16.シロツメクサの花冠
シオンの提案で外を歩くことにしたエリスは、本の貸し出し許可を得てから、侍女の元に向かった。
本を手渡し、「これからシオンと少し外を散歩しようと思うの。どれだけかかるかわからないから、あなたは先に戻っていいわ」と伝えると、侍女は戸惑いを見せたものの、
シオンの「姉さんは僕が責任もって送り届けるから、安心して」との言葉に納得し、ひとり帰っていった。
二人は図書館を出ると、図書館裏に広がる広大な公園の遊歩道を並んで歩いた。
今日は週に一度の休日のため、子供からお年寄りまで沢山の人たちが利用している。
遊具はないが、広場では子供たちがボール遊びをしたり、人工の小川で生き物を探したり、思い思いに遊んでいる。
遊歩道に沿って設置されたベンチでは、日傘を差した女性たちがおしゃべりに興じていた。
「本当にいいところね。今日は風も気持ちがいいし、絶好の散歩日和だわ」
エリスの言葉に、シオンが頷く。
「そうだね。こうやって姉さんと歩いていると、昔のことを思い出すよ。母さんが生きてた頃は、よく三人で散歩したよね」
「そうね、懐かしいわ。海が近かったから、夏は毎日のように浜に出て。お母様は自然を愛していらっしゃったから、一緒に海にも潜ったわよね」
「うん、よく覚えてる。父さんは『野蛮だ』っていい顔しなかったけど、自分で捕まえた魚を焚火で焼いて食べたのは、すごくいい思い出だよ。塩しか振ってないのに、すごく美味しくてさ。感動したなぁ」
そう言って懐かしそうに目を細めるシオンに、エリスの心には、嬉しさと同じくらい、切なさが込み上げた。
(実際のところ、シオンは祖国についてどう思っているのかしら……)
シオンは宮廷舞踏会の夜、「祖国のことなんてどうだっていい」と言ったけれど、本当は違うのではないか。まだ彼の中には祖国を愛する気持ちが残っていて、祖国に帰りたいと、そう願っているのではないか、と。
だとしたら、自分はシオンに何をしてあげられるだろう――。
エリスがそんな風に考えていると、シオンが突然遊歩道を外れ、芝生の中に入っていく。
そして地面に座り込むと、何やらいそいそを手を動かし始めた。
いったい、どうしたというのだろうか。
「シオン?」
不思議に思ったエリスは、シオンに近づいていく。
するとシオンは、シロツメクサで冠を編み始めていた。
「あなた、それ……」
「うん。姉さんが、母さんと一緒によく編んでた冠だよ。あの頃は僕、上手く作れなくてさ。でも、今は作れるようになったんだよ」
「……そう。懐かしいわね」
シオンの言葉に、幼い頃の記憶が蘇ってくる。
明るく朗らかで、いつも笑顔を絶やさなかった母親の姿が――彼女と過ごした幸福な日々が、次々に蘇る。
その思い出をなぞるように、エリスも芝生にそっと腰を下ろし、シロツメクサに手を伸ばした。
(こうして野草に手を触れるのは、何年振りかしら……)
エリスは、母親が死んで以降、自然と触れ合うことなく生きてきた。
庭園の薔薇を愛でることは許されても、地面に座り込むようなことは許されない。海に潜ることも、駆け回ることも、『淑女らしくない』からという理由で、すべてが禁止されたからだ。
けれど今、ここでは何もかもが自由。
誰一人として、エリスの行動を咎める者はいない。
(ああ。わたし今、とても幸せなんだわ)
アレクシスに愛され、シオンに慕われ、マリアンヌとも良き友人関係が築けている。
かつてユリウスにだけ縋って生きていたあの頃とは、何もかもが変わった。
ここには、ちゃんと自分の居場所がある。
だから祖国に帰りたいとは思わない。父親に会いたいとも、少しも思わない。
けれど、シオンはどうだろうか。『祖国のことはどうでもいい』と言ったあの言葉は、果たして本心だったのだろうか。
シオンは今、ちゃんと幸せなのだろうか。
――すると、エリスがそう考え始めた矢先だった。
「できたよ、姉さん!」と無邪気な声が聞こえ、エリスはハッと顔を上げる。
するとそこには、完成した花冠を手に、誇らしげな顔をするシオンの姿があった。
まるで子供のような笑顔に、エリスの心はキュンと締め付けられる。
――にしても、なんと出来のいい花冠だろうか。同じ大きさの花が、見事に隙間なく編み込まれている。これは相当の手練れだ。
心から感心したエリスが、「まぁ、本当に凄いわ、あなたって器用だったのね!」と褒め称えると、
シオンは本気か冗談かわからない顔で、「一時期は暇さえあれば、姉さんの顔を思い浮かべて編んでいたからね」と口角を上げ、こう続けた。
「姉さん。僕の冠、受け取ってもらえますか?」
その問いに、エリスが「勿論よ」と微笑むと、シオンはエリスの頭にそっと冠を被せ、満足げに笑みを深める。
「うん。すごく似合ってる。やっぱり姉さんは何でも似合うな。流石、僕の姉さんだ」
「ふふっ、そうかしら?」
「そうだよ」
――こうして二人は晴れ渡る秋空の下、穏やかな時間を過ごすのだった。