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38.不義の噂


「――何? 宿泊者名簿を出せないだと? ホテル側がそう言ったのか?」

「はい。正式な手続きを踏まない限り、宿泊客の情報は教えられないと」

「なら、例のペイジボーイは」

「門兵に当たらせておりますが、顔を覚えていない上、あの規模のホテルですので……」

「……すぐには見つからん、か」

「申し訳ございません。私はこれから学院に出向き、シオンの部屋に手掛かりが残されていないか探って参ります」

「ああ、頼む」



 翌朝、エメラルド宮内、執務室のデスクにて、セドリックから進捗報告を受けたアレクシスは、大きく溜め息をついた。



 

 アレクシスとセドリックは一晩の間に、手紙を届けにきたペイジボーイの務めるホテルを割り出していた。

 手紙を受け取った門兵が、ボーイの制服の特徴を覚えていたためだ。


 貴族の屋敷に務めるペイジボーイのお仕着せは一般的に黒色だが、手紙を持ってきたボーイの服は濃紺。

 さらに、襟や袖口にブルーのストライプが入っていたという証言から、帝国ホテルの制服だろうと当たりをつけた。


 その情報と、図書館司書の、

『エリスと思われる女性が倒れ、連れの男と休憩室に入ったが、何か騒がしいなと駆け付けたとき、部屋はもぬけの殻だった』

 との証言や、学院からの

『シオンは昨夜から部屋に戻っていない』

 という連絡をもとに、エリスはシオンと共に帝国ホテルに滞在している可能性が高いと判断したのである。


 とは言え二人は、エリスとシオンが帝国ホテルにいるであろうことを、にわかには信じられなかった。


 なぜなら、帝国ホテルは帝国内で最も格式高い会員制のホテルだからだ。


 宿泊施設というよりは社交場の側面が強いホテルであり、身分の保証された王侯貴族でなければ、泊まるどころか施設内への立ち入りも許されない。


 泊まれる部屋やフロアについても、階級によって厳格に区別されており、皇子妃であるエリスならともかく、帝国内で何の身分も保証されていないシオンが泊まれるようなホテルではないのだ。



(それなのに、まさか帝国ホテルに泊まっただと?)


 確かにエリスの身分ならば、宿泊自体は可能だろう。

 けれど図書館に出掛けただけのエリスが、自身の身分を証明する何かを持ち歩いているとは考えにくいし、支払い能力もないはずだ。


 そんな状況で宿泊を申し込もうものなら、このエメラルド宮に連絡が届くに決まっている。

 しかし、未だそんな連絡はきていない。ということはつまり、二人は自分たちで部屋を取ったのではなく、別の誰かの部屋に泊まっているということになる。


 ――だが、いったい誰の部屋に? どんな理由で?


(図書館で倒れたというエリスの体調も気がかりだが、エリスを休憩室に運んだという男はいったい何者だ? 茶髪の長身ということだったが、そんな男は掃いて捨てるほどいる。もしやエリスとシオンは、その男の部屋に泊まっているのか? ……とにかく、帝国ホテルを当たってみるしかない)


 アレクシスは焦りを募らせながら、明朝、ホテル側に宿泊客の名簿を提出するように求めた。


 だがホテル側は、宿泊客のプライバシーを保護する目的で、あっさり断ってきたのである。


 


「――まさか皇族の命令を断るとは……」


 アレクシスは苛立ちを誤魔化すように、ぐっと奥歯を噛み締める。


 アレクシスは、いくら格式高いホテルでも、皇族の命令を断りはしないだろうと考えていた。


 帝国は法と秩序を重んじる法治国家だが、皇族の権力は絶大。名簿の一つや二つ、すぐに提出するだろうと。


 だが、結果はこの通り。



「……クソッ。――エリス……」



 ホテル側に断られてしまった今、アレクシスの頭にはもう、武力での強行突破以外に考えが見つからなかった。


 だが、客観的に見て事件性があると言いきれないこの状況で、他国の王侯貴族らが集まる場所でむやみに武力を行使したらどうなるか。


 自分が責められるだけでは済まない。

 諸外国から、帝国皇族と帝国軍への非難が集まるだろう。


 それだけは、どうあっても避けなければならない。

 つまり今のアレクシスに、できることは何もないのだ。



「…………」


(俺は、シオンを信じて待つしかないのか?)



 ――すると、そう思ったときだった。


 部屋の扉がノックされ、従者の声がする。


第四皇女マリアンヌ殿下がお越しになりました。お通ししてもよろしいでしょうか」



(……マリアンヌ?)


 その名前に、アレクシスはハッと我に返った。


(そう言えば、セドリックがマリアンヌにも連絡をすると言っていたな)


 そもそも、エリスはマリアンヌと会うために図書館に行ったのだ。マリアンヌなら、何か知っている可能性が高い、と。


 きっとマリアンヌは、セドリックからの報せを受け、こうして訪れてくれたのだ。

 


「通せ」



 アレクシスがマリアンヌと最後に対面したのは、三ヵ月以上前の建国祭のとき。


 その後は一度、演習出立前日の第二皇子クロヴィスとのチェス対戦時に壁越しに声を聞いたが、あれからまだ一月しか経っていないというのに、随分前のことのように思える。


 アレクシスはそのときのセドリックの不可解な態度を思い出しながら、マリアンヌを出迎えた。



「よく来てくれた。掛けてくれ」

「……はい」


 事が事だからだろう、マリアンヌの表情は暗い。


 アレクシスの知るマリアンヌは、兄妹相手だろうと決して微笑みを絶やさない皇女のかがみのような女性だが、今日のマリアンヌはまるで別人のように静かなのだ。


 アレクシスはそんな妹の様子に、マリアンヌがエリスについて、何かを知っているのだと悟った。



 アレクシスは執務卓からソファへと移動し、テーブルを挟んでマリアンヌの対面に腰かける。

 すると、マリアンヌは挨拶も早々に、二通の手紙をテーブルに置いた。


「これは?」


 アレクシスが尋ねると、マリアンヌは神妙な顔で瞼を伏せる。


「どちらも、エリス様からわたくしに宛てられた手紙……と言いたいところですが、右の手紙は、エリス様の名を語った別の者からの、いわゆる、偽物ですの」

「偽物だと? どういうことだ」


 マリアンヌの話はこうだった。



 昨日、図書館に向かうためにマリアンヌが皇女宮を出る寸前、このような手紙が届いた。


『急用のため、図書館に行けなくなりました。大変申し訳ございません。 エリス』


 マリアンヌはそれを読み、多少の違和感を覚えたものの、外出を取り止めた。


 だが明朝、セドリックからエリスが帰っていないことを知らされ、慌てて、以前エリスから届いた別の手紙と、筆跡を比べてみたという。

 その結果、別人が書いたものであることが判明したのだ。



 マリアンヌは、二通の手紙の同じ単語をそれぞれ指差し、アレクシスに謝罪する。


「ここ、一見同じに見えますが、Sの形が少々違うのです。……申し訳ございません、お兄様。この手紙を受け取ったとき、すぐに気付いていればこのようなことには……」

「いや、これだけ似ていたら、気付くのは難しい。お前が気に病む必要はない」

「いいえ、そんな風におっしゃらないで。以前のわたくしなら、手紙を受け取ったとき、すぐに気付けたはずですもの」

「以前のお前なら? どういう意味だ」


 アレクシスが困惑気に尋ねると、マリアンヌは意を決した様子で、口を開いた。


「わたくしには、エリス様が外出を取りやめられる理由に心当たりがあったのです。ですから、手紙の出所を疑いませんでしたの」


 マリアンヌは、酷く言いにくそうな顔で、言葉を続ける。


「きっとお兄様のお耳にもすぐに入ると思いますから、お伝えしますが……。一週間ほど前、宮廷内にとある噂・・・・が立ちましたの」

「噂?」

「はい。クロヴィスお兄様がすぐに止めに入ってくださいましたし、今はシーズンオフなので、それほど広まりはしなかったのですが……」

「…………」


(何だ? マリアンヌは、いったい何を言おうとしている?)


 噂について全く心当たりのないアレクシスは、目の前のマリアンヌの態度を不可解に思いながら、答えを待つ。


 そんなアレクシスに突き付けられた、マリアンヌの言葉――それは。


「エリス様が、お兄様以外の男性と通じ……子供を身ごもった……と」


 ――などという、全くもって信じ難い内容だった。


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