45.再会
気付いたときには、エリスはアレクシスに抱きしめられていた。
「すまなかった、エリス」と。
「もう何も心配はない」と。
どこにも逃がさないとでも言うように、強く強く抱きしめられる。
そんなアレクシスの言動に、エリスは悟らざるを得なかった。
(ああ……殿下はもう、噂の真相を知っていらっしゃるんだわ)
そうでなければ、アレクシスがこんなことを言うはずがない。
ここまで必死になって自分を探す理由がない。
アレクシスの鼓動が早いのは、彼がこんなにも呼吸を乱しているのは、噂を流したのがリアムであることを既に知っているから。
だからこうして、アレクシスは自分に謝っているのだろう。
昨夜ジークフリートが言ったように、『リアムが噂を流した原因は自分にある』のだと、自責の念を感じているのだろう。
「……殿下、……わたくし」
全ては推測に過ぎないけれど。
アレクシスが何を思っているのか、本当のところはわからないけれど。
心のどこかでは、リアムとの関係を疑われている可能性も残っているけれど。
だとしても、今アレクシスに抱きしめられていることは現実で、それだけが、今のエリスの全てだった。
「……わたくし、殿下にお会いしとうございました」
「――!」
「たったひと月ですのに……とても、寂しくて。……毎晩、殿下を思い出して……」
――ああ、いけない。
うっかり涙が零れてしまいそうになる。
声が震えてしまいそうになる。
絶対に泣かないと、アレクシスを困らせることだけは止めようと、そう決めていたのに。
あまりに、アレクシスが優しくて。
「……っ」
エリスは涙を堪えようと、ぐっと奥歯を噛みしめる。
どうにか笑顔を見せようと。
――すると、次の瞬間。
「もういい。何も言うな」
と低い声がしたと思ったら、身体がぐん、と宙に浮き、気付いたときには、アレクシスの左腕一本で抱き上げられていた。
「――っ。で、殿下……何を……」
「大人しくしていろ。話なら後で聞く」
「……っ、……はい」
まさかこの状況で抱き上げられるなど想像もしていなかったエリスは、顔を真っ赤にして俯く他ない。
その一方で、アレクシスは困惑した様子のシオンを睨むように見定めた後、ジークフリートの方を振り返った。
胸倉を掴まれたにも関わらず、いつもと変わらぬ緩い笑みを浮かべるジークフリートを冷えた瞳で一瞥し――有無を言わさぬ口調で、セドリックに命じる。
「俺はエリスを連れて先に戻る。お前は二人から、よく話を聞いておけ」
――と。それだけを言い残し、アレクシスはエリスを抱えたまま、帝国ホテルを後にした。
◇
その後エリスは、アレクシスに抱えられたまま馬車に乗せられ、エメラルド宮へと向かっていた。
けれど、どういうわけだろう。
馬車が動き出していつまで経っても、アレクシスはエリスを膝の上に乗せたまま、腰をガッチリとホールドして離そうとしなかった。
「あの……殿下」
「……何だ」
「そろそろ下ろしてはいただけませんか? わたくし、ひとりで座れますので……」
「駄目だ」
「……? どうして……」
「理由などない。俺が駄目だと言ったら駄目なんだ」
といった具合に、理由すら説明せず、どこか不機嫌そうな顔で窓の外を睨みつけている。
そんなアレクシスを前に、エリスの心には、僅かばかりの不安がこみ上げてきた。
(ホテルでの殿下の声はお優しかったのに、今の殿下は怒っているみたい。やっぱり噂のことを気にされて……? それとも、昨夜の外泊のことかしら。こうして抱きしめてくださるのだから、見限られているわけではないと思うけれど)
エリスはそんなことを考えながら、そういえば、前にも同じようなことがあったな――と思い出す。
そう、あれは忘れもしない、建国祭の日。
川に落ちた子供を助けたその直後、エリスはアレクシスにお姫様抱っこをされたまま馬車に乗せられ、エメラルド宮の自室まで連行されたのだ。
あのときはまだ、アレクシスと気持ちが通じる前で、不機嫌なアレクシスに話しかけるなどとてもできなかった。
――だが、今はもう違う。
エリスは意を決し、アレクシスに問いかける。
「殿下。いくつか、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「殿下は既に、わたくしの噂を聞いていらっしゃるのですよね。では、昨日の図書館でのリアム様とのことは……。それに、どうやって殿下は、わたくしがホテルにいることをお知りになったのですか?」
シオンが宮に送ったという手紙には、図書館で起きたことまでは書かれていなかったはず。
だから、昨日の今日で、アレクシスがその詳細まで知っているとは考えにくかった。
それにそもそも、アレクシスはどうやって自分が帝国ホテルにいることを知ったのだろう。
ホテルでのアレクシスの様子からして、ジークフリートがシオンとは別に知らせを送っていた――という風にも見えなかった。
そう思っての質問だったが、アレクシスから返ってきたのは「そんなことが重要か?」という冷たい声で。
エリスはショックのあまり、息をするのも忘れかけた。
が、アレクシスはすぐに失言に気付いた様子で、「悪い」とすまなそうに息を吐く。
「君があいつの名を出すから、頭に血が上った」
と、エリスの身体を抱きしめる。
――その苦し気な声に、自分を抱きしめる腕の力に、エリスは全てを悟った。
アレクシスは、少なからず噂を信じているのだと。
自分がリアムに手を出された事実があると、そう思っているのだろうと。
だからこその謝罪だったのだ。
(……でも、そうよね。あの噂を聞いたら、誰だってそう思うわ)
気持ちがどうであれ、自分とリアムとの間に、何らかの身体の関係があったと思うのは普通。
つまりアレクシスは、自分がリアムに汚されたと思っている。あるいは、それに近いことをされたと思っている。
だが、そんな事実はどこにもない。
まずは、それを伝えなければ――。
「……殿下」
「…………何だ」
エリスは、自分の肩に顔を埋めるアレクシスの胸板をそっと押し返し、アレクシスの顔を覗き込んだ。
そうして、アレクシスの瞳を真っすぐに見据え、唇を開く。
「わたくし、あの方とは何もしておりませんし、何もされておりません。わたくしのこの身体を知るのは、神に誓って、殿下ただおひとりでございます」