28.ジークフリートの目的
それからしばらく後、演習場では予定通り射撃演習が開始された。
だだっ広い演習場には、マスケット銃を装備した帝国軍の歩兵隊が横三列で隊列を成し、何百という銃声が絶えず響き渡っている。
そんな中、地上三階部に設けられた演習場の貴賓席には、本来そこにいないはずのアレクシスとセドリック。それに、ジークフリートと近衛二名の姿があった。
仏頂面なアレクシスに対し、やたら上機嫌なジークフリート。――そんな二人を、気まずそうに見守るセドリックと近衛兵。
貴賓席には異様な雰囲気が漂っているが、ジークフリートはそんな空気をものともせずに、アレクシスに話しかける。
「ねぇアレクシス。あの歩兵は全部で何人いるんだい?」
「……帝国軍が七千。他国の歩兵を合わせれば、およそ二万だ」
「二万? へぇ、さすが圧巻だ。的までの距離と精度は?」
「距離は三百フィート。……精度はここ二年で八割まで向上させた」
「八割か、いい数字だ。銃を改良したのかい? よくあるマスケットと変わらないように見えるけど」
「改良と言うほどではないが、銃身にライフリングを――」
アレクシスは苛立ちを必死に抑えながら、ジークフリートの質問に答えていく。
けれど内心では、悪態をつきまくっていた。
(なぜ俺がこいつの相手を……! 兄上はいったい何を考えている……!?)
――と、自分をここに送り出した第二皇子を、忌々しく思いながら。
◆
ランデル王国が王太子、ジークフリート・フォン・ランデルは、アレクシスが学生時代、ランデル王国に留学していたときの学友である。
美しい銀髪とブルーグレーの瞳に、スラっとした細身の体躯。性格は穏やかで良心的。いつも笑顔を絶やさず、国民から愛される理想の王子。
だがそれはあくまで彼の表面的な姿に過ぎず、実際のジークフリートはかなり独善的だ。
彼は『ある者の望み』が彼自身の理に適っていると思えば、それが別の誰かの不利益になろうとも、叶えてしまおうとする。
シオンはそんなジークフリートの甘言に惑わされ、半年前の宮廷舞踏会の夜、エリスを帝国から連れ去ろうとしたのだ。――『姉を返せ』と、アレクシスに迫って。
そのときは第二皇子が駆け付けたからよかったものの、もしクロヴィスが来なければ、国際問題に発展していたかもしれない。
その事件の首謀者であるジークフリートが、何の前触れもなく姿を現した。
それも、関係者以外立ち入ることのできないはずの基地内に、だ。
当然、アレクシスは大いに警戒した。
「なぜお前がここにいる。どうやって入った」
だがジークフリートは、少しも臆することなく答える。
「人聞き悪いなぁ。ちゃんと正面から入ってきたよ」
「正面からだと?」
「うん。今日から演習最終日まで、見学させてもらうことになっているからね」
「見学? 軍人でもないお前が?」
「自国の軍が参加しているんだ。何もおかしくはないだろう? ほら、ちゃんと許可も貰ってる」
と、一枚の書状を取り出して。
――結論、その書状にはこの基地の責任者である第十二師団長のサインが入れられており、ジークフリートの基地内への立ち入りを許可する旨が記されていた。
さらに、申請者の欄にあるのは第二皇子のサイン。
「!?」
(兄上が申請しただと!? しかも、申請日は一月も前……!)
一月前と言えば、アレクシスがクロヴィスから演習参加を命じられた頃である。
つまりクロヴィスは、ジークフリートがロレーヌ基地を訪問することを知りながら、その事実をアレクシスに伝えなかった――どころか、ジークフリートの基地訪問が決まったからこそ、アレクシスに演習参加を命じたということになる。
更に、よくよく内容を見てみると、『ジークフリートの身の安全はアレクシスが保証する』と書かれているではないか。
「――なっ」
(兄上め……! いったいどういうつもりで……!)
アレクシスは怒りのあまり書状を破り捨てそうになったが、寸でのところでセドリックに止められて、今に至るというわけだ。
アレクシスは、隣の席で演習の様子を興味深そうに見下ろすジークフリートに、訝し気な視線を送る。
(兄上の考えていることもわからんが、こいつの考えはもっとわからん。――とにかく今はこいつの目的をはっきりさせなければ。まさか本当に演習見学に来わけではないだろうからな)
そう考えたアレクシスは、単刀直入に問う。
「――で? ここへ来た本当の目的は何だ。今度は何を企んでいる」
「!」
すると、流石に直球すぎたのだろう。
演習場を見下ろしていたジークフリートの瞳が、驚いたように見開いた。その顔がゆっくりとアレクシスの方を向き、パチパチと二度瞬く。
「君、相変わらずだね。僕の近衛もいるのに、気にならないのかい?」
「ハッ。周りの目など一々気にしていられるか。そもそも俺はお前を許したつもりはない。あまり調子に乗っていると、俺に寝首をかかれるかもしれんぞ。口の利き方には気をつけろ」
「――!」
刹那、アレクシスの言葉に反応したのか、近衛たちの空気がピリついた。
が、ジークフリートはすぐさまそれを制し、笑顔でアレクシスに向き直る。
「酷いなぁ。その言い方じゃまるで、僕が悪役みたいじゃないか」
「ならば、自分は正義だとでも言うつもりか? あんな騒ぎを起こしておいて、どの口が」
「まさか。正義だなんて思ったことは一度だってないよ。でもそれは君だって同じだろう? 結婚して一月もの間、君はエリス妃を放置していた。だから僕はシオンの肩を持ったんだ。当然の帰結じゃないか」
「…………」
「僕はね、アレクシス。いつだって最善を探してる。それが誰かの最良ならば、別の誰かにとっての最悪であっても仕方がないと思ってる。大切なのは、当事者の心がどこにあるのかだ。――つまりね、僕がここに来たのは、君に会うためなんだよ。そのためにクロヴィス殿下に頼んで、君をここに寄こしてもらった」
「……何? 俺に会うためだと?」
訝しげに眉をひそめるアレクシスに、ジークフリートは静かな声で続ける。
「そうさ。君に会って直接確かめたかった。あれから君とエリス妃が……君の初恋がどうなったのか。シオンはどうしているのかを、君の口から直接聞きたかったんだ」