31.絵ハガキ
「うわぁ。君、まだ一文字も進んでいないじゃないか。エリス妃に手紙を書いたことがないって、本当だったんだね」
「……煩い。すぐに書く。少し黙ってろ」
「そうは言うけど……。とりあえず、あまり気負わずに書いてみたらどうだい? こういうのは気持ちだよ。絵ハガキだし、ほんの一言でもいいんだ。『俺は元気にしている』とか、『君が恋しい』とか、何でもいいんだよ」
「…………」
それは港町に着いて約半日が経過した、日の暮れ始める時間帯。
アレクシスは郵便局の外にある記入スペースで、ペンを片手に、眉間に大きく皺を寄せていた。
睨みつけるような視線の先には、まだ一文字も記入されていない、まっさらな絵ハガキがある。
そんなアレクシスの対面には、五枚以上の絵ハガキに記入を終えた、呆れ顔のジークフリートの姿があった。
そう。二人は今まさに、郵便局にて絵ハガキにメッセージを書いているところである。
アレクシスはエリス宛に、ジークフリートは祖国の親姉弟たちに。
だが、慣れた様子でサラサラと文章を綴っていくジークフリートとは反対に、アレクシスは全く筆が進んでいない。
その理由は、アレクシスが人生で一度も、手紙というものをまともに書いたことがないからだった。
(報告書であればいくらでも書けるというに。手紙となると、何を書けばいいのか全くわからん)
アレクシスは、宛先だけが書かれた絵ハガキを見つめ、少し前の自身の発言を悔いる。
こんなことなら、「俺だって手紙くらい書ける」などと、見栄を張るべきではなかった、と。
◆
そもそも、どうして二人が今郵便局にいるのかを説明するには、時を一時間ほど前に遡る。
市場を見学し終えたアレクシス一行は、その後予定通りクロヴィスから指定された貴金属店を順に回っていた。
アレクシスは、宝石に造詣の深いジークフリートから色々とレクチャーを受け、エリスへのプレゼントとして真珠の宝飾品を注文し、それなりに充実した視察を行っていた。
だが、最後の店に向かおうとした道すがら、スリに出くわしたのである。
といっても、狙われたのはアレクシスたちではない。
被害者は別の高級時計店から出てきた妙齢のご婦人だった。
「スリよ! 誰か捕まえて!」
そんな悲鳴が聞こえ、アレクシスらが背後を振り向くと、バッグを胸に抱えた男が人々を押しのけ、こちらに向かってくるのが確認できる。
「どけ!」
と叫び、五人の中で最も弱そうなジークフリートの方へ突っ込んでくるスリを見て、真っ先に動いたのはセドリックだった。
セドリックはジークフリートの身の安全を図るべく、ジークフリートの肩を掴んで自身の後方へと追いやる。
それによってスリへの通路を開ける形になったが、今度はその空いたスペースにアレクシスが立ちふさがり、正面からスリを迎え撃った。
アレクシスがスリを地面に押さえつけるまでにかかった時間は、わずか一秒足らず。
事件はあっという間に解決し、もちろん怪我人はなし、バッグも無事。
スリの身柄はセドリックが警備隊に引き渡しにいくことが決まり、セドリックが戻るまでの間、残りの四人は現場付近で待つことになったのだが、ジークフリートが「ハガキでも書きながら待つっていうのはどうだい?」と言い出しことで、今に至る。
◇
(気の利いた文章一つ書けんとは……情けない)
そもそも、アレクシスは最初、ハガキを書く気などさらさらなかった。
アレクシスの中での手紙とは、『近況報告』あるいは『連絡事項』を伝える『手段』でしかないからだ。
それだって、基本的にはセドリックに代筆させてしまうわけで、自分で書いた経験と言えば、それこそ、セドリックに内緒にしなければならなかったリアムとのやり取りくらいなもの。
だがジークフリートから、「君はどうする? エリス妃へ手紙は送った?」と聞かれ、
「いや。送っていない」と答えてしまったことで、書く方向へと流れが変わってしまった。
「一月も離れているのに、手紙一つ送らないってどうなんだい? まぁ、君の交友関係は営倉なみに狭いからね。手紙なんてまともに書いたことないだろうし、仕方ないか」と冷めた目で見られたからである。
売り言葉に買い言葉。
「俺だって手紙くらい書ける」と言ってしまったが運の尽き。
実際にやったことのないことを突然やろうとしても、上手くいかないのは世の常である。
しかも、目の前にはジークフリートがいるわけで。
書くところを目の前で見られていると思うと、恥が出てくるのか、どうしても筆が進まない。
更に、今書こうとしているのは絵ハガキである。
封書ではなく、絵ハガキ。
封筒に入れない分、手にした者全員に内容を読まれてしまうという危うさを秘めている。
アレクシスは、「はぁ」と溜め息をついて、気分を変えようと視線を上げた。
すると目に映るのは、見渡す限り広がる、夕日に染まりかけた美しいオレンジ色の海。
今いるのは高台なだけあって、まさに絶景だ。
絵ハガキのイラストも、今見えている景色と同じものを選んだ。
エリスの祖国は三方を海に囲まれている。ならば、ここはやはり『海』の絵がいいだろうと思ったからだ。
だがいくらイラストが良くても、メッセージが貧相では魅力が半減してしまうのでは。
今まで一度たりと手紙の文面について悩んだことのないアレクシスが、そんなことを考えてしまうほど、今のアレクシスにとってエリスの存在は大きかった。
ジークフリートは、海を眺めるアレクシスの横顔を興味深そうに見つめ、小さく息を吐く。
「そんなに悩むくらい、惚れてるんだね」
「……惚れ……何だと?」
「もうさ、今の気持ちをそのまま書けばいいと思うよ? 別に、誰に見られたって構わないじゃないか。悪口を書くわけじゃないんだし。愛を伝えるって、とても素敵なことだよ」
「…………」
「じゃあ、僕は書き終わったから、先に出してくるね」
ジークフリートはそう言うと、どういうわけかウインクをかまし、郵便局内へと入っていく。
アレクシスはその背中を見送り、再び絵ハガキへと視線を落とした。
今朝見た悪夢のせいか、一層エリスを恋しく感じる――この気持ちをどう伝えたらいいものか、悩んだ末、ペンを走らせる。
すると、そのときだ。
丁度書き終えたタイミングで、スリを警備隊に引き渡しにいっていたセドリックが戻ってきた。
「殿下、お待たせしました。……それは絵ハガキですか? もしや、エリス様に?」
「……まぁ、な。ジークフリートが、どうしても書けというから」
アレクシスは意味不明な言い訳をしながら、文面を見られないように絵ハガキを裏返す。
すると、セドリックは唇を緩ませた。
「それはそれは……。きっと喜んでいただけますよ。さっそく出しに行きましょう」
「あ、あぁ」
アレクシスはセドリックに促され、中へと入っていく。
――それはあまりにも平和な時間だった。
だから、アレクシスは考えもしなかったのだ。
自分が帝都不在の間に、エリスの身に何が起ころうとしているのかを――。