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1.アレクシスの悲劇

読者の皆さま、当作品をお読みいただきありがとうございます! また、スター、ポイント、いいねなど、沢山いただきまして本当にありがとうございます…!


ここから第二部となります。

第二部は、一部で投げっぱなしだった伏線など回収しつつ、エリスとアレクシスの仲を深めていく予定です。

一部に比べシリアス強めのところもありますが、ハッピーエンドは確約させていただきますので、安心してお読みください。


では、第二部開始させていただきます。よろしくお願いします。


 それは建国祭から約一月が過ぎた、八月の暑い日の午後のこと。

 アレクシスは執務室の机に突っ伏して、ブルブルと身体を打ち震わせていた。



「もう二週間だぞ……! 二週間、俺はエリスに触れていない! 欲求不満ストレスで気がおかしくなりそうだ!」

「…………」

「おい、聞いているのか、セドリック! お前、一刻も早くあの男シオンを何とかしろ! このままでは仕事が手につかん!」


 彼はくわっと目を剥いて、セドリックに苛立ちの言葉を投げつける。

 するとセドリックは今日何度目になるかわからないその台詞を聞き、やれやれと溜め息をついた。



 ◆◆◆



 アレクシスの悲劇は二週間前、シオンが予定より三週間も早く帝国を訪れたことから始まった。


 ある日の夕方、アレクシスがいつものように仕事を終えエメラルド宮に戻ると、どういうわけかシオンがいて、エリスと共に自分を出迎えたのだ。 


初めまして・・・・・義兄上あにうえ」と。


「……!?」


 刹那、いるはずのないシオンの姿を目の前にしたアレクシスは、当然のごとく絶句した。


 シオンが留学してくることは決まっていたし、エリスにもそれは伝えていたが、高等教育機関グランゼコールの新年度は九月からであるため、シオンが帝国に来るのは八月末の予定だったはず。

 それなのに、八月にようやく入ったばかりの今、どうしてこの男が帝国にいるのかと。


 大体、帝国に到着したならば、まずは姉に会うより先に宮廷に出向き、自分に挨拶をするのが筋というものではないのか? ――そう憤った。


 だがシオンは、注意を促そうと口を開きかけたアレクシスの言葉を遮るようにして、満面の笑みでこう言ったのだ。

 

「姉がいつもお世話になっております。僕はエリスの弟、スフィア王国ウィンザー公爵家嫡子、シオンと申します。この度は僕を帝国に迎えてくださり、恐悦至極に存じます」――と、友好的に右手を差し出すまでして。


 その瞬間、アレクシスはぞわっと全身の毛が逆立つのを感じた。

 舞踏会のとき自分に向けた敵意がまるで嘘のように、屈託のない笑顔を浮かべるシオンに、勘ぐらずにはいられなかった。


(こいつ、いったいどういうつもりだ……?)

 ――と。


 確かに、自分とシオンは初対面であることになっている。

 というのも、アレクシスが舞踏会の翌日クロヴィスに、「エリスは自分がシオンに眠らされたことに気付いていなかった。だから俺は、シオンとは会わなかったことにした」と伝えたところ、こう言われたからだ。


「ならば、わざわざ真実を伝える必要はない。昨日の件は、初めからなかったことにしておけ」と。


 これはつまり、『自分とシオンが対面した事実は存在しなかった』ということであり、それはエリスがシオンとやり取りしていた手紙の内容からしても明らかだった。


 おそらくクロヴィスが上手いこと取り計らったのだろう。


 シオンからエリスに宛てられた手紙には、舞踏会でアレクシスと会ったことには一言も触れられず、ただ、『クロヴィス殿下とアレクシス殿下の計らいで、帝国に留学できることになりそうだ』というようなことしか書かれていなかったからだ。


 だから、シオンが「初めまして」と挨拶をすることについては何の違和感もない。

 けれどだからといって、ここまで好意的な笑顔を向けられる心当たりは皆無だった。


 ――とはいえ、ここで握手をし返さなければ、エリスに不要な心配を与えることになるだろう。


 そう考えたアレクシスは、不本意ながらもシオンの右手を握り返したのだ。

 それが悲劇の始まりになるとも知らずに――。

 


 ◆



 その後、一旦状況を整理すべくエリスを自室に呼び出したアレクシスは、エリスから話を聞いて大きく眉を寄せた。


「――何? シオンをここに泊まらせたいだと?」

「はい。どうやら、まだ寮の部屋の準備が整っていないらしいのです。シオンは宿を借りると言っておりましたが、あの子はまだ未成年ですし、ひとりで何日も宿に泊まらせるのは心配で……。侍女に聞いたら、男性であっても親族ならば泊めることができると。それに、わたくしもシオンと積もる話もありますし……。二、三日でもいいので、お許しいただけないでしょうか?」

「…………」

「……駄目、ですか?」

「いや……駄目というわけではないが」


 アレクシスは口ごもる。


 正直、反対だった。いくらエリスの望むことでも、こればかりは受け入れられないと思った。


 シオンを泊めるとしたら、部屋は当然エリスの住む南棟になる。皇子であるアレクシスの住まう本棟には、何人なんびとたりと泊めることはできないからだ。

 

(シオンはエリスの実弟だ。だが……)


 アレクシスの脳裏に過ぎる、舞踏会でのシオンの言葉。

 シオンはあのときはっきりと、「僕は姉を望みます」と、そう言い放ったのだ。


あの男シオンは危険だ。とはいえ、ここでそれを知るのは俺一人……)


 ――そもそも、だ。


 アレクシスには、『シオンが寮の部屋の準備が整っていないことを知らずに帝国入りした』とは、どうしても思えなかった。

 わざわざ予定より早くやってきて、真っ先にエリスに会いにきたのは、この状況を作り出すためだったに違いない、と。


(シオンはわかっていたのだろう。自分が宿に泊まると言えば、エリスが引き留めるであろうことを。つまり、あの男の俺への好意的な態度は、俺に断らせないようにするためだったというわけか)


 となると、もしここで自分がエリスの願いを聞き入れなければ、エリスからも使用人からも、『狭量な男』というレッテルを張られてしまうことだろう。

 妃の弟一人泊めてやれない、心の狭い男だと。


(それだけは、何としても避けなければ……)


 エリスに悪い印象を持たれたくなかったアレクシスは、結局、承諾せざるを得なかった。


「仕方ない。数日だけだぞ。だが、実弟とはいえ彼は男。部屋に入れるときは必ず侍女を同席させるように。いいな?」


 大人げなく念押しすると、エリスは一瞬腑に落ちないような顔をしたが、すぐに顔を綻ばせる。


「はい、ありがとうございます、殿下……!」と、いつになく声を弾ませて。


 アレクシスはそんなエリスを見て、シオンといられるのがそれほどまでに嬉しいのかと複雑な気持ちになったが、それと同時に、エリスの笑顔が見られたことに心から安堵した。


 こんなに喜んでくれるのならば、数日くらい泊めてやろう。流石のシオンも、侍女の前で滅多なことはしないだろうし、と。


 こうしてアレクシスは、しばらくシオンを泊めることを受け入れたのだが――。



 ◆◆◆



「あの男、いったいいつまで居座るつもりなんだ……!」


 当初は数日の予定だったはずなのに、結局シオンは二週間が経った今もエメラルド宮に泊まり続けているのだ。

 それも、エリスの隣の部屋に。


 おかげでアレクシスはこの二週間、一度もエリスの部屋を訪れることができないでいた。



 アレクシスは、苛立ちのあまり書類をぐしゃりと握りつぶす。

 するとセドリックは作業を止め、主人に憐憫れんびんの眼差しを向けた。


「お気持ちはわかりますが、だからといって今さら追い出すのは難しいでしょう。あと一週間耐えれば寮の準備も整うのですから、いっそ諦めてはいかがです?」

「何だと!? お前はいったい誰の味方なんだ! お前は俺に、この苦行をあと一週間も味わえというのか!?」

「そうは言っていませんが、この二週間のシオン殿はまるで心を入れ替えたように、殿下を慕ってくださるではないですか。使用人からの評判もいいですし」

「――っ! それが演技だとしてもか……!?」

「まぁ、そうですね。それに、他でもない殿下ご自身が仰ったのですよ。たった二日で百名以上いる使用人全員の顔と名前を覚えるなど、なかなかできることではない、と」

「……ッ、それは……確かに、そう言ったが」


 実際シオンはこの二週間、エリスにもアレクシスにも、何一つ害を与えるようなことはしていない。


 それどころか、どこまでも礼儀正しく接してくる。

 アレクシスにも、使用人にも。


 宮にやってきた翌日には使用人全員の顔と名前を暗記し、朝から庭師の水やりを手伝い、メイドが重い荷物を持っていたら率先して運び、侍従にもコックにも礼を欠かさない。


 それは一見すると貴族の誇りを捨てた行動にも思えるのだが、けれど媚びへつらう様子はまったくないものだから、使用人たちからは少しも侮られることはなく、むしろ慕われているのである。


「流石はエリス様の弟君ね」

「姉と同じく心優しいお方なのだろう」

「シオン様がいらっしゃるからか、最近はエリス様がよくお笑いになるの」

「殿下のことも、とても慕ってくださっているそうだ。昨日なんてエリス様と二人、『殿下がいかに素晴らしいか』を、真剣に語り合っていたと聞いたぞ」


 ――といった具合に。


 そのせいで、アレクシスはシオンに強く出られずにいた。


(確かにシオンは、俺と二人きりであろうと敵意を向けてくることはない。むしろ不気味なまでに好意的だ。――だが、時折背後から感じる視線は……)


 アレクシスは、シオンの自分に対する態度は演技であると考えていた。

 なぜ――と聞かれると上手く答えられないが、不意にただならぬ気配を感じて振り向くと、そこには必ずシオンの姿があるからだ。


(あの男は心を入れ替えてなどいない。表面上そう見えるように取り繕っているだけで、今も俺のことを疎ましく思っているはずだ)


 そうでなければ、エリスと二人きりになろうとするアレクシスの邪魔をするわけがない。

 何かともっともらしい用事をつけてシオンが割り込んでくるのは、アレクシスをエリスから遠ざけるためだろう。

 


「俺は決めたぞ。今夜こそシオンと話をつける。セドリック、お前も協力しろ。作戦会議だ」

「作戦会議……って。もしかしてそれ、今からやるって言ってます? 仕事が溜まりに溜まっているこの状況で?」

「当然だろう。お前はさっきの俺の言葉を聞いていなかったのか? このままでは仕事どころではない、溜まる一方だぞ……!」


 アレクシスは真顔で言い切って、眉間に深く皺を刻む。

 するとセドリックは少しばかり思案して、諦めた様に瞼を伏せた。


 アレクシスの言うとおり、このままでは仕事は遅れるばかり――そう判断したのだろう。


「仕方ありませんね。でしたら一先ず、私がシオン殿と話してみましょう。殿下が話すと、こじれる未来しか見えませんので」

「――! そうか! 引き受けてくれるか!」

「まぁ、上手くいくかはわかりませんが。とりあえず、話すだけ話してみますよ」

 

(正直気は進まない。が、これも殿下の幸せのため……)


 セドリックは、かつて自分自身に立てた誓いの内容を思い出し、窓の外の高い空を見上げるのだった。

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