47.決闘の約束
それは二人が湯舟から上がって間もなくのこと。
アレクシスは、風呂を出るなりウトウトしだしたエリスをベッドに寝かせた後、セドリックとふたり、執務室のソファに座っていた。
隣室で眠るエリスの様子を気にしつつ、ホテルから戻ったばかりのセドリックから諸々の報告を受けていた。
「――つまり、エリスは間違いなく、リアムから何もされていないということだな?」
「はい。シオン曰く、リアム様が休憩室に入ってからオリビア様が駆けつけるまで、二分と経っていなかったとのこと。それに念のため、エリス様を診察してくださった医師に直接確認を取りましたから。間違いありません」
「……そうか」
セドリックの言葉に、アレクシスはホッと表情を緩める。
正直アレクシスは、今の今まで、『リアムからは何もされていない』というエリスの言葉を信じ切れていなかった。
エリスを疑うわけではないが、薬で眠っていて覚えていないだけで、何かしらされている可能性は捨てきれない。
あるいは、自分の気を鎮めるために嘘をついた可能性だってある――と。
が、オリビアが駆けつけるまで二分となかったというし、何よりセドリックが直接医師に確認したいうのなら、嘘でないのだろう。
(本当に良かった、……エリス)
アレクシスは安堵の息を吐き、気を取り直す。
エリスのこと以外にも、確認することは山積みだ。
――国に帰ったはずのジークフリートが、どうして帝都にいるのか。
ジークフリートとシオンは、今回の件をどこまで把握しているのか。エリスの噂については知っているのか。
それに、何より――。
「それで? オリビアの様子はどうだった?」
――そう。アレクシスが今最も気になっているのは、オリビアのことだった。
そもそもアレクシスは――ホテルからの帰りの馬車の中で――エリスからオリビアのことを聞かされるまで、オリビアがホテルにいたことを知らなかった。
オリビアがリアムを尾行していたことも、図書館でエリスがリアムに休憩室に連れ込まれた際、真っ先にオリビアが駆けつけてくれたことも、エリスから聞いて初めて知ったのだ。
「オリビア様は、わたくしが皇子妃であると気付いていらっしゃいました。お茶会で商家の夫人だと嘘をついたわたくしを少しも責めることなく……助けてくださったのです」
アレクシスはエリスからそう告げられたとき、態度にこそ出さなかったが、内心では大いに混乱した。
「オリビアは、君に何かを要求しなかったか?」
と尋ねてしまうくらいには、自分の知っているオリビアとの違いに困惑した。
その違和感は、
「まさか、要求などと。オリビア様は、わたくしに誠心誠意謝罪してくださいました。ご自身には、何一つ非はないというのに」
とのエリスの答えに、益々大きくなるばかりだった。
だから、そんなオリビアがセドリックにどんな態度を取ったのか、何を語ったのか、どうしても気になったのだ。
「お前から見て、オリビアはどうだった?」
アレクシスは問いかける。
すると、セドリックから返ってきたのは――。
「それが……出ていってしまわれて」
「出ていった?」
「申し訳ありません、私の不手際です。オリビア様が部屋の奥にいらっしゃることに気が付かず、私は『リアム様との決闘』の件を口にしてしまったのです。オリビア様はそれを聞いていらしたようで、部屋を飛び出していってしまわれて。シオンがすぐに追いかけたのですが……結局ふたりとも、戻ってはきませんでした」
「…………」
――決闘。
その言葉に、アレクシスはピクリと眉を震わせる。
アレクシスはリアムの屋敷を出る際、リアムから決闘を申し込まれた。
「君が勝てば私の命をくれてやる。煮るなり焼くなり好きにするがいい。だが私が勝利した暁には、我が願いを叶えてもらう」と。
(……願い、だと?)
アレクシスは不審に思ったが、けれど、怒りに駆られていたそのときのアレクシスには好都合であったし、万に一つも負ける気はしない。
それに、売られた喧嘩を買わない選択肢は、アレクシスの中には存在しなかった。
だから、アレクシスは迷わず答えたのだ。
「いいだろう」と。
とはいえ、正式な決闘には立会人が必要である。
それも、決闘の正当性を証明するために、立会人は当事者と同等かそれ以上の身分の者とされている。
アレクシスは皇族なため、立会人は皇族や王族でなければならない。
すぐには立会人の用意ができないため、決闘の日付は一週間後ということで話がまとまっていた。
――その話を聞いたオリビアが行くところといえば、自分の屋敷しかない。
オリビアはきっと、リアムの無謀な行動を止めようとでも考えたのだ。
一度成立した決闘の約束は、何があろうと無効になることはないというのに。
(シオンが付いていったとは……面倒なことにならなければいいが)
はぁ、と煩わし気な溜め息をつくアレクシスに、セドリックは問いかける。
「ところで、エリス様に決闘の件を――」
お話されましたか、と言いかけて、セドリックは口を噤んだ。
アレクシスの眼光が、恐ろしく鋭くなったからだ。
身動きもできなくなりそうなほどの眼差しに、セドリックは息を呑む。
「エリスには話さない。言えば止めようとするだろうからな」
「……ですが内緒にしたところで、遅かれ早かれわかることです」
「そんなことはわかっている。だが、これはもう決まったことだ。誰にも覆すことのできない決定に口を挟まれたくはない。それに、知ればエリスは悩むだろう」
「…………」
――知れば悩む。
セドリックは、それこそがアレクシスの本音なのだろうと悟った。
リアムがしたことと言えば、結果的に、エリスの不義の噂を流しただけ。だが、それだって何の証拠も残っていない。
そんな状況で決闘が行われることを知れば、エリスは間違いなく自分を責めるだろう。
自分がきっかけで、リアムの命を奪ってしまうことになるかもしれない、と。
アレクシスは、それを危惧しているのだ。
とはいえ、決闘の事実を内緒にするというのは、それ以上の悪手に思えた。
「お言葉ですが、殿下。そのやり方は、将来に渡って禍根を残すことになるかと。今回のような重要な件を秘密にするというのは、信頼を大きく損う原因になりかねません」
「それでも、だ。エリスがこの件を知るのは、全てが終わった後でいい」
「…………」
「そもそも、決闘とは互いの命と名誉を賭けて行うもの。リアムが俺を殺す気でくれば、俺も手加減はできん。お前だって、エリスに血を見せたくはないだろう?」
「……それは、当然です」
渋々ながら納得を見せるセドリックを横目に、アレクシスはソファから立ち上がる。
「着替えを済ませたらすぐに宮廷に上がるぞ。兄上に立会人を頼まなければな」
そう言いながら寝室へ続く扉のドアノブに手をかけて、「ああ、そうだ」と付け加えるアレクシス。
「俺の着替えが終わるまでに、一週間、何があろうとエリスを宮の外に出さないよう使用人に言い含めておけ。それと、決闘の事実を知るシオンを決して宮には入れぬようにと。手紙のやり取りも禁止だ。わかったな?」
「……承知しました」
セドリックは、有無を言わさぬアレクシスの命令を受け入れるほかなく――アレクシスが寝室の中に入っていくのを見届けて――静かに執務室を後にした。