 アレクシスの人柄を知る者たちは沈黙を貫いていたが、そうでない一部の貴族たちは、むしろこのスキャンダルをたのしんでいる様子を見せた。



 そんな宮廷内の雰囲気は、当然、アレクシスを大いに苛立たせた。


 自分が悪く言われるのは構わない。だが、エリスがざまに言われることは我慢ならなかったからだ。



(口煩いハエどもめ。二度とエリスの名を口にできぬよう、舌を切り落としてくれようか)


 アレクシスは何度もそう思ったが、


「ここで感情的になっては向こうの思う壺です。噂には更に尾ひれがつき、より一層広まるだけでしょう」

 とセドリックに諭され、必死に堪えた。


 それに、この屈辱に耐えなければならないのも、あと二日。


 リアムとの決闘が済めば、全てに決着がつく。それまでの辛抱だ。



(あと二日。……あと二日で、全てを終わらせる)


 リアムとの決闘に勝利し、おおやけの場で罪を認めさせ、エリスの身の潔白を証明する。


 それで、全てが終わるはず。



(エリス、待っていろ。君についてのくだらない噂は、俺がすぐに消してやる)


 と、そう思ったときだ。


 執務室を目前にして、不意に、後方を歩いていたセドリックの足が止まる。


 どうしたのだろうかと振り向くと、セドリックがいつになく神妙な顔をしていた。


「……? どうした、セドリック」

「殿下。ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「ああ。何だ」


 どうにもセドリックらしくない言い方だ。

 いつものこいつなら、言いたいことがあれば確認などせず言うだろうに。


 アレクシスはそんなことを思いながら尋ね返す。


 するとセドリックは目を細め――「決闘の件」と低い声で口にした。


「いつエリス様にお話されるつもりなのですか。決闘はもう明後日なのですよ。まさかクロヴィス殿下から提示された条件を、お忘れではないでしょうね?」


「……!」


 その問いかけに、アレクシスはピクリと眉を震わせる。




 ――五日前、アレクシスはクロヴィスに決闘の立会人になってくれないかと頼みにいった。


 すると、クロヴィスは全てを理解したような顔をして、このように答えた。


「なるほど、くだんけんは彼の仕業だったか。――いいだろう。他ならぬお前の頼みだ、立会人を引き受けよう。ただし、条件がある」と。


「条件……?」


 訝し気に尋ねるアレクシスに、クロヴィスは薄く微笑む。


「決闘には、必ずエリス妃を同行させること」

「――! なぜ……!」

「なぜも何も、彼女はこの件の当事者だ。彼女には全てを見届ける権利がある。――お前のことだ。まだ話もしていないのだろう? 日付は空けておくから、エリス妃にきちんと話をしてから、もう一度来なさい。いいね?」

「……っ」


(見届ける権利だと!? エリスは被害者だぞ……!)


 アレクシスは憤ったが、立会人がいなければ、決闘の正当性を証明できなくなってしまう。


 それだけは避けなければならなかったアレクシスは、仕方なく頷いたのだ。


「わかりました。また来ます」と。



 だが結局、アレクシスは五日が経った今も、エリスに話せないでいた。




「殿下のお気持ちは理解しているつもりです。エリス様を悩ませたくない、血を見せたくない。殿下は私にそう仰った。ですが殿下の実力ならば、血を流さずともリアム様を制圧できるはず。エリス様にもその様にお伝えすれば、何も問題はないでしょう?」


「……それは、確かにその通りだが」

「では、いったい何に悩んでおられるのですか。ご自分でお話できないと言うのなら、私が代わりにエリス様にお伝えしても構いません」

「いや、それは……」

「もしも他に不安要素があるのなら、教えてくだされば対処いたしますし」

「…………」



 アレクシスはもともと、エリスに決闘のことを知らせるつもりすらなかった。


 それはエリスをこれ以上巻き込みたくなかったからであり、また、二度とリアムに会わせたくなかったからでもある。


 何より、真剣を使う決闘は、何が起こるかわからない。


 相手を殺してしまっても罪に問われないがゆえに、決闘中に命を落とす者が後を絶たず、近年は、決闘廃止の議論がされているほどなのだ。


 つまり決闘とは、文字通り生死を賭けた戦いなのである。



 ――そんな決闘を、リアムは申し込んできた。


「決闘ならば、私の首を刎ねられるだろう?」と、自身の命を堂々と差し出して――。


 

(リアムは死ぬ気で俺に挑んでくるつもりだろう。ならば、こちらも本気を出すのが筋というもの)



 そういうわけだから、アレクシスはリアムの息の根を止めるつもりで決闘に臨むと決めていた。

 少なくとも、手足の一本くらいは削いでも仕方がないと考えていた。


 その傷が原因で、リアムが命を落とすことになろうとも。



 だがクロヴィスは、そんな戦いにエリスを連れてこいと言ったのだ。

 

 それはアレクシスにとって、本気を出してはならない、ということと同義だった。



(兄上はエリスを俺の抑止力にし、俺にリアムを殺させないつもりなのだろう。その考えは理解できなくもない。……だが)

 


 リアムの実力がアレクシスに遠く及ばないとはいえ、実際問題、リアムに傷一つ付けないで勝利するのは無理がある。


 それに何より、アレクシスには自信がなかった。


 もしまたリアムがエリスを侮辱するようなことがあれば、自分を止められる自信がない。

 今度こそ我を忘れ、何の躊躇いもなくリアムを斬り殺してしまうかもしれない。


 もしエリスがそんな場面を見たら、きっとエリスは自分を恐れ、今のように接してはくれなくなるだろう。



 アレクシスは、そんな漠然とした不安を抱えていた。


 だが、そんな情けないことを、どうしてセドリックに言えようか。


 言えるはずがない。

 エリスに嫌われるのが怖い、などと、女々しいことを。



(……全く、いかんな、俺は。いい加減、覚悟を決めなければ)



「わかった。今夜話す。だからそう怖い顔をするな」


「本当に話せるんですか? この五日間、あれだけ長い時間一緒にいて話せなかったんですよ? やはり、ここは私が話した方がいいのではないでしょうか?」

「何だ。俺に話せと言っておきながら、お前は俺を疑うのか」

「はい。正直疑っております。明日の朝がきたら、『話せなかった』と落ち込む殿下の未来が想像できすぎて……」


「……お前なぁ」


 真顔のまま冗談らしき発言をするセドリックに、アレクシスはヒクッと口角を吊り上げる。


 ――が、実際のところ、セドリックの予想は当たらずとも遠からず――といったところか。


 話さなければならないから「話す」と言っただけで、本当に話す決意は、まるでできていないのだから。



(ああ、気が重い……)


 アレクシスは、複雑に絡み合う感情に苛立ちを感じながら、ようやく自身の執務室へとたどり着き、扉を開けた。


 すると次の瞬間、ソファに悠々と腰かける兄クロヴィスの姿が目に飛び込んできて、アレクシスは警戒心を募らせる。



「……兄上? なぜ、俺の部屋に……」


 いや、そんなことは聞くまでもない。


 決闘まであと二日。

 きっとクロヴィスは、確認にきたのだろう。


 自分がエリスに決闘の話をしたのか、様子を探りにきたのだ。


 アレクシスはそう予想したが、クロヴィスの口から出たのは、全く別の話だった。


「ここ数日、午後になると執務室からお前たちの姿が消えると聞いてな。仕事そっちのけで訓練場に入り浸っているそうじゃないか。まぁ、気持ちは理解できるが」


「……! ……それは」


 クロヴィスは、扉の前で罰が悪そうに視線を逸らすアレクシスと、この期に及んですまし顔を貫くセドリックを交互に見つめ、ニコリと微笑む。


「そんな顔をするな。どうせあと二日だ、好きにしたらいい。――が、いつも同じ相手では味気ないだろう。今日は、私がお前の相手になってやろうと思ってな」


 その言葉に、目を泳がせていたアレクシスは、ハッと顔を上げる。


「――兄上が、俺の相手を?」


「私が相手では不服か?」

「まさか。幼い俺に剣の稽古をつけてくださったのは、他ならぬ兄上ですから。ですが、兄上はもう何年も剣を握っておられないのでは」

「実戦はな。だが、剣の稽古は今も欠かさず行っている。全盛期ほどとはいかないが、お前の練習相手になってやるくらいはできるだろう」

「…………」

「どうする? アレクシス」



 ”剣舞の天才”と呼ばれ、戦場では一騎当千。スピードと軽やかさで敵兵を翻弄し、まるで舞う様に剣をふるうクロヴィスの姿は、とても美しいものだったと、兵士たちの間では今もなお語り継がれている。


 残念ながらクロヴィスはたった三年で軍を退いてしまったが、もしクロヴィスが軍に残り続けていたら、今のアレクシスの統帥の座は、間違いなくクロヴィスのものだっただろう。



(兄上が……俺の相手を……)


 ――そんなの、答えは一つしかないではないか。



「やります。お相手、お願いします、兄上」


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