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15.姉心


 帝国図書館に着いたエリスは、借りていた本を返却してから、待ち合わせ場所の談話スペースへと向かった。


 談話スペースとは、会話OKの読書スペースのことだ。図書館内の本は何冊でも持ち込み可能で、飲み物や軽食も注文可能な、読書カフェ的な場所である。


 区画は貴族、中産階級、労働者用と三つに区切られているが、貴族でここを使う者はほとんどいないため、待ち合わせ場所には最適だった。



「ではエリス様。わたくしはいつも通り、こちらで待たせていただきますので」


 談話スペース入口の外側で、侍女はいつものように待機する。

 貴族専用のスペースには、侍女と言えど立ち入れないためだ。


「ええ、戻ったら声をかけるわね」


 エリスは侍女と別れると、係りに案内された貴族用のスペースで、マリアンヌの姿を探した。


(マリアンヌ様は、もういらしているかしら)


 すると一番奥の人目につかないテーブルに、マリアンヌの美しい横顔を見つける。


「マリアンヌさ――」

 ――が、声をかけようとして、エリスは足を止め、同時に言葉を呑み込んだ。


 マリアンヌが、とても楽しそうに会話していたからだ。それも、エリスのよく知る人物と。


(あれって……)

「……シオン?」


 ――そう。その相手とは、紛れもないシオンだった。

 一月以上前に突然宮を飛び出していった、愛する弟に違いなかった。


(どうして、あの子シオンがここにいるの?)


 いったいこれはどういう状況だろうか。というより、この二人は知り合いだったのだろうか。――いつの間に?


(それに、シオンのあの顔……。マリアンヌ様相手にとても堂々として……まるで……)


 マリアンヌの対面に座り、皇女相手に一切臆することなく談笑するシオンは、エリスの記憶の中の甘えん坊の弟とはまるで別人だった。


 そんな弟の姿に困惑しながらも、エリスはテーブルに近づいていく。

 すると、マリアンヌが真っ先にエリスに気が付き、「ごきげんよう、エリス様」と、いつもと変わらぬ美しい笑みを浮かべた。


 エリスがそれに答えると、今度はシオンが穏やかに微笑む。


「姉さん、一月ぶりだね。会えて嬉しいよ」と。


「……っ」


 その笑顔は、まるであの日のことなど全て忘れてしまったかのような、吹っ切れた笑みだった。

 あの夜以降、エリスから音沙汰がなかったことに拗ねる素振りはなく、また、自分がエリスに連絡をしなかったことに、罪悪感を抱いている様子もない。


 そのどこか余裕さえ感じるシオンの態度に、エリスは寂しさを抱かずにはいられなかった。

 シオンはもう、自分には甘えてくれないのだと――。


(ああ、殿下の仰っていたとおりだわ。この子はもう、子供ではないのね)


 けれど、寂しさを感じる以上に、安堵を覚えるのもまた事実。

 アレクシスから話を聞いただけではわからなかった、『シオンは心配ない』という言葉の意味が、ようやく腹の底に落ちた気がした。


 エリスはシオンを真っすぐに見据え、微笑み返す。


「そうね、わたしも嬉しいわ。あなたが元気そうで、本当に良かった」



 ◇



「――え? じゃあ、マリアンヌ様とは知り合いというわけではないのね?」

「違うよ。お会いするのも言葉を交わすのも今日が初めて。ロビーで本を返却してたら、突然声をかけられたんだ。姉さんとそっくりだって。――確かに髪と目の色は同じだけど、僕が姉さんと似てるだなんて考えたこともなかったから、すごく驚いたよ」

「まぁ、そうだったのね」


 それから少し後、エリスはどういうわけかシオンと共にロマンス小説の棚にいた。

 そこには、本来いるはずのマリアンヌの姿はない。


 というのも、マリアンヌはエリスと軽い挨拶を交わしたあと、すぐに帰ってしまったからである。


「あら、いけない。わたくし急用を思い出しましたわ。エリス様、申し訳ないけれど、本はまたの機会に」と言い残して。



 エリスは、優雅に去っていったマリアンヌの後ろ姿を思い出す。


(マリアンヌ様はきっと、以前わたしがシオンの話をしたことを覚えてくださっていたのね。それで、気を遣ってくださったんだわ)


 エリスは一月ほど前、シオンが宮を出て行ってしまった際、マリアンヌにシオンのことを相談していた。

『弟が何を考えているのか、わからない』と。


 その時はこれといって解決策は見つからなかったが、マリアンヌは真摯に話を聞いてくれて、エリスの心は随分と軽くなったものだ。


 マリアンヌはきっと、その時からずっと、シオンのことを気にしてくれていたのだろう。


(本当にお優しい方だわ)


 そんなことを考えながら何冊か本を見繕っていると、シオンが手近な本をパラパラとめくりながら、珍しそうに言う。


「へえ。姉さんってこういう本も読むんだね。全然知らなかった。僕がエメラルド宮にいたときは、もっと硬い本ばかり読んでいただろう? もしかして、僕に気を遣っていたの?」


 そう問われ、エリスははた・・と気付く。

 確かに、シオンの前では読まないようにしていたな、と。


「ええ、そうね。何だか、あなたの前では読んだらいけないような気がして……。どうしてかしら」


 エリスが答えると、シオンは「ふーん」と呟き、意味深に目を細める。


「なるほどね。姉さんの中の僕って、やっぱりそういう感じだったんだ。でも、今はそうじゃないんだね?」

「え……? ええ。確かに今は平気だわ。ロマンス小説を読むようになったのはこっちに来てからだから、あのときはまだ、恥ずかしい気持ちもあったのかもしれないわね。実家には、こういったものは置いていなかったから」

「――実家、か。……まぁ、そうだよね。父さんは・・・・、こういうのは嫌いだろうからな」

「……?」


 刹那、突然シオンの口から出た父親の存在に、エリスは小さな違和感を覚えた。

 それに今、一瞬シオンの声が沈んだ様に聞こえたのは、気のせいだろうか。


 とは言え、確かにシオンの言葉に間違いはない。

 エリスの実家には、文学的な、あるいはおとぎ話的な小説本はあれど、ロマンス小説のような本は一冊たりと置いていなかった。


 父親が、『低俗』だとして、大層嫌っていたからだ。


(図書館で読もうにも、大衆向けの棚には近づくことすら禁止されていたのよね)


 エリスは、かつての息苦しい日々をまるで遠い昔のことのように思い出しながら、シオンに声をかける。


「ねぇシオン。わたしの借りる本は決まったけれど、あなたは何も借りなくていいの? 何か目当ての本があるなら、探すのに付き合うわ」


 するとシオンは、手にしていた本を棚に戻しながら、「僕はいいよ。今日は返しにきただけだから」と言って、こう続けた。


「でも、姉さんさえ良ければ、この後少し時間を貰えないかな? 偶然とはいえ、せっかくこうして会えたんだ。もう少し一緒にいたい」

「……!」

「ね、いいでしょう? 姉さん」


「…………」

(まぁ、シオンったら……)


 その甘えるような声と仕草に、エリスは途端に姉心あねごころを刺激される。

 大人になったと思ったら、こうして甘えてくるなんて、我が弟はなんと魔性なのだろう。


 エリスは、特に断る理由もなかったこともあり、シオンの誘いを受けることにした。


「ええ、勿論いいわ。あなたの気が済むまで、一緒にいましょう?」


 そう言って微笑むと、エリスはシオンと二人、並んで歩き出した。

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