42.セドリックの焦燥
アレクシスの剣先が天を仰ぐ。
廊下から様子を伺っていた使用人たちから悲鳴が上がり、それと同時に、リアムめがけて振り下ろされる鋭い刃。
だが、そんなアレクシスの剣を止めようとする者がいた。
それは、他でもないセドリックだった。
「いけません、殿下ッ!」
セドリックは剣を両腕で支えながら、アレクシスとリアムの間に身体を滑り込ませる。
刹那、ガキィン――と剣がぶつかり合う鋭い金属音が鳴り響き、セドリックの全身に、電撃でも走ったかのような強い衝撃が加わった。
「――くッ」
(……重い。――流石殿下だ。片腕だったら、間違いなく折れていた)
セドリックはギリギリのところでアレクシスの剣を押しとどめながら、アレクシスの殺意に満ちた瞳を、真正面に捉える。
「落ち着いてください、殿下! 我が国では私刑は禁じられています! 私は、殿下が罪を犯すのを見過ごすわけには参りません……!」
そう、アレクシスを説得すべく訴える。
だが、アレクシスは力を弱めなかった。
それどころか、セドリックの剣を力任せにはじき返し、吐き捨てる。
「――ハッ! 俺の罪だと? そんなことはどうでもいい。こいつはここで殺す。もし俺の邪魔をするなら、たとえお前だろうと容赦はせんぞ!」
「……ッ、殿下……!」
(駄目だ。怒りで完全に我を忘れている。――どうすれば、殿下を止められる)
◆
セドリックは今しがた、この屋敷に急ぎ駆け付けたところだった。
――それは今より十五分ほど前のこと。
学院の寮内、シオンの部屋で手掛かりを探っていたセドリックのもとに、マリアンヌの従者がやってきて、蒼い顔でこう言った。
「アレクシス殿下を止めてください!」
「殿下を止める? どういうことです?」
「――実は」
詳しく話を聞くと、マリアンヌの従者は、エリスについての不名誉な噂を知ったアレクシスが、その噂を流したであろうリアムの屋敷に行ってしまったと語った。
そのときのアレクシスがまるで戦地にでも赴くような様子だったことから、マリアンヌの命で、急ぎ知らせにきたのだと。
それを聞いたセドリックは、慌てて馬を走らせたのである。
だが、セドリックがこの部屋の前にたどり着いたとき、既に事態はひっ迫していた。
廊下にまで響き渡るリアムの声――それは確かにリアムの声に違いないのに、まるで別人であるかのように、悪意と憎悪に満ちていたのだ。
「――っ」
(……あの男、――まさか!)
瞬間、セドリックの勘が警鐘を鳴らす。
それ以前の二人の会話を聞いていなかったセドリックでも、リアムが今やろうとしていることに、気付かざるを得なかった。
リアムの目的は、アレクシスに自身を罰せさせることによって、アレクシスに罪を負わせることなのではないかと。
そのために、リアムはアレクシスを煽るような物言いをしているのでは、と。
(まずい、このままでは……!)
セドリックは、ようやく使用人たちを押しのけて、リアムの部屋へと踏み込んだ。
するとその瞬間、セドリックの目に飛び込んできたのは、リアムに剣を振りかぶるアレクシスの姿で――。
「いけません、殿下ッ!」
セドリックは床を蹴り、剣を抜きながら、二人の間に滑り込む。
こうして、何とかアレクシスの第一撃を止めることには成功したのだが――。
◇
(どうにかして、殿下の気を鎮めなければ……)
今現在、セドリックの前には、剣を構え直すアレクシスの姿があった。
リアムを庇ったセドリックに対し、アレクシスは怒りを抑えきれないようだった。
「そこを退け、セドリック。殺されたいのか?」
――と、全身から強烈な殺気を放ち、セドリックを睨みつける。
だが、セドリックは引かなかった。
この国では私刑は固く禁じられている。
それは皇族も例外ではなく、破れば厳しい罰を受けなければならない。
つまり、どうあっても、アレクシスにリアムを殺させるわけにはいかないのだ。
けれども、アレクシスに忠誠を誓うセドリックには、それ以上どうすることもできなかった。
アレクシスの剣を受け流すことはできても、剣を向けることは許されない。
当然、アレクシスの身体に傷をつけるなどもっての外だ。
とはいえ、このまま睨み合っていても、アレクシスが怒りを鎮めることはないだろう。
そう判断したセドリックは、あることを決意する。
(本当は、こんなところで出したくはなかったが……)
今のアレクシスを落ち着かせる方法は、これ以外にない。
セドリックは、冷静さを取り戻すべく息を吐き、剣を鞘に収めた後、アレクシスの前に一枚の絵ハガキを差し出した。
「エリス様の居場所がわかったというのに――こんなところで油を売っていていいんですか?」
「――何?」
その言葉に、アレクシスはピクリと眉を震わせる。
「シオンの机の引き出しに、この絵ハガキが入っていました。殿下なら、見覚えがあるのでは?」
「――!」
瞬間、アレクシスはハッと我に返った。
確かにアレクシスには、その絵ハガキに見覚えがあった。
これは、ジークフリートが親姉弟宛にと選んでいたものだ。
「あいつ、シオンにもこれを送っていたのか……?」
アレクシスはすっかり混乱した様子で、セドリックからハガキを奪い取る。
するとそこには、帝国ホテルの部屋番号と、ジークフリートの愛称が書かれていた。
「……つまり、エリスはこの部屋にいると?」
「ええ、おそらくは」
「あいつ……国に帰ると言っていたのに……どういうつもりで……」
ジークフリートは十日ほど前、演習最終日を待たずにロレーヌを出立していた。
そのときジークフリートは確かに、「国に帰る」と言っていたのに、どうして帝都にいるのだろうか。
アレクシスは疑問に思ったが、エリスの居場所がわかったという今、こうしてはいられない。
アレクシスは剣を収めると、あっさりとリアムに背を向ける。
「セドリック。今すぐ帝国ホテルに向かう」
「承知しました」
「リアム、お前への処分は追って下す。覚悟しておけ」
それだけを言い残し、部屋を後にしようとした。
だが、リアムはそれを許さなかった。
セドリックが駆けつけてからというもの、様子を伺うように反応を殺していたリアムが、不意に動きを見せたのだ。
「待て――!」
そう叫ぶと同時に、リアムは憎しみに満ちた顔で、テーブルの上の手袋をアレクシスに投げつける。
次の瞬間、振り返ったアレクシスの肩に当たり、絨毯の上へと落ちた――その手袋の意味は……。
「拾え、アレクシス。君に決闘を申し込む。――これならば堂々と、私の首を刎ねられるだろう?」
――生死を賭けた、決闘の申し込みだった。