22.リアムからの招待状
エリスの懐妊が判明してから、早七日が経った日の午後。
シオンは辻馬車に揺られ、エリスと共にルクレール家の屋敷に向かっていた。
三日前にリアムから招待を受けた、お茶会に参加するためだ。
――が、せっかくのお茶会だと言うのに、シオンはずっと浮かない顔をしている。
その理由は他でもない。これから開かれるお茶会に、いくつかの心配事があるからだった。
(あっという間にこの日が来ちゃったな。姉さんの体調も気になるし、オリビア嬢や使用人たちに姉さんの正体を悟られないようにしないと……。気が抜けないな)
シオンは――今日は体調がいいのだろう――外の景色を穏やかな瞳で眺める、エリスの横顔を見つめる。
(きっと姉さんは今、『どうやってオリビア嬢と仲良くなろう』とか考えてるんだろうな。姉さんは人を疑うことを知らないから。まあ、それが姉さんのいいところなんだけどさ)
――などと考えながら、一週間前のあの日のことを思い出した。
◆
そもそもの事の発端は一週間前。
悪阻で倒れたエリスがルクレール家の屋敷で世話になった、その帰り際のこと。
オリビアが「兄を紹介する」と言って、一人の男を連れてきた。
すると運の悪いことに、その男――リアムは、エリスの知り合いだったのだ。
「リアム、様……?」
「……あなた、は」
(――! この二人、まさか知り合いなのか!?)
シオンは、お互いを見つめ合う二人の姿に、ドッと全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。
――まずい。もしこのリアムとかいう男が、姉さんの本当の名前を呼んでしまったら全てが終わりだ、と。
だがリアムは、そんなシオンの心配を拭い去るように、オリビアからの「二人はお知り合いでしたの?」という質問に、このように答えたのだ。
「いや。一度、偶然お会いしただけだ。彼女は建国祭のとき、迷子の子供を保護してくださったんだよ」と。
(――!)
つまりリアムは、こちら側の事情を察し、上手く誤魔化してくれたのだ。
シオンは、リアムのそんな咄嗟の判断に心の中で賞賛を贈った。
念のため、帰りの馬車の中でエリスにリアムとの関係を尋ねてみると、
「リアム様は軍人で、殿下の古くからのご友人よ。建国祭で川に溺れた子供を助けたとき、協力してくださったの」と返ってきたことで、安心感は一層増した。
なるほど。アレクシスの友人ならば、きっと下手な詮索はしないだろう。
それに、たとえエリスの懐妊の事実を知ろうと、黙っていてくれる可能性が高い、と。
けれどその四日後、エリスの元にリアムから『お茶会の招待状』が届いたことで、シオンはいくらかの不安を抱くことになった。
◆
「――え? お茶会に招待された? リアム様から?」
「ええ。リアム様とオリビア様、それから、わたしとあなたの四人でお茶をしませんかって。それで、できたらわたしたちに、オリビア様の友人になってほしいと仰っているの」
「友人? 僕らに?」
「そうよ。皇子妃としてではなく、『ランデル王国の商家の夫人、エルサ』と、その弟としてって。――オリビア様がご結婚されるまでの、数ヵ月の期限付きで」
「え? 正体を隠したままで……しかも期限付き?」
「ええ。詳しくは手紙に書いてあるわ。あなたにも読ませていいって。……とにかくわたし、これを読んだらオリビア様のことをとても放っておけなくて……でもシオンはきっと反対すると思ったから、自分の参加の返事を先に出してしまったの。相談しないで決めてしまって、本当にごめんなさい」
「――!」
その日、授業を終えたシオンはエメラルド宮を訪れていた。
十月も半ばのこの季節、午後六時ともなればすっかり日は暮れているが、学院は平日であれど、門限の午後九時までなら外出が認められている。
その為シオンは、アレクシスが出張の間はエリスも不安が大きかろうと、授業が終わるとエリスの様子を見に来るようにしていたのだが……。
エリスの部屋に通されるなり、リアムから届いた手紙について聞かされたシオンは、その突拍子もない内容に困惑せざるを得なかった。
と同時に、既に参加の返事を出してしまったというエリスに、憤りを隠せなかった。
「参加の返事を出したって……でも姉さん、まだ悪阻があるだろう? 途中で気分が悪くなったらどうするんだよ」
「もしそうなったらすぐに退席するわ。それに、気分が悪くなる原因が悪阻だとわかってからは、あまり辛くないのよ。お医者さまも、無理をしなければ外出も構わないと仰っていたし」
「……それは、そうかもしれないけど」
シオンはとても不安になった。
体調のことは勿論だが、正体を隠して会うということは、別人になりきらねばならないということだ。
自分ならともかく、果たしてエリスにそのような器用なことができるだろうか。
(姉さんに商家の夫人なんて役が務まるのか? そもそもは僕が言い出したこととはいえ……もの凄く不安だ)
それに何より、正体を隠して友人になるなど、不誠実極まりないではないか。
もしやエリスは、正体を明かす心づもりなのではないだろうか。
(姉さんの性格なら、十分あり得る)
――が、今聞いてもきっとエリスは答えないだろうし、返事を出してしまったものはしょうがない。
それに、反対されるとわかっていた……と言うくらいだから、それなりの覚悟があるということなのだろう。
(まあ、正体が知られたとしても、最悪妊娠のことだけ隠し通せれば……)
そう考えながら、一応手紙を読んでみたところ、
『オリビアは昔から病気がちで、未だデビュタントすら済ませていないこと』
『友人を作る余裕もなかったこと』
『次のデビュタントで社交界デビューを済ませたら、辺境の子爵家に嫁がねばならないこと』などが記されており、シオンも同情せずにはいられなかった。
(確かに、これが事実だとするなら、オリビア嬢があまりにも不憫だ。姉さんが相談もなしに返事を送ってしまったというのも、頷ける)
シオンは色々と考えた末、結論を出す。
「わかった。僕も行くよ。でもこれだけは約束して。絶対に無理はしないこと。気分が悪くなりそうになったらすぐに僕に言うこと。それから、姉さんの正体を知ってるリアム様はともかくとして、オリビア様とは僕が主に話すから、姉さんはなるべく黙ってること」
「え……、黙ってるって……お茶会なのに?」
「だって姉さん、ランデル語は話せても、文化も歴史もほとんど知らないだろう? 流石にたった三日じゃ、勉強するにも短すぎるし」
「……そうね、わかったわ。なるべく帝国の話題に持っていきましょう。リアム様も、そのあたりは配慮してくださるって仰っているから」
「うん、お願いね」
シオンは、上記のことをエリスに言い聞かせた上で、
「今言ったことを守れなかったら、殿下が戻ってくるまで外出禁止だからね」
と付け足すと、エリスは目をぱちくりとさせたが、前回シオンに心配をかけてしまったことを申し訳なく思っていたこともあり、大人しく頷いた。
こうして二人は、ルクレール家でのお茶会に参加することが決まったのだ。