46.愛と嫉妬と独占欲
それからしばらく後、エメラルド宮に戻ったエリスは、広々とした湯舟に太ももまでを浸かりながら、身を硬直させていた。
そんなエリスのすぐ後ろには、こちらも同じく脚だけを湯舟に入れ、エリスの背中を射るように見つめるアレクシスの姿がある。
つまり二人は共に風呂に入っているのだが、未だこの状況が飲み込めないエリスは、緊張と羞恥心のあまり、どうにかなってしまいそうだった。
(確かに、殿下の言葉に頷いたのはわたしだわ。でもまさか、こんなことになるなんて……)
エリスは今にも沸騰しかけた頭で、これまでの経緯を思い出す――。
◆
――「わたくしのこの身体を知るのは、神に誓って、殿下ただおひとりでございます」
エリスが馬車の中でアレクシスにそう告げたのは、今より三十分ほど前のこと。
そのときアレクシスは、エリスの言葉を聞いて何を思ったか、驚きに目を見開いて、少し考える素振りを見せた後、このように言葉を返した。
「そうか。ならば、それを確かめさせてくれないか。君の言葉を疑うわけじゃないんだが……あいつが君に少しでも触れたかと思うと、俺は今にも気が狂ってしまいそうになる。だから、確信がほしい」と。
そう言われたエリスは、いったいどうやって確かめるというのだろう? と不思議に思ったが、アレクシスが安心できるのならば、と承諾した。
するとそれを受けたアレクシスは、エメラルド宮に着くなり、使用人らにこう指示したのだ。
「今すぐ湯を沸かせ。エリスと風呂に入る」と。
しかも、「世話はいらん。全て俺がやる」とまで言うではないか。
当然、エリスの侍女たちや――それまでエメラルド宮で留守番をしていた――マリアンヌは困惑した。
エリスの不義の噂や、リアムとの細かい事情を知らない侍女たちは『アレクシスにエリスの風呂の世話などできないだろう』と思ったし、
おおよその事情を察したマリアンヌは、『アレクシスとエリスを風呂場で二人きりにして大丈夫だろうか』と不安を抱いた。
もしエリスの身体にリアムから受けた何らかの痕跡が残っていたら、それを見たアレクシスは逆上するかもしれない。――妹のマリアンヌがそう考えてしまうほど、リアムの手紙を見つけたときのアレクシスの形相は恐ろしいものだったからだ。
とは言え、アレクシスの言い分も一理ある。
何も知らない侍女たちがエリスの身体に痕を見つけてしまったら、間違いなく大騒ぎになるだろう。
それを瞬時に理解したマリアンヌは、「エリス様の湯あみなら、わたくしがお手伝いしますわ」と自ら申し出たのだが、結局、アレクシスは一歩も譲らなかった。
「不要だ。エリスも承知している」
「……エリス様、それは本当ですの?」
心配そうな眼差しで問われ、エリスは正直返事に困った。
確かに馬車の中で頷きはしたが、まさか一緒に風呂に入るという意味だとは思わなかったからだ。
――正直、一緒にお風呂に入るなど死ぬほど恥ずかしいし、考えるだけで顔から火を噴いてしまいそう。
とはいえ、この状況で否定できるわけがない。
それに何より、アレクシスが安心できるのなら構わない、という気持ちの方が大きかった。
だから、エリスは微笑んだのだ。
「ありがとうございます、マリアンヌ様。ですが殿下の仰るとおり、わたくしも承知の上でございます。何も心配はいりませんわ」
――こうして、エリスはアレクシスと二人きりで風呂に入ることになったのだが……。
◇
(……殿下の体は見慣れているはずなのに、どうしてこんなに恥ずかしいのかしら。殿下の方を、まったく見られないわ)
夜の寝室とは違い、浴室が明るいからだろうか。
慣れた自分の部屋ではなく、アレクシスの部屋の風呂だからだろうか。
それとも、アレクシスと会うのがひと月ぶりだからだろうか。
あるいは、アレクシスの眼差しが、いつも以上に鋭いせいなのか――。
(殿下の視線が、痛い……)
背中を向けているにも関わらず、視姦されているような気分になってくる。
アレクシスの顔も体も見えていない。触られてもいないのに、心臓が脈打って、身体が火照ってしょうがない。
恥ずかしくて恥ずかしくて、何も考えられなくなる。
そんな場合ではないと、わかっているのに――。
「あ……あの、殿下。……やはり、わたくしは一人で……」
羞恥心のあまり、エリスは咄嗟にそう口にした。
けれど当然の如く、アレクシスには却下され――。
「何を今更。君が言ったんだぞ、あいつとは何もなかったと。君はそれをこれから、俺に証明してくれるのだろう?」
「――っ」
ちゃぷ――と、水の刎ねる音がした。
アレクシスの影が背後へと迫る。
水面が揺れる――その振動だけで、エリスの心臓は張り裂けんばかりに音を鳴らした。
「なるほど。確かに背中には何の痕もないようだ」という声に、理由もなく、肩が震えてしまう。
――当然だ、と思いながらも。
リアムとは本当に何もなかったのだから。
確かにエリスはリアムから薬を盛られはしたが、それ以上のことはされなかった。
エリス本人は眠っていたため覚えてはいなかったが、オリビアはエリスにそう証言したし、医者もそれを証明してくれた。
そしてそのことを、エリスは馬車の中でアレクシスに確かに説明し、アレクシスも一度は納得を見せたのだ。
だがそれでもアレクシスは、自分の目で確かめたいと言って譲らなかった。
「さあ、次は前だ。……エリス、こっちを向け」
「……は、い」
以前と変わらぬ、淡々とした低い声。
けれどそこには、確かに緊張と不安、それにリアムへの怒りが混じっているように聞こえて、エリスは胸が締め付けられるような心地がした。
――恥ずかしい。
でもそれ以上に、やっぱり、アレクシスを安心させてあげたくて。
エリスは、ゆっくりと背後を振り返る。
すると否が応でも目に入る、アレクシスの厚い胸板。太い腕。割れた腹筋――と、それから……。
「――っ!」
刹那、エリスは本来の目的を忘れ、咄嗟に両手で顔を覆った。
と同時に、再びアレクシスに背を向けて、バシャンと湯舟にしゃがみこむ。
大きく膨れ上がったアレクシスの一物に、そうせざるを得なかった。
が、アレクシスはそれを許さない。
「隠すな、ちゃんと俺に見せるんだ」
そう耳元で囁いて、エリスの身体を抱き上げる。
そうして、エリスの身体を問答無用で浴室の淵に腰かけさせると、俯くエリスの顔を覗き込んだ。
「怖がるな。君が嫌がることはしない。腹の子に何かあってもいけないからな。――だが」
――顔を真っ赤にして、目を潤ませるエリス。
アレクシスはそんな彼女の頬に鼻を摺り寄せ、そっと唇を落とすと、こう続けた。
「誰が何と言おうと、君は俺のものだ、エリス。君が他の男に何をされようと、周りが君をどう思おうと、俺が君を愛していることは変わらない。君の心も、体も、魂も。この髪のひと房まで、全ては俺のものだということを、決して忘れるな」
「……っ」
その告白に、エリスはハッと目を見開いた。
自分がアレクシスを安心させるつもりだったのに、逆に安心させられてどうするのだ――そんな気持ちで、アレクシスを見つめ返す。
「わたくしも、殿下と同じ気持ちですわ。怖いなどと思うはずがありません。ただ……少し、恥ずかしかっただけで……」
すると、アレクシスもまた驚いたような顔をしたが、すぐに安堵したように目を細めた。
「……そうか。ならば続きをさせてもらうぞ。腹の子のことがあるから挿れるつもりはないが、正直……もう限界なんだ」
そう言って薄く微笑むと、エリスが答えるよりも早く、薄紅色の唇に、深く深く口づける。
「――エリス。二度と、君の体を他の男に触れさせるな」
と諭すように囁いては、自身の痕を刻み付けるかのように、エリスの体に、何度も、執拗に、口づけの雨を降らせていった。