29.ジークフリートの本意
――"君の初恋がどうなったのか"。
その言葉を聞いたアレクシスは、眉間に大きく皺を寄せた。
(なぜ、こいつがそれを知っている?)
確かにジークフリートには、学生時代にランデル王国で人探しをしていたことを知られてしまっている。とは言え、それがエリスであったことまでは知らないはずだ。
少なくともアレクシスは、エリスと初めて出会ったときのことを第三者に話したことはない。当時のことを知っているのは、セドリックとエリスの二人だけ。
それなのに、どうしてジークフリートは『エリスが初恋である』ことを知っているのだろうか。
眼光を鋭くするアレクシスに、ジークフリートは一層笑みを深くする。
「まぁまぁ、そんなに怖い顔しないでよ。僕は学生時代、ずっと君を近くで見ていたんだ。君の尋ね人の名前が『エリス』であることや、肩に火傷の痕があるということくらい、知っていたって何もおかしくはないだろう?」
「…………」
「だからさ、シオンから『エリス妃を取り戻したい』と相談されたとき、僕はすぐにピンときたんだ。名前や外見的特徴だけじゃない。十年前、シオンが僕の国に連れてこられた時期と、君たちが滞在していた時期がぴったり一致していたからね。――ああ、エリス妃こそが君の初恋の女性だったんだ、君は自力で彼女に辿り着いた、やるじゃないかと感心すらした。なのに蓋を開けてみれば、君はエリス妃の正体に全く気付かず、冷遇しているという事実があるだけ。流石の僕も呆れたよ」
ジークフリートは小さく溜め息をつくと、優雅な所作で椅子から立ち上がり、アレクシスの左胸に、自身の右の人差し指をグっと突きつける。
「僕はね、心から君を応援していたんだ。だからこそ君の愚かさを見過ごせなかった。君がエリス妃を冷遇するなら、シオンの元に返してあげよう――その方がエリス妃も幸せだって。そんな僕を、君は傲慢だと責めるのかい? はっきり言って、君にだけは言われたくないね」
軽い口調ながらも、アレクシスを責めるジークフリートの冷たい瞳。
その声に、その瞳に、アレクシスは言葉を呑み込んだ。
ジークフリートのしたことが許せないのは変わらない。もっとマシな方法はいくらでもあったと断言できる。
けれどジークフリートの言うように、自分のことを棚に上げ、ジークフリートだけを責めるのは何かが違うような気がした。
それに何より、今ジークフリートは『君を心から応援していた』と言った。
アレクシスは、それが何よりも意外だった。
(まさかこいつの行動は、単にシオンの肩を持っただけではなく、俺への情の裏返しだった……とでも言うのか? そんな馬鹿な)
正直信じ難いし、気味が悪い。
そもそもアレクシスは学生時代、ジークフリートを冷たくあしらい続けていたのだ。
つまり、嫌われているならともかくとして、応援される理由など、全く思い当たらない。
「…………」
耳をつんざくような銃声が絶え間なく響き渡る中、アレクシスはジークフリートを正面から見つめ返す。
その心を、少しでも探ろうと。
するとジークフリートは何を思ったか、アレクシスに薄い笑みを投げかけた。
「――とまぁそういう理由で、僕は君がエリス妃と上手くやれているか探りに来たわけだけど……杞憂だったな」
「杞憂、だと?」
そう聞き返すアレクシスに、ジークフリートは残念そうに目を細める。
「ああ。だってそのシャツの刺繍、エリス妃が入れたものだろう? シオンのハンカチの刺繍も見事だったけど、君のそれは比べ物にならない。時間も手間もかかってる。愛されている証拠だ」
「…………」
アレクシスは、突然ジークフリートの口から出た『刺繍』というワードに、いったいいつの間にシャツの襟を見られていたんだ? と訝しく思ったが、そう言えば、先ほど邸宅でジークフリートが姿を現した際、自分はまだ軍服のボタンを留めていなかったな――と一人納得する。
「僕はね、舞踏会で君がエリス妃と踊っている姿を見て、すぐにわかったよ。君はエリス妃に好意を抱いているってね。でも彼女の正体にまでは気付いていない。それならまだシオンにも可能性はあるんじゃないかと思って、帝国に送ったんだ。――でも、そうか。シオンは君に負けたんだね。どうりで、いつまで経っても連絡がこないはずだ」
ジークフリートは、アレクシスにくるりと背を向けると、小さく溜め息をつく。
その背中は、気のせいである可能性の方が高かったが、何かしらの責任を感じている様に、アレクシスには思えた。
「……お前、まさか後悔してるのか?」
あるいは、反省か。
――だが、ジークフリートは否定する。
「後悔? 僕と最も縁遠い言葉だ。ただ僕は、シオンのことを心配しているだけさ。人並みにね」
「――!」
刹那、アレクシスは強い衝撃を受けた。
この男にも、人を心配する心があるのかと。
アレクシスの知るジークフリートという男は、他人の人生を自分の暇つぶしくらいに思っている人間だった。
他人の願いを引き出し、叶え、陶酔させるか、自分の意のままに動く駒とする。
少なくとも、アレクシスから見た学生時代のジークフリートは、そういう人間だった。
だが、本当にそうだったのだろうか。
不意に、アレクシスの中にそんな感情が芽生える。
(正直、俺はこいつを許せないし、許すつもりもない。理解も共感も納得もできん。だが、そもそも俺は今まで少しだって、この男のことを知ろうとしたことがあったか?)
――いや、ない。
学生時代、同じ寮で共に数年を過ごした間柄だと言うのに、アレクシスは一度だって、ジークフリートに自分から声をかけはしなかった。
当時、セドリックから
「ジークフリート殿下はランデル王国の王太子。こうして学園に入れていただいているのですから、せめてもう少し、歩み寄りの態度を示すことはできないでしょうか?」と諫められた際も、
「無理だ。あの男は好かん」と一蹴するだけだったのだから。
それに、だ。
(エリスのことはともかくとして、兄上がジークフリートを国内に入れたということは、こいつが俺に害意を持たないと判断したということだ。つまり、ここでこいつと対立するのは、良い選択とは言えない)
アレクシスは色々と考えた末、やむなし――と決断する。
「おい、ジークフリート。俺は今から街に出る。お前も付き合え」
「――街?」
「ああ。お前はさっき、俺から話を聞きたいと言ったな。エリスのことを教えてやるつもりはないが、シオンのことはセドリックに一任している。知りたいことがあるなら、道中セドリックに聞くがいい」