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18.懐妊の兆しと二度目の再会



「――え? 悪阻つわり……?」



 オリビアに通された客室で、医師から下された診断に真っ先に声を上げたのは、エリスではなくシオンの方だった。



 ――今より少し前、オリビアの屋敷に運び込まれたエリスは、ほどなくして目を覚まし、医師の診察を受けていた。


 なお、オリビアは気を利かせて医師と入れ違いに出ていったため、今部屋にいるのはエリスとシオン、あとはオリビアが手配してくれた、眼鏡をかけた温和そうな男性医師の三人だけだ。



「悪阻ってことは……、つまり……姉さんは……」

「ええ。まだ確定はできませんが、症状と問診の結果からして妊娠初期でしょう。あとは軽い貧血が見られますが、他に異常はありません。あまり心配されずとも大丈夫ですよ」

「……っ」


 男性医師は、狼狽えるシオンを宥めるようにニコリと微笑む。


 するとシオンは途端に緊張の糸が切れたのか、椅子にストン――と腰を抜かし、両手を額に当てたまま、大きく項垂うなだれた。


「あー……なんだよ、もう……」


(……病気じゃ、なかったのか)



 ――シオンは、エリスが『妊娠』の診断を受けるまで、生きた心地がしなかった。


 不安と憤りで、どうにかなってしまいそうだった。

 万が一にでもエリスを失ってしまったらと――そう考えるだけで、心臓が凍り付くほど恐怖したのだ。


 そんなシオンが、『妊娠』という予期せぬ二文字に強い衝撃を受けつつも、エリスが命に関わる病ではなかったことに安堵するのは、当然のことだった。



(でも、そうか……。姉さんが、妊娠……)


 とは言え、思うところは色々とある。


 子供を身ごもったということは、当然その父親はアレクシスに違いなく――エリスとアレクシスのそういう場面・・・・・・を嫌でも連想させる『妊娠』という事実は、シオンにとってとても複雑なことだった。


 何より、第三皇子とはいえ皇族の血を引く子供が生まれると言うのは、政治的に非常にセンシティブな事柄だ。祖国にいる強欲な家族たちのこともひっくるめ、色々と心配は尽きない。


 ――けれど今はそんなことよりも、エリスが無事であったことの方が重要だ。



(そうだ。とにかく……姉さんが無事でよかった。それだけで十分だ)


 その気持ちを伝えるべく、シオンはようやく顔を上げ、精一杯の笑顔をエリスに向ける。

 突然の『妊娠』診断に戸惑いを隠せないエリスを安心させるべく、「おめでとう、姉さん」と、微笑みかける。


 アレクシスが軍事演習で帝都を離れている間だけでも、弟の自分がエリスを守るのだという一心で。


「色々大変だと思うけど、僕、きっと姉さんの力になるから。悪阻のこととか……他にも色々。だから、僕を頼ってよ」

「――!」


 するとエリスは、一度は驚きに目を見開いたものの、「ありがとう、シオン」と表情を和らげてくれた。


「正直、まだ全然実感が湧かなくて……。でも、あなたがいてくれて心強いわ」

「うん。安心してよ、姉さん。僕がついてるからね」



 ◇



「では、私はこれにて失礼させていただきます。近日中に必ず、主治医か専門の医師に診てもらってくださいね。先ほどご説明したとおり、私には確定診断はくだせませんので」

「はい、先生。突然の往診に応じてくださり、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました」

「いえ、医者として当然のことをしたまでですから。では、お大事に」


 その後、医師はエリスとシオンに簡単な妊娠の知識を授けると、礼儀正しく目礼し、退室していった。


 シオンはそんな医師の背中をエリスと共に見送って、内心大きく息を吐く。



 実はシオン、医師から妊娠の説明を聞き、漠然とした不安を抱き始めていた。


『今自分たちが置かれたこの状況は、かなり望ましくないものなのでは』――と。


 その理由は主に二つ。


 一つ目は、妊娠初期は流産の確率が高いこと。

 そして二つ目は、妊娠したのが他の誰でもない、皇子妃エリスであるということだった。


 先ほど医師は、安定期に入るまでは何が起こるかわからないため、一般的にはこのタイミングで周囲に妊娠を知らせることは多くない、と言っていた。

 つまり、妊娠初期のこの段階で、エリスの妊娠を身内以外に知られるのは望ましくない。


 けれど――これはシオン自身が真っ先に懸念したことであるが――皇子妃の懐妊かいにんは国家間の問題であるため、一度広まってしまえば、情報を止めるのは難しくなる。


 そうなれば当然、祖国の家の者たちにも知られることになるだろう。

 だが、もしもそんなことになれば、強欲な父は何をしでかしてくるかわからない。


 つまり、まだ何の手も打っていないこの状況で、エリスが妊娠した事実はどうあっても伏せておく必要があるのだが……。


 ――さて、どうするべきか。



(幸い、オリビア嬢にはまだ僕の名前を伝えただけだ。姉さんの素性は明かしていないし、姉さんの正体に気付いた素振りもなかった。それに、さっきの医者には『客人の体調不良の原因が妊娠であることを口外しない』と確かに約束させてある。彼から屋敷の者へ伝わる可能性は低いだろう。つまりオリビア嬢さえ上手く誤魔化すことができれば、何も問題はないはずだ)


 シオンは、ここまでのことをおよそ数秒で思考すると、「姉さん、僕、考えたんだけど――」と、顔を上げる。


「さっき、先生はこう言っていたよね? 『妊娠初期は、自然流産する確率が小さくない』って。だから、周りにはもうしばらく、妊娠の事実を伝えない方がいいと思うんだ。つまり、この屋敷の人たちにも、姉さんの素性は明かさない方がいいと思うんだけど、姉さんはどう思う?」

「……それは、わたしが皇子妃であることを隠すってこと?」

「うん。幸い、姉さんが皇子妃であることはまだ誰にも気付かれていない。だから、このまま隠し通せればと思ってる。今は殿下もいらっしゃらないし、万が一にでも何かあったらいけないから」

「…………」


 シオンの言葉に、エリスは驚きを隠せないようだった。

 助けてもらった恩人に嘘をつくというのが、どうしても気になるのだろう。


 だが最終的には、シオンの意見を渋々ながらも承諾してくれた。



 こうして二人は、自分たちの素性をランデル王国の商家の夫人とその弟という設定にし、無事オリビアを誤魔化すことには成功したのだが――。



 その後、帰りの身支度を整えたエリスとシオンの元に、「兄が帰宅したので紹介しますわ」とオリビアが一人の青年を連れてきたことで、事態は一変した。



 青年は、エリスを一目見て硬直する。


「……あなたは」と。


 そしてまた、エリスもハッと目を見張った。


「……リアム、様?」



 ――そう。

 なぜならオリビアの兄とは、エリスが建国祭で溺れた子どもを救助した際の協力者であり、アレクシスの旧友でもある、リアム・ルクレールだったのだから。

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