15.シオンとの再会
ジークフリートに連れられていった中庭に、シオンはいた。
月明りだけが辺りを照らす、静かな中庭。その中心にある噴水の縁に腰かけて、シオンは神妙な顔で俯いていた。
(本当にシオンだわ)
記憶の中のシオンに比べ身体は大きく成長しているが、あれはシオンで間違いない。
ここに来るまでジークフリートに懐疑的な思いを抱いていた彼女だが、はた目にも肩を落としたシオンの背中を見て、一気に警戒心が消え失せる。
ジークフリートから「行っておいで」と優しい声で促され、エリスは芝生を踏みしめた。
けれど、よほど深く考え事をしているのか、シオンはエリスに気付かない。
そんなシオンに、エリスはそっと声をかける。
「……シオン?」
するとシオンはハッと目を見開いて、ゆっくりと顔を上げた。
その顔がエリスの方を向いて、泣き出しそうに歪む。
次の瞬間、シオンの口から洩れる、縋るような声。
「姉さん……ッ!」
――と、そう呼ばれたと思ったら、気付いた時にはシオンに抱きしめられていた。
すっかり大人の男に成長した弟の腕の中に、彼女の身体はすっぽりと納められていた。
「会いたかった……姉さん……」
エリスの耳元で囁かれる、聞き慣れないシオンの声。
それが声変わりのせいだと気付くまでに、エリスは数秒の時間を要した。
「シオン、大きくなったわね。もうすっかり大人だわ」
「――っ」
「わたしも会いたかった。ごめんなさいね、手紙、出さなくて……」
「……ほんとだよ。僕がどれだけ心配したか……きっと姉さんにはわからない」
シオンの両腕が、エリスの身体を更に強く抱き寄せる。
十六歳になったシオンの身長はエリスをとっくに超えていて、随分と逞しい身体に成長していた。
エリスがおずおずと顔を上げると、当然顔立ちも大人びていて、何だか知らない人の様に思える。
(でも、そうよね。会うのは四年ぶりだもの)
――エリスがシオンに最後に会ったのは、もう四年も前のこと。
そのときまだ十二歳だったシオンは、天使のように愛らしい少年だった。
エリスと同じ亜麻色の髪と、瑠璃色の瞳。
エリスもシオンも外見は母親譲りで、幼い頃の二人は性別こそ違えど、本当にそっくりだった。
シオンは目が大きく童顔で、色白だったこともあり、よく姉妹に間違えられた。
違うところと言えば、シオンの方は髪質がややくせ毛なところくらいだ。
そんな愛らしかった弟が、会わない間にこんなに大きくなっているものだから、エリスはとても驚いた。
けれど、自分をまっすぐに見つめるこの瞳は、紛れもなく彼女の記憶の中の弟のものだ。
エリスは、いつの間にか自分の頬を撫でていたシオンの手に、己の手のひらをそっと重ねる。
「本当にごめんなさい。わたし、シオンの気持ちを少しも考えてあげられていなかった」
「……っ」
――月明りだけが二人を照らす暗い庭園で、エリスはシオンを見つめ返す。
いつの間にか、ジークフリートの姿はなくなっていた。
「姉さん、僕にちゃんと説明してくれる? どうして姉さんが帝国に嫁ぐことになったのか。ユリウス殿下との婚約はどうしたの?」
「……それは」
「まさか……捨てられたの?」
「――っ」
あまりにもあっさりと言い当てられ、エリスはびくりと肩を震わせる。
するとシオンは図星だと悟ったのだろう。
目じりをギッと釣り上げ、唸るように声を上げた。
「あの男……殺してやる」
「――!」
殺意に満ちた弟の表情に、エリスは顔を青ざめる。
「ち、違うの……! 違うのよ! ちょっと誤解があっただけ。ユリウス殿下は何も……何も、悪くないのよ」
本当は何もなかったなんて嘘だ。
ちょっと誤解があっただけ? ――そんなはずはない。
だが、エリスはシオンに、ユリウスに悪い感情を抱いてほしくないと思っていた。
シオンはウィンザー公爵家の正当な後継者だ。いつか必ず爵位を継ぎ、ユリウスの臣下として務めなければならない日が来る。
だから、濡れ衣で婚約破棄されたなどと、伝えるわけにはいかなかった。
「本当に何もないの。あなたは何も気にしなくていいのよ」
エリスは必死に誤魔化そうとする。
けれど、シオンにそんな嘘は通じない。
「やめてよ姉さん。僕はもう子供じゃないんだ。そんな言葉に騙されたりしない」
「――っ」
「何もないなら、どうして嫁ぎ先が帝国の第三皇子なんだ? 僕だってアレクシス殿下の噂くらい知ってるよ。事実かどうかは別として、どれもゾッとするような内容だ」
「――! そんな……、殿下はそんな方じゃ……!」
「本当に? 確かに僕は殿下のことを何も知らないけど、火のないところに煙は立たないって昔から言うだろう? 姉さんは僕を心配させまいとしてそんなことを言うのかもしれないけど、そういう態度を取られると、逆に疑いたくなるんだよ」
「……シオン」
エリスを見つめるシオンの顔が、泣き出しそうに歪む。
「僕は姉さんが大切なんだ。僕の家族は姉さんだけなんだ。姉さんをこんな場所に送り込んだ祖国のことなんてどうだっていい。公爵位にだって興味はない。そもそも、僕が今までランデル王国で大人しくしていたのはどうしてだと思う? それが姉さんの為になると思ったからだ。卒業したらすぐに爵位を継げるように――それまではあの愚かな父親を油断させておく必要があったから。……なのに」
シオンの両腕が、再びエリスを抱きしめる。
強く、強く――その腕の力に、エリスは息をするのも忘れてしまいそうになった。
「ユリウス殿下を信じた僕が馬鹿だった。こんなことになるのなら、もっと早く攫っておくべきだったんだ」
「……え?」
(攫う……って、どういう意味?)
シオンの言葉の意味がわからず、エリスは困惑する。
そんなエリスの耳元で、シオンはそっと囁いた。
「ごめんね、姉さん。少しだけ眠っていてくれる?」
「――っ」
その声と同時に、鼻と口を湿った布で塞がれる。
そしてエリスは、あっという間に意識を失ったのだった。