表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/100

17.エリスの不調


 ――それは二人がそろそろ公園から出ようというときのことだった。



「姉さん。送っていく前に、少し腹ごしらえしてもいい?」

「いいけど、腹ごしらえって?」

「寮の夕食までまだ時間があるからさ。何かお腹に入れておきたいんだ」


 そう言われたエリスがシオンの指差す方へ視線を向けると、そこには一軒の屋外売店があった。

 看板のメニューには、飲み物やサンドイッチ、ドーナツ、フレンチフライなどが並んでいる。


(シオンは食べ盛りだものね。そういえばエメラルド宮にいた頃、殿下と同じくらいの量を食べていた気がするわ)


 シオンの現在の身長は170センチに満たないが、きっとまだまだ伸びるのだろう。


 そんなことを考えながら、エリスはシオンと共に売店に向かう。


 そうして、列に並んだまでは良かったのだが――。



「……っ」

(何かしら。……何だか、急に胃がムカムカするわ)


 列に並んですぐ、エリスは突如として、言いようのない気持ち悪さに襲われた。


 売店から漂ってくる油の匂いのせいだろうか。


 最初はすぐに収まるだろうと考えていたエリスだが、その気持ち悪さは収まるどころか酷くなり、ものの一分も経たないうちに強烈な吐き気へと変わっていく。


 そこでようやく、エリスは自身の身体の異常に気が付いた。

 明らかに、何かがおかしい、と。


(……吐き、そう)


 気持ちが悪い。頭が痛くて、耳鳴りがする。

 目の前がくらくらして、今にも倒れてしまいそうになる。


 ――とにかく、気分が悪い。



(……急に、どうしたのかしら)



 さっきまでは何ともなかったのに、いったい自分はどうしてしまったのだろう。


 エリスは、込み上げる吐き気と、段々と遠ざかる意識の中、自身の異常を伝えようと、半歩前に立つシオンの腕に必死に手を伸ばした。


 本当は名前を呼びたかったが、声を出せばたちまち、えづいてしまいそうだったからだ。


(……シオ……ン) 


 エリスの右手が、何とかシオンの腕を捉える。

 けれどもう、限界だった。


「……っ」

(ああ……もう、無理……)


 どうにかシオンの腕を掴んだまではいいものの、最早立っていることもままならず、エリスはズルズルとその場に崩れ落ちる。


 するとシオンは、腕を掴まれたことでようやくエリスの異常に気が付いて、ギリギリのところでエリスの身体を抱き留めた。


 ――が、そのときにはもう、エリスは意識を手放した後だった。



「……姉さん?」



 瞬間、シオンはさぁっと顔を青ざめる。


 腕の中で力なく項垂うなだれるエリスの姿に、シオンは全身の血の気が引くのを感じた。


「姉さん……? ねえ、どうしたの? ……姉さん、――姉さんったら!」


 慌てて声をかけるが、エリスは小さな呻き声と共に瞼をわずかに震わせただけで、目覚める気配はない。


「――ッ!」

(どうしよう、どうしたら……)


 シオンは焦りと恐怖のあまり、地面に膝を着けた体勢のまま、ブルブルと身体を打ち震わせる。


(……とにかく、病院。……そう、病院に……。でも、ここから一番近い病院って……)


 シオンはエリスの身体を抱き締めながら、図書館周辺の地図を必死に思い浮かべようとした。


 けれど、どうしても上手くいかない。覚えたはずの地図なのに、少しも思い出すことができないのだ。


「……くそッ」



 もしも倒れたのがエリス以外の人間だったなら、シオンはいくらでも冷静に対処できただろう。

 周りに協力を求めるなり、容態を正しく観察するなりできたはずだ。


 病院の場所だって、辻馬車の御者に「一番近い病院に向かってくれ」と伝えれば済む話。


 けれどエリスのこととなると、シオンは全く冷静さを保つことができなかったのである。



「姉、さん……っ」

(肝心な時に、僕は何て役立たずなんだ)


 終いには、あまりの恐怖に、ガクガクと手足を震えさせる始末。

 こんな状態では、エリスを抱えて馬車を捕まえることすら、ままならない。



 ――けれど、そんなときだった。


 まるで救世主と言わんばかりに、人だかりを掻き分けて、一人の少女が駆け付けてきたのは。



「道を開けなさい!」


 と、声を張り上げてシオンの前に現れたのは、明らかに貴族の装いをした一人の少女だった。


 ラベンダーブラウンの髪と瞳に、陶器のようにつるりとした白い肌。猫のようなくりっとした瞳。

 薄紫色の美しいドレスを身に纏い、白いレースの手袋をしている。年齢はシオンと同じほど。


 一見、深遠の令嬢にしか見えない彼女は、けれどその愛らしい見た目とは裏腹に、開いたままの日傘を無造作に投げ捨てて、エリスの前で素早く腰を落とした。


 そしてエリスの脈と呼吸を確認するような素振りを見せると、呆気にとられるシオンを、睨むように見据える。


「見たところ、脈も呼吸も問題ないわ。だから、そんなに狼狽うろたえるのはおやめなさい」

「……っ」


 思わず震えが止まるほど力強い瞳で見つめられ、シオンはますます呆気に取られる。


 いったいこの女性は何者だろうか、と。

 

 そんなシオンに、少女は諭すような声で続けた。


「でも顔色が悪いから、すぐにお医者様にお診せした方がいいわ。わたくしの屋敷が近いから、そこに運びましょう。――アンナ!」

「はいっ、お嬢様……!」

「あなたは先に行って、辻馬車を二台止めてらっしゃい。一台にはわたくしとこの方たちが乗るから、あなたはもう一台の馬車で、先生を呼んで屋敷に連れてくるの。できるわね?」


 ようやく追いついてきた侍女は、主人の命令にコクリと頷き、放り捨てられた日傘を回収した上で、通りの方へ一目散に駆けていく。


 少女はそんな侍女の背中を見送って、再びシオンを見据えた。


「あなた、名前は?」


 強い口調で尋ねられ、シオンは言われるがまま答える。「シオン」と。


 すると少女は、「シオンね。わたくしはオリビア。オリビア・ルクレールよ」と名乗りながら立ち上がり、シオンを遠慮なく見下ろした。


「ほら、あなたも早くお立ちなさい。それとも、わたくしの手助けが必要かしら?」

「――っ」


 その挑発的な口調にプライドを刺激されたシオンは、ようやくいつもの冷静さを取り戻す。


 今はほうけている場合ではない、と。


「いいえ、結構です。僕一人で運べます」


 シオンは今度こそはっきり言い切ると、エリスを腕に抱えて立ち上がる。


 そうして、オリビアの侍女が止めた馬車に飛び乗ると、オリビアの屋敷へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ