24.リアムの憂い
それからは順調だった。
オリビアは笑顔こそ見せないものの、警戒心を解いてくれたのか、二人と多くの言葉を交わした。
「貧血予防の果物は何か」と改めて尋ねるシオンに、
「干しブドウやプルーン。アボカドやイチゴかしら」と答え、
「この温室に果樹が多いのは、何か理由が?」とエリスが問えば、
「お兄様が、小食だったわたくしのために集めたのですわ。過保護が過ぎると思いませんこと?」と、リアムのシスコンっぷりを暴露して、笑いを誘った。
秋の香りに満ち溢れた温室で、淹れたてのお茶を飲み、忖度なしの会話を楽しむ。
それはとても穏やかな時間だった。
特に、オリビアはシオンを気に入ったようだ。
シオンはもともと社交的なタイプであるし、更にオリビアより年下ということもあり、話しやすいのだろう。
それに、リアムとの兄妹仲も悪くない。
先日初めてオリビアに会ったときは、オリビアのリアムに対する接し方はやや事務的に見えたものの、こうして打ち解けてみると、オリビアの言葉の端々からはリアムへの敬愛の念が感じられる。
(何より、オリビア様を見る、リアム様のこの眼差しは……)
――優しくて、温かくて。
それでいて、どこか寂しくて。
その想いはきっと、これから望まぬ結婚をせねばならない、妹の未来を憂うもの。
(リアム様は、オリビア様の身を心から案じているのだわ。望まない結婚だもの、当然よね)
エリスはふと、三日前のシオンの言葉を思い出す。
リアムから届いたお茶会の招待状を読み終えたシオンは、こんなことを言っていた。
「なるほどね。もしこれが本当なら、僕もオリビア様をお慰めして差し上げたいと思う。助けてもらった恩もあるわけだし。でもこれ、やっぱり違和感があるよ」
「違和感?」
「だって、オリビア様は侯爵家の令嬢だろう? なのに相手が子爵家っていうのは、どう考えても釣り合いが取れてない。帝国貴族の侯爵家の出なら、その辺の小国の第二、第三王子に嫁いだっておかしくない身分なのに」
「それは、確かにその通りね」
「まあ、きっとそれなりの理由があるんだろうけどさ」
そこで話は終わってしまったが、エリスはその後もずっと考えていた。
シオンの言った『それなりの理由』とは何だろう、と。
二回りも年の離れた子爵に嫁がねばならないのは、なぜなのだろうかと。
だが、当然答えなど出るはずもなく、そのようなプライベートな内容を、直接尋ねるわけにもいかない。
(それに、結婚はもう決まったこと。今さら周りが色々言ったって、不愉快な気持ちにさせるだけ。……それでも気になってしまうのは、きっと彼女の今の立場が、昔のわたしに似ているからね)
自分は、リアムやオリビアと親しい間柄でもないし、まして親戚でもない。
だから、オリビアの結婚に口出しできる立場ではない。
それでも考えるのをやめられないのは、自分も望まない結婚をしたからだ。
(今でこそ、殿下との仲は良好だけれど……)
そもそも、エリスの結婚は国同士が決めたことであり、そこにエリスの意思はなかった。
それに、式当日のアレクシスとの初夜は『最悪だった』と言わざるを得ない。
それでも、当時のことを思い出しても胸が痛まなくなったのは、アレクシスを愛するようになったからだ。
エリスとアレクシス、双方が歩み寄り、良好な関係を築くことができた結果、今がある。
だがそれだって、一つでもボタンを掛け違えれば、今のような関係は築けていなかった。
シオンが帝国に招かれることもなかったし、女嫌いのアレクシスとの間に、子供ができることもなかったはず。
(わたしが今幸せなのは、殿下の愛を信じられるからだわ。それに今のわたしには、シオンやマリアンヌ様がいてくれる。でもオリビア様は、これから家族と離れて、お一人で嫁がなければならない)
そう思うと、エリスはどうしようもなく胸が痛んだ。
(せめて、お相手の子爵様がよい方であるといいのだけれど)
――そう願った、そのときだ。
不意に、「姉さん?」と名前を呼ばれて顔を上げると、心配そうな顔のシオンと視線がぶつかる。
「……シオン」
「大丈夫? さっきからずっと上の空だけど」
いけない。どうやら思考をトリップさせていたようだ。
「もし具合が悪いようなら――」
シオンは言いながら、エリスの皿をチラリと見やり、眉をひそめた。
サンドイッチが一口も減っていないことに気付いたのだろう。
つまりシオンはエリスの体調不良を懸念したわけだが、エリスの「少し考え事をしてしまっていたみたい」という答えを聞くと、疑いの目を寄こしつつも、フォローを入れてくれる。
「これからアボカドを収穫しにいこうって話してたんだ。そろそろ収穫時期だから、僕らに分けてくださるって。オリビア様が」
「ええ。アボカドは栄養価が高く『森のバター』とも呼ばれておりますの。貧血予防以外にも、色々とお勧めですのよ」
「――!」
まさか、考え事をしている間にそんな話になっていたとは……。
エリスが「よろしいのですか?」と隣のリアムを見上げると、リアムは「どうせ食べきれませんから、お好きなだけ」と笑みを浮かべる。
そんな経緯で、オリビアとシオンは席を立ち、
「では、少々席を外しますわね」
「リアム様。少しの間、姉さんをよろしくお願いします」
と言い残すと、温室の奥へと消えていった。
こうして、さっきまでの賑やかさが嘘のように、辺りが静寂に包まれた――そのときだ。
不意に、リアムが独り言のように呟いた。
「ありがとうございます、エリス様」と。
「……え?」
その声に、エリスはゆっくりと隣を振り向く。
すると、リアムのラベンダーブラウンの瞳が、じっとこちらを見つめていた。
「……リアム、様?」
その瞳は、先ほどオリビアを見つめていたときのように、どこか憂いを帯びていて。
穏やかで、優しくて、けれど、とても寂し気で――。
見つめられるだけで、まるで泣いてしまいそうになる……そんな色。
「…………」
(いったいどうして、リアム様はわたしにこんな目を向けるのかしら)
そもそも、自分は何に対してお礼を言われたのだろうか。
エリスが不思議に思うのと同時に、リアムは柔らかな笑みを湛え、唇を開く。
「あれほど楽しそうなオリビアを見るのは、何年ぶりかわかりません。それに、エリス様は私の招待を受けてはくださらないと思っていましたから」
「……え?」
刹那、エリスは小さく声を上げた。
お礼の理由が、オリビアを楽しませてくれたから、というのはわかる。
だが、招待を受けないと思っていた――というのは、いったいどういう意味だろうか。
「あの……それは、どういう……?」
招待を受けないと思っていたなら、なぜ招待状を送ってきたのか。
そもそも、招待を受けないと思った理由は何なのか。
リアムの言葉の真意がわからず、エリスは戸惑いを見せる。
するとリアムは、そんなエリスの反応を見て、『アレクシスから何一つ事情を聞かされていない』ことを確信したのだろう。
スッと目を細めると、低い声で「やはり」――と呟いた。
そうして今度は、冷めた紅茶のカップにしばらくの間視線を注ぎ――再びエリスを見据えると、こう続ける。
「気分を害されたら申し訳ありません。隠すようなことでもないのでお伝えしますが、オリビアは以前、殿下のことをお慕いしていたのです」