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30.告白


「――っ」


 刹那、エリスは文字通り放心した。

 アレクシスの言葉が、全く予期せぬものだったからだ。


(殿下が……わたしを愛している? 今、そう言ったの……?)


 正直、聞き間違いだと思った。


 エリスは、流石のアレクシスでも、傷を隠していたことについては確実に怒るだろうと考えていた。

 侍女たちに責がないことだけは理解してもらわなければと、それだけで頭がいっぱいだった。


 それに、そもそもアレクシスは大の女嫌い。

 そんな彼が自分を好きになるなど有り得ない――エリスはずっとそう思いながら、この半年間を過ごしてきたのだから。


 それなのに、アレクシスの口から出たのはまさかの愛の告白で。

 そんな状況に、驚くなと言う方が無理な話だ。


 茫然とするエリスに、アレクシスは更に続ける。


「俺は、君の正直な気持ちが聞きたい。嫌なら嫌と言ってくれて構わない。君は俺を『許す』と言ったが、それが『俺を好いている』という意味ではないことくらい理解しているつもりだ。だから、君が俺を拒否するならば、俺はこの先、君への気持ちを胸に秘めておくと決めている。それによって、君に不利益になるようなことはないと、約束する」

「…………」


 アレクシスの真剣な表情。

 期待と不安の入り混じった、乞う様な眼差し。


 その視線に、エリスは悟らざるを得なかった。


 今の言葉は紛れもなく彼の本心なのだと。

 そこに、嘘偽りはないのだと。


 そもそも、自分がアレクシスに媚びるならばいざ知らず、アレクシスが自分に嘘をつく必要など一つだってないのだから。


(つまり殿下は……本気で、私を……?)


「……っ」


 それを自覚した途端、エリスはぶわっと全身が熱くなるのを感じた。


 いったい自分のどこを好きになったのだろう。いつから思ってくれていたのだろう。

 花をプレゼントしてくれるようになった頃からだろうか。それとも、もっと前からだろうか。


 ああ、ということは、今日川でアレクシスがリアムに見せたあの態度は、本当にただの牽制だったということだろうか。


『俺の妃だ』『気やすく触れていい女ではない』と言い放ったアレは、彼の独占欲の表れだったと……そう考えていいのだろうか。


(そんな……でも、だって……)


 ならば、馬車の中で自分が何か言いかけたとき、アレクシスが言葉を遮ったのはいったいどうしてなのだろう。

 自分を腕に抱えて下ろさなかったのは、素足だったからだと説明された。でもそれは、アレクシスがずっと不機嫌だった理由の説明にはなっていなかった。


 だからエリスは、アレクシスから『他に何かあるなら言ってみろ』と言われ、悩んだのだ。

 これは聞いてもいい内容なのだろうかと。


 それがどうしても気になってしょうがなくなったエリスは、おずおずと口を開く。


「あの……殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「ああ、勿論だ」

「殿下は先ほど、わたくしを腕に抱えて下ろさなかったのは、わたくしが素足だったからだと、ご説明くださいましたが……」

「ああ。それがどうした?」

「では、わたくしが馬車の中で話しかけた際、どうして言葉を遮られたのですか? わたくしに怒っていなかったというなら、どうして……」

「――!」


 刹那、アレクシスはハッと瞳を見開いた。

 確かにエリスの言う通り、説明不足だったことに気付いたからだ。


 ――否。実際は説明不足などではなく、意図的に省いたと言った方が正しいだろうが。


 アレクシスはやや瞼を伏せ、躊躇いがちに唇を開ける。


「それは……俺が恐れたからだ。君に拒絶されることを、恐れたから」


 アレクシスは、言いにくそうに言葉を続ける。


「俺は先ほど君に伝えたな。『君が俺を拒否するならば、俺はこの先、君への気持ちを胸に秘めておくと決めている』と」

「……はい」

「俺は君が、川での俺の態度を見て、俺の気持ちに気付いたはずだと思ったんだ。だから馬車で君に話しかけられたとき、それについて言及されるのだろうと思い込んでしまった。つまり俺は、あの場で君に振られるのが嫌で、君の言葉を遮ってしまったんだ。今思えば、とても大人げない行動だったと反省している。……本当に、すまなかった」

「……!」


 申し訳なさそうに眉を寄せ、それでも、自分を真っすぐに見据えるアレクシスの眼差し。

 そこに潜む確かに熱情に、エリスは息をするのも忘れてしまいそうになった。


 傷の手当てのために掴まれたままの腕が――熱い。

 初夜のときとはまるで正反対の、熱を帯びた力強い瞳に、少しも目が逸らせなくなる。


「あっ……の……、わたくし……」


 ああ、こういうとき、いったい何と答えるのが正解なのだろう。


 ユリウスのときはどうしていただろうか。


『君が好きだ、エリス』と言って、額に唇を落とすユリウスに、『わたくしもです、殿下』と、返したとき、いったい何を考えていただろうか。


 ときめきは確かに存在していた。

 ユリウスを愛しいと、そう思う感情は間違いなくあった。


 けれど今の様に、喉元が締め付けられるような息苦しさを感じたことは、一度だってない。

 

(どうして……? あの頃はこんな気持ちにならなかったのに。こんな……、こんな風に胸がつかえることなんて、一度だってなかったわ)


 ユリウスを前にすると、いつだって安心できた。彼の優しい笑顔は、傷付いた心を癒やしてくれた。


 でもアレクシスは違う。

 今こうして改めてアレクシスに見つめられ、生じた感情。

 それは恐れこそないものの、強い緊張と、何かが腹の底からせり上がってくるような息苦しさ。それから、妙な動悸。

 どちらかと言えばネガティブなものだ。


 なら彼が嫌いなのかと聞かれれば、答えはノーで。

『愛している』と言われて、嬉しくないかと問われれば、その答えは『嬉しい』という一択しかなくて。



「エリス、やはり俺が恐いか? 俺に触れられるのは、嫌か?」



 そう尋ねるアレクシスの切実な表情を、もっとずっと自分に向けていてほしいと、自分は確かに願っていて――。


 エリスは自覚せざるを得なかった。


 この気持ちは単なる『情』ではなく、『恋』なのだと。

 自分もアレクシスのことが、少なからず好きなのだと。


「恐く、ないです……。嫌でも……ありませんわ、殿下」

「――!」


 そうでなければ、アレクシスの指先が傷痕に触れる度、どうしようもなく体が熱くなったことに説明がつかない。

 触れられた部分が火傷のように火照って感じたのは、単なる緊張ではなかったのだ。


(ああ、そうだったのね。……わたし)


 今だって、心臓の音が全身に響いている。

 この人の気持ちに答えたい。これからも一緒にいたい、と。


 自分とアレクシス、それぞれの熱量が同じかはわからないけれど。

 そんなことは、いくら言葉を交わしたところで一生わかるはずもないけれど――それでも。


「わたくし……正直、まだよくわからないのです。殿下を愛しているかどうか……。でも……」


 エリスはアレクシスを見つめ、今の精いっぱいの気持ちを告白する。


「わたくしは、殿下とこれからも一緒にいたいと思っております。殿下と、本当の夫婦になれたらと……そう願う気持ちは、同じです」

「……エリス。――では……」

「はい。ふつつかなわたくしではございますが、どうかこの先も、殿下のお側に置いていただきたく、お願い申し上げます」


 そう言って微笑むと、アレクシスは感極まったのか、カッと両目を見開き、次の瞬間――。


「ああ、勿論だ……!」


 ――と声を震わせて、エリスの身体を抱き寄せた。


 エリスに比べ二周りも三周りも大きなアレクシスの身体が、エリスの身体をすっぽりと胸に収め、その耳元で、問いかける。

 

「これからは、こうして抱き締めても構わないんだな?」


 その問いにエリスがこくりと頷くと、アレクシスは嬉しさのあまり、一層腕に力を込めた。

 もう放さないとでもいうようにエリスをしっかりと腕に抱き、その柔らかさをひとしきり堪能したあと――思い立ったように唇を開く。


「エリス……、今の今言うことではないとわかってはいるんだが」と。


 その声にエリスが顔を上げると、アレクシスはじっとエリスを見下ろし、真顔で告げた。


「俺は、君との初夜をやり直したいと思っている。勿論、君の心の準備ができたときでいい。少し、考えておいてくれないか?」

「……それって」

「当然、そういう意味だ」

「……っ」


 ――本当は、今すぐにでも押し倒してしまいたい。

 このまま唇を奪って、抱いてしまいたい。


 けれど初夜のことや怪我のこともあり、流石にすぐというのははばかられた。

 かと言って、こうしてエリスを抱き締めその感触を知ってしまった今、いつまでもお預けをくらうというのはとても耐えられそうにない。


 だからアレクシスは、全ての恥とプライドをかなぐり捨てて、こうして尋ねてみたのだが……。


 エリスから返ってきたのは、まさかの内容だった。


「あ……、その……わたくしは、いつでも……」

「――!?」


(いつでも、だと……!?)


 驚きのあまり絶句するアレクシスに、エリスは顔を真っ赤にしながら呟く。


「だって、殿下のおっしゃられた『本当の夫婦』の意味は、そういうことでございましょう?」

「それは……確かにその通りだが……」

「わたくしは、殿下の妃ですもの。とっくにその覚悟はできております。それに……あの……非常に言いにくいのですが……、先ほどから……その…………殿下の、――が……」

「……?」

「あっ……、当たっているのです……! わたくしの……っ、あ……あ、……脚にっ」

「――!?」


 すると言い終えた瞬間、エリスは恥ずかしさが天元突破したのだろう。

 両手でパッと顔を覆い、耳まで真っ赤に染め上げた。


 そんなエリスの様子に全てを悟ったアレクシスは、


「すっ、すまない! これは生理現象だ!」


 などとよくわからないことを口走りながら、すぐさまエリスを膝上からベッドへと下ろす。


 ――もはやムードもへったくれもない。


 が、アレクシスにとって今最も重要なのはそんなことではなかった。

 聞き間違いでなければ、エリスは今、『これから初夜のやり直しをしてもいい』と言ったのだから。

  

(本来なら、エリスの怪我の全快を待ってからすべきことだが……)


 エリスにここまで言わせておいて、『今日はやめておこう』と言うのは、彼女に恥をかかせることになるのでは。

 いや、たとえそうでなくとも、せっかくのチャンスをふいにするわけにはいかない。


 アレクシスは、未だ顔を覆ったままのエリスの腕をそっと掴んでどけると、赤く染まった顔を覗き込む。


「今の言葉……本当だな? 途中でやめたいと言っても、やめてやれないが」


 そう念押しすると、エリスはこくりと頷いて――。



「――っ」



 刹那、気付いたときには、アレクシスはエリスの唇を塞いでいた。

 勢いのままエリスの身体を押し倒し、奪うようなキスを繰り返す。


 もう、思い悩むことは何もない、とでも言うように。



「痛かったら言え。やめてはやれないが、加減はする。――愛している、エリス」

「……っ」



 熱っぽい瞳でエリスを見下ろし――もはや少しも待ち切れないと――何度も、何度でも、エリスの白い柔肌に唇を落としていった。

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