34.復讐の布石
同じ頃、シオンは図書館二階で本を物色しながら、エリスのことを考えては繰り返し溜め息をついていた。
(本当は殿下が戻るまで閉じ込めておきたかったけど、先週は少し言いすぎちゃったからな。マリアンヌ様とのお喋りで、多少は気が紛れるといいけど)
アレクシスが演習に出掛けてから一ヵ月。
その間、シオンは心労の連続だった。
エリスが目の前で倒れ、妊娠が判明し、リアムから誘われたお茶会に渋々参加したところ、オリビアからは『これ以上関わるな』と不可解な忠告を受けた。
その理由もわからないうちに、エリスは夜風に身を晒したせいで熱を出し、その理由を問い詰めれば、『オリビアをアレクシスの側妃に』などと言われたものだから、シオンはリアムに殺意を募らせるほど驚いた。
と同時に、この事態を自分一人で抱え込もうとしていたエリスに強い憤りを覚えた。
(この期に及んで姉さんは、僕を頼ってはくれないのか……!)
だから、シオンはつい言ってしまったのだ。
怒りと悲しみに任せ、「そういう気の引き方は好きじゃない」と。
(姉さんには少しもそんなつもりはないって、わかってたのに……)
エリスはアレクシスと出会うまで、人に頼ることを知らずに生きてきた。
その環境は、ランデル王国で差別なく育ってきた自分よりも、ずっと厳しいものだったはずだ。
つまり、エリスにはそういう生き方が染み付いてしまっている。
それを変えるためには、長い時間が必要だ。
(これじゃあ、姉さんの側を離れた意味がない。エメラルド宮を出るとき、僕は決めたじゃないか。いつかちゃんと姉さんに頼られるような、強い男になるんだって。……それなのに、あんなに余裕のない態度を見せたりして……それどころか怯えさせるなんて……最悪だ)
シオンは、そのときのエリスの表情を思い出し、本棚に手をついて盲反する。
――すると、そのときだった。
シオンのすぐそばの廊下を横切る、三人の若いレディたち。
その女性たちの興奮気味の声が、シオンの意識を現実へと引き戻す。
「それにしても、さっきは驚いたわね。あの方、突然倒れられて。心配だわ」
「ほんとうよね。お顔が真っ青だったもの。でも、もっと驚いたのはその後じゃない?」
「ええ、ええ! わたくし、思わず叫んでしまいましたわ。倒れた女性を抱きかかえられて、『どいてくれ。彼女は私の連れだ』って! まるで童話の王子様のようでしたわよね、リアム様ったら!」
「――!」
(今、リアムと言ったか?)
瞬間、シオンは大きく目を見開いた。
何の前触れもなく耳に届いたリアムの名前に、彼の鋭い勘が警鐘を鳴らす。
――まさか、と。
エリスの名前など一言も出ていないというのに、その予感を拭えない。
シオンは堪らず、女性たちを呼び止める。
「……あの! 今の話、詳しく教えていただけませんか? 僕、リアム様の知り合いなんです」
◇
「ついさっき、雑談スペースで女性がお倒れになったのよ。歳はちょうど、わたくしたちと同じくらいの」
「でも、すぐにリアム様が介抱されて。きっとリアム様のいいひとに違いないわ」
「そう言えばあなたの髪色、お倒れになった女性と似ているわね」
「――え、その後? どうかしら。あなたたち、聞いていらして?」
「確か、『休憩室を貸してくれ』って司書に仰っていたわよ」
(――休憩室!)
女性たちから一部始終を聞いたシオンは、一目散に走り出す。
階段を一足飛びで駆け降りて、一階の休憩室へと急いだ。
休憩室は各階フロアの最も奥に設けられているが、エリスが一階で倒れたと言うのなら、使うのは一階にある休憩室に違いない。
途中、すれ違う司書たちから「館内は走らないで!」と注意されるが、その一切を無視し、シオンは走った。
その顔を、怒りに赤く染めて。
(『私の連れ』だと……!? ふざけるな……!)
女性たちの話を聞いたシオンは、ここにリアムがいることが、決して偶然ではないことを確信していた。
なぜなら、リアムは倒れたエリスを抱き上げるなり、野次馬に向かってこう言ったらしいのだから。
「彼女は私の連れだ」と。
それも、恋人や妻でも見るような目つきで。
つまり、リアムは嘘をついたのだ。
その場にマリアンヌらしき女性の姿がなかったとの情報からも、リアムがエリスを狙っていたことは明白である。
(あの男、姉さんに何かしてみろ! どんな手を使ってでも殺してやる……!)
――リアムのこの行動は、『オリビアをアレクシスの側妃に』という提案を断った腹いせか。
それとも、もっと別の理由があるのか。
何にせよ、エリスに何かしたら、ただでは済まさない。
シオンは休憩室付近の司書を捕まえ、エリスとリアムがどの部屋に入ったのか答えを得ると、急いでそのドアノブを回した。
けれど鍵がかかっているのか、何度回しても扉は開かない。
仕方なく、シオンは全力で扉を叩く。
「リアム・ルクレール! ここを開けろ! お前が中にいるのはわかってる! 開けないと蹴破るぞ!」
だが、どれだけ叫んでも反応はない。
(こうなったら、本当に蹴破るしか――)
シオンは助走距離を取るべく、扉から数歩後退する。
すると、その矢先だった。
鍵の開く音がしたと思ったら、一拍遅れて、扉が開く。
そうして、中から顔を覗かせた人物に、シオンは大きく目を見張った。
そこに立っていたのがエリスでもリアムでもなく、オリビアだったからだ。
「……オリビア様? なぜ、あなたが……」
シオンは、予期せぬオリビアの存在に気を削がれる。
けれどそれも一瞬のこと。
次の瞬間には、さぁ――と、顔を青ざめる。
「……姉……さん……?」
なぜならシオンの視線の向こうにあったのは、ソファの上に力なく横たわる、姉の姿だったのだから。