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21.帝国図書館にて


 同じ頃、エリスはマリアンヌと共に帝国図書館を訪れていた。


 先日マリアンヌから借りた恋愛小説がとても面白く、「ぜひ同じ作家の他の作品を読んでみたい」と伝えたところ、「ならさっそく借りに行きましょう」と誘われたからである。



 帝国図書館とは、言わずもがな帝国内最大の図書館だ。


 言語・文化の垣根なく大陸全土からありとあらゆる分野の書物が集められており、蔵書数はなんと一千万巻。"英知の泉"と称され、帝国民に広く利用されている。


 そんな図書館に初めて足を踏み入れたエリスは、感嘆の息を漏らした。



(凄いわ。本棚が天井まであるなんて)


 吹き抜けになったホールの向こうに広がる三階層のフロアは、奥の壁が見えないほどずっと先まで続いている。

 そこに並ぶ何百もの本棚は、各フロアの天井にまで届いてた。

 

 マリアンヌとのお茶会で水晶宮を訪れた際にも思ったが、流石は帝国だ。規模が違う。


 それに、市民に一般開放されているだけあって人がとても多い。

 老若男女、階級の境なく、大勢の人に利用されているのがよくわかる。


 ホール内のフリースペースに目を向けると、まだ五、六歳と思われる――服装からして労働階級の――子供が行儀よく絵本を読んでいて、感心するばかりだった。


(凄いわ。あんなに小さいのに字が読めるのね。帝国市民の識字率がほぼ十割と聞いたときは信じられなかったけど、本当だったんだわ)


 帝国がこれだけ強大な力を維持できているのは、軍事力だけでなく、教育によって技術水準を日々進歩させているからなのだろう。



 エリスがそんなことを考えていると、マリアンヌは微笑ましげに目を細める。


「エリス様、わたくしは借りた本を返して参りますわね。恋愛小説は二階のF607の列にありますから、お先に行って見てくださって構いませんわ」


 そう言って、侍女を伴い返却窓口へと歩いていく。


 エリスはそんなマリアンヌの背中を見送って再び館内をぐるりと見渡し、胸をときめかせた。



 エリスは読書が好きだった。

 というより、正しくは『読書しかなかった』と言うべきかもしれないが。


 祖国で家族から虐げられていた彼女が、刺繍やピアノといった淑女教育以外で触れることができたのは、唯一本だけだったからだ。



(今思えば、ユリウス殿下に恋をしたのは、物語の影響もあったのかもしれないわ)


 侍女を連れ立って階段を上りながら、エリスはそんなことを考える。



 幼かった自分はユリウスのことを、ヒロインを悲劇的な運命から救い出す、物語の中の聡明で勇敢な王子たちに重ねて見ていたのかもしれない。

 火傷のことを庇ってもらったことで、この人だけが自分を救ってくれるのだと、過剰に依存し、期待してしまったのかもしれない、と。


 ――エリスは気付けばそんな風に、ユリウスのことを過去として受け入れられるようになっていた。


 ときおり不意にユリウスの顔を思い出すことはあっても、それによって胸が痛むことはない。

 ユリウスを恋しく思うことも、恨みを思い出すこともない。


 それはきっと、今の生活に満足しているからだろう。


 侍女たちは相変わらず親切だし、マリアンヌのおかげで令嬢たちとも馴染めてきている。シオンとの手紙も再開できた。


 アレクシスとの関係も悪くない。

 不愛想なところは相変わらずだけれど、会話は目に見えて増えきているし、それにアレクシスはここのところ、毎週のように花を贈ってくれるのだ。


 最初はアスチルベ、次は赤い薔薇、それからブルースターと、昨日はストロベリーキャンドルを。


 エリスは受け取った花を思い出し、頬を赤く染める。

 なぜなら、贈られた花の花言葉には、すべて『愛』や『恋』といったメッセージが含まれていたからだ。


(まさか殿下が花言葉を知っていらっしゃるとは思わないけれど……)


 アスチルベは『恋の訪れ』、赤い薔薇は『愛情』、ブルースターは『幸福な愛』、そしてストロベリーキャンドルは『人知れぬ恋』。


 花言葉はもともと愛や恋にまるわるものが多いとはいえ、偶然にしては少々できすぎな気がする。


 まさかアレクシスは自分のことが好きで、それを花言葉で伝えようとしているのでは――エリスはもう何度目かわからないその考えに思い至り、けれど否定するように、小さく首を振った。


(いいえ。それだけはあり得ないわ。だって殿下は、女性がお嫌いなんだもの)


 現にアレクシスは今も、公務以外では一定以上の距離を詰めてこない。

 それに何より、『好き』や『愛してる』と言った類の言葉は、一度だって言われたことはないのだから。


(そうよ。贈り物はただ、夫の義務として……それだけよ。殿下は本来、お優しい方だったというだけ)


 エリスは次々に湧き上がってくる雑念を振り払い、目当ての本棚を探すことに集中する。

 F607の本棚は――あった、あそこだ。


 無事に本棚を見つけたエリスは、侍女に「あなたも好きなものを借りていいわよ」と伝える。

 すると侍女は嬉しそうに目を輝かせ、隣の通路へと入っていった。


 エリスも自分の目当ての本を探し始める。

 本の並びは、出版社、レーベル、そして作家順になっているようで、目当ての作家の作品はすぐに見つかった。


(沢山あるのね。シリーズものもあるし……これはとても悩むわね)


 エリスはしばらく、背表紙と一人睨めっこをする。

 すると今度は、昨夜読み終えたばかりの小説の内容が思い出された。


(そう言えば、マリアンヌ様にお借りした小説のヒーローって、殿下に似ていたような気がするわ)


 花売りの貧しい娘と、若くして爵位を継いだ伯爵の恋物語。


 伯爵は過去に女に騙されたことから女性不信に陥っていて、けれど家のために妻を娶らなければならず、契約結婚という方法を思いつく。とは言え貴族令嬢を相手にするのは難しい。ならば、平民の女を妻に仕立て上げればいいじゃないか――というところから始まる物語で、伯爵の不愛想で無口なところがアレクシスと重なった。


(女性不信の伯爵がだんだんと花売りの娘に惹かれていって、でも素直に思いを伝えることもできなくて……というところが、とてももどかしいのよね。でも、最後は真っすぐに気持ちを伝えて……)

 

 小説ラストの甘いシーンを思い出したエリスは、咄嗟に両手で顔を覆う。

 うっかり、――そう。ほんの少しだけ、唇がにやけてしまいそうになったからだ。



 すると、そのときだった。



 突然、「レディ? どこかお加減でも?」と斜め後ろから声が聞こえ、エリスはハッと顔を上げた。

 声のした方を振り向くと、見知らぬ男性が心配そうにこちらを見下ろしている。


 歳はアレクシスと同じくらいだろうか。

 一目で上位貴族とわかる洗練された佇まい。魅惑的なラベンダーブラウンの髪と瞳。

 いかにも女性が好みそうな、眉目秀麗びもくしゅうれいな顔立ちをしている。


 男は驚きに硬直するエリスを見て何を思ったか、形のいい眉を少しばかり下げ、エリスの顔を覗き込んだ。


「私はリアム・ルクレールと申します。もしご気分が優れないようでしたら、奥の休憩スペースにお連れしようと思ってお声がけしたのですが」

「……っ」


 そう言われ、エリスはようやく理解した。

 目の前のこの相手は、自分の体調を心配してくれているのだ、と。


 エリスは慌てて言葉を返す。


「いえ……あの、大丈夫です。心配はいりませんわ。少し考え事をしていただけですから」

「そうですか? ですが、やはり顔が赤いようにお見受けしますが。侍女をお連れでないのでしたら、我が家の侍女をお貸ししますので――」

「本当に大丈夫です。それに、侍女なら連れておりますので」


 顔が赤いのは、恋愛小説のラストを思い出していたからですよ――などと言えるはずがない。

 エリスは更に赤面し、目の前の男――リアムからパッと顔を逸らした。


 するとリアムはますます心配そうに顔を曇らせたが、次の瞬間、どこかから聞こえてきた「お兄さま」という呼び声を聞き、表情を変える。


「……ああ、どうやら妹が私を探しているようです」


 そう呟くように言ったリアムの顔は、何かを思い詰めているように見えた。

 エリスはそんなリアムに、初対面ながら違和感を抱いたが、それも一瞬のこと。


 リアムはエリスが何か言うより早く、「申し訳ありませんが、これにて」とだけ告げ、あっと言う間に去ってしまったからだ。



 結果、ひとり残されたエリスは、リアムの消えた先の通路を見つめ、ただただ茫然と呟いた。



「いったい、何だったのかしら……」と。


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