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18.舞踏会の裏側で(後編)


「どうだい? 素晴らしいだろう?」


 まるで演説をするかのような滑らかな口調で、ジークフリートは平然と言ってのける。

 その口ぶりに、アレクシスは強く憤った。


 エリスのことを何も知らなかった自分に。

 何一つ知ろうともしなかった自分自身に。


 自分が知らないことを、目の前のジークフリートが知っている事実に。

 反論の余地を許さないほどに的を得た、その発言内容に。



「アレクシス。君は、シオン以上にエリス妃を愛していると言えるかい?」

「――ッ」


 ジークフリートの瞳が、アレクシスの視線をからめとって放さない。

 心の奥を覗きこむようなねっとりとした眼差しに、アレクシスは思わず口を閉ざした。


 エリスを愛している、と断言できない自分自信に、言い知れぬ苛立ちを覚えながら。


「姉さんを僕に返せ」と、自分をきつく睨みつけるシオンに――彼はただ黙って、拳を握りしめることしかできなかった。



(俺は……エリスを愛していると言えるのか……?)



 アレクシスは、心の中で自問する。


 彼は、自分がエリスに抱く感情の名前を今だ理解できずにいた。


 女嫌いの自分に嫁いできた、政略結婚の相手、エリス。

 初恋の少女と特徴が同じだったことで、本人かもしれないと勝手に期待し、落胆し、結果、手荒に抱いてしまった。


 その罪悪感から、多少は歩み寄ろうと努力し、今は同じ屋根の下で暮らしている。


 それは女嫌いのアレクシスにとっては考えられないほどの譲歩だったが、世間一般から見れば当然のことだろう。


 今夜のためにエリスに贈った宝石ジュエリーだって、自分はすっかり忘れてしまっていた。クロヴィスの指摘がなければ、エリスに恥をかかせていただろう。


 そんな自分が、どうして言えようか。「エリスを愛している」などと。


(ああ、そうだ。俺にはそんな言葉を口にする資格はない。たとえ嘘でも、言えるはずがない)


 自分が酷い夫であることは、誰の目から見ても明らかだ。

 それに、ジークフリートの話を信じるならば、エリスは祖国でとても辛い思いをしてきたはずだ。

 沢山の傷を負ってきたはずだ。


 その傷にとどめを刺したのは自分。

「お前を愛する気はない」と冷たく吐き捨て、逃げ場を封じてしまったのは、夫である自分自身。


 だからエリスは家族の話をしなかったのだのだろう。


 自分のことも、シオンのことも、彼女は話さなかったんじゃない。話せなかったのだ。


 ――そう。


(言えないようにしたのは……この、俺だ)


 その過ちを、今さら悔いてももう遅い。

 エリスは自分を恐れている。その現実は変わらない。


 ならば、自分ができることは一つしかないではないか。

 シオンの言うとおり、エリスをここから解放してやる。それが、最善の道。

 ――なのに。



「……っ」



 どうしても、手放したくないと思ってしまう自分がいる。

 彼女を失いたくないと、強く心が訴えている。


(なぜだ。……どうして)


 もしや自分は、彼女を自分の所有物だとでも思っているのだろうか。

 だからこんなに不快な気持ちになるのだろうか。

 玩具を取り上げられたときの、子供のように――。



 ――すると、そのときだった。



 何の前触れもなく、パンッ、と空気を切り裂くような音が大きく鳴り響き――三人は揃って動きを止めた。


 その音が銃声とよく似ていたからだ。

 ――だが幸いなことに、それは銃声ではなく、ただの拍手だった。


 三人が音のした方に顔を向けると、そこに立っていたのは第二皇子のクロヴィス。

 クロヴィスは、武装した側近と灯りを携えたセドリックを引き連れて、胸の前で両手を合わせながら、呆れた様に三人を見据えていた。



「やめなさい、君たち。ここは王宮だよ」


 クロヴィスの声はいつも以上に落ち着いていた。

 まるで幼い子供の喧嘩をやんわりと注意するかのごとく、冷静な声だった。


 けれどその瞳は氷の様にてついていて、確かに怒っていることがわかる。


「兄上、なぜここに……」

「セドリックに呼ばれてね。大方説明は受けたが……なるほど、確かにこれは穏やかじゃない」


 クロヴィスはまず地面に横たわるエリスに視線を向けてから、続いてジークフリートとシオンの顔を順に見やった。


 すると、まるで蛇に睨まれた蛙のように、二人は一瞬で口を閉ざした。

 ジークフリートはピクリと眉を震わせ黙り込み、シオンも唇を固く引き結んだのだ。



(相変わらず、兄上の眼光は恐ろしいな)



 ――クロヴィスの絶対零度の眼差し。


 普段は穏やかな彼だが、ほんの極たまに、その青い瞳に静かな殺気を湛えることがある。


 アレクシスの怒りが動であるとするなら、クロヴィスは静の怒り。

 アレクシスを燃え盛る炎にたとえるなら、クロヴィスは極寒の氷雪(ひょうせつ)。それも、空間ごと氷漬けにしてしまいそうな。


 相手の心を一瞬で凍らせ、同時に畏怖を抱かせる。

 何人なんびとたりと口答えは許さない――そういう空気を、今のクロヴィスは(まと)っていた。



 アレクシスは兄クロヴィスから放たれる殺気をビリビリと全身で感じ取りながら、兄の言葉を待つ。


 するとクロヴィスは数秒何かを考える素振りをして、薄く微笑んだ。


「アレクシス、ここは私が引き受けよう。お前はエリス妃を連れて宮に戻りなさい。このままでは彼女が風邪をひいてしまう」

「……!」


 “私が引き受けよう”――その言葉に、アレクシスはさっと顔を強張らせた。

 なぜならクロヴィスの提案は、二人の処分は私が行う、という意味に他ならなかったからだ。


「この二人を……どうするつもりです?」


 つい、そんなことを口にしてしまう。

 この期に及んで敵の心配をするなど我ながら馬鹿げているが、クロヴィスは時として驚くほどに残酷だ。


 だからアレクシスは、クロヴィスがどのような采配を下すのか咄嗟に不安を抱いたのだ。


 が、アレクシスの予想に反し、クロヴィスは「ははは!」とさもおかしそうに声を上げる。


「お前は優しい子だね。だが心配はいらない。ここは王宮で、彼らは他国の王侯貴族。少し話を聞かせてもらうだけだ。――だから、さあ、お前はもう帰りなさい」

「…………」


 ここまで言われてしまっては、反論の余地はない。


 アレクシスはエリスの元へ歩み寄ると、地面にひざまずいた。


 ――外傷はない。脈も呼吸もしっかりしている。薬が切れればきっとすぐに目を覚ますだろう。


 アレクシスは安堵しながら、エリスをそっと抱き上げる。



 シオンの方を振り向けば、彼は苦虫を嚙み潰したような顔でこちらを睨んでいた。

 が、手を出してくる気配はない。


 アレクシスは、再びクロヴィスに向き直る。


「では、これにて。あとはよろしく頼みます、兄上」


 その声に、にこりと微笑んだクロヴィスの笑顔を最後に、アレクシスは王宮を後にした。


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