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12.いつの間にか


 舞踏会当日の夕方。

 エメラルド宮の私室で、エリスは侍女の手を借りて身支度をしていた。


 宮内府から支給されたライムグリーンのドレスを身にまとい、アレクシスからプレゼントされたネックレスを付けたエリスは、姿見の前に立つ。


 するとそこにあるのは、自分でも驚くほどに美しい女性の姿だった。

 胸元を上品に飾る宝石が、自分の魅力を際立たせてくれているように思える。


「……本当に素敵」


 ネックレスの眩さに、思わず溜め息が出てしまう。

 この繊細なデザインを考えたのがアレクシスだと思うと、意外すぎてとても不思議な気持ちになった。



 鏡をじっと見つめるエリスを、侍女たちは後ろから微笑ましそうに眺める。


「とてもお綺麗ですわね、エリス様」

「本当ですわ。ドレスも宝石もよく似合っていらっしゃる」

「殿下もたまには良いことをされますのね」

「でも時期が遅すぎですわ。もっと早くお贈りしてくだされば満点でしたのに」

「それはそうよね。あまりに遅いので心配してしまったわ。まさかお忘れになっているのかと」



 侍女たちがアレクシスを非難する声を聞いたエリスは、ここ二週間のアレクシスの様子を思い出す。



 二週間前から、急に帰りが遅くなったアレクシス。

 それまでは朝夕食事を共にしていたのに、ある日を境に突然帰宅が真夜中を過ぎるようになった。


 最初は気にしていなかったエリスだが、あまりにそれが続くのでおかしいと思い、ある朝理由を尋ねてみた。

 けれどアレクシスからは「仕事だ」としか返ってこない。


 朝食は変わらず共にするが、何か話を振っても上の空で反応が乏しく、口数も明らかに少ない。

 それに、態度も何だか冷たいような気がする。


 当然エリスは不安になった。

 これは何か粗相をしてしまったのではないか。アレクシスを怒らせてしまったのではないか、と。


 だが侍女たちに相談しても「きっとお疲れなのですよ」「気にすることはありませんわ」「殿下はもともとそういう方ですし」とかわされてしまう。

 それも、何かを隠しているような風で。


(きっと侍女たちは理由を知っているんだわ。でもどうして教えてくれないのかしら。やっぱりわたしが原因だから?)


 エリスはどんどんと不安に陥っていった。

 それを表に出すことはなかったけれど、アレクシスとの距離がようやく縮まっていたと思っていた矢先のことだったから、正直落ち込んだ。


 そんなある日、十日ぶりにアレクシスが「今日は早く帰る。夕食を共にとろう」と言ってくれたものだから、エリスは内心とても安堵したのだ。


 避けられていると思っていたが、勘違いだったのかもしれない。きっと本当に仕事が忙しかっただけなのだ。

 今夜はゆっくり食事をしてもらおう――と、マリアンヌから聞いた、アレクシスの好物のミートパイを手ずから焼いた。


 だがその日の夕方、アレクシスから届いた報せには、「今夜も遅くなる」という短い一言。


 その報せを読んだエリスは、気付けば手紙をぐしゃりと握りつぶしていた。


 自分でもどうしてそんなことをしたのかわからない。

 けれど、酷く裏切られたような気分になったのだ。



(こうなったら、帰るまで待っててやるんだから)


 意地になったエリスは、食堂で二時間待ち続けた。


 アレクシスが帰ってきたら、どれだけ待たされても笑顔で出迎える健気な淑女を演じるのだ、と心に決めて。


 だが、ようやく帰宅したアレクシスがエリスの前に差し出したのは、このネックレス。

 アレクシスの帰りが遅かったのは、ネックレスを用意していたからだったのだ。



 そのときのエリスの感情といったら、一言では言い表せない。


 贈り物をされたことは嬉しいのに、「どうして言ってくれなかったのだろう。言ってくれればこんなに悩むこともなかったのに」という怒りにも似た感情が溢れ出し、それと同時に、アレクシスの「仕事だ」という言葉を信じてあげられなかった自分が心底情けなくなった。


 ――そして気付いたのだ。


 自分がいつの間にか、アレクシスを怖いと思わなくなっていることに。

 それどころか、好意を抱いていることに。


(あんなに酷い目に合わされたのに……変よね、わたし)


 そもそも女性嫌いのアレクシスだ。

 常に愛想は悪いし、口調も全然優しくない。ユリウスのように髪型やドレスを褒めてくれることもない。

 微笑んだ顔だって、一度たりと見たことがない。


 それでも、このエメラルド宮で共に過ごすうちに彼の誠実さを知った。


 いいことはいい、悪いことは悪い、好きならば好きだと言うし、できなければできないとはっきり言う。

 けれど、他人に何かを押し付けたり、否定したりはしない。そういう実直なところに好感を持った。


 最初は怖いと思っていた、側近のセドリックと仕事の話をしているときの気難しい横顔や、指示を出すときの低く抑揚のない声も、これがこの人の「普通」なんだと知った今は何とも思わなくなった。


 むしろ、感情をあまり表に出さないアレクシスのことをもっとよく知りたいと――今、この人は何を考えているのだろうかと――エリスはいつの間にかそう思うようになっていたのだ。



 ――そんなことを考えているうちに、出発の時間を迎えたようだ。


 部屋のドアがノックされ、「準備はできたか」という声と共にアレクシスが入ってくる。


 その声にエリスが振り向くと、そこには軍服姿のアレクシスが立っていた。


 結婚式のときと同じ、式典用の華やかな装飾が施された黒い軍服。

 式の時はよく見ていなかったけれど、こうして改めて見るとアレクシスには黒が一番似合う。


 ただでさえ長い足はもっと長く見えるし、その分威圧感は増すけれど、それ以上に凛々しさと逞しさも増している。



(……何だか、顔が熱いわ)


 エリスがパッと顔を逸らすと、アレクシスは不思議そうな顔をする。


「……? どうかしたか?」

「い、いえ。何でもありませんわ。参りましょう、殿下」

「? ああ」


 エリスの言葉に、アレクシスは左腕を差し出した。

 その仕草に、エリスは目を見張る。


(これってエスコートよね……? 嘘、女性嫌いの殿下が……?)


 エリスが困惑していると、アレクシスは不満そうに言い放つ。


「俺だってエスコートくらいはする」

「――!」

「そもそも今夜は舞踏会だぞ。離れていたらおかしいだろう」

「た……確かに、仰るとおりですわね……」


(そうよね。舞踏会で夫婦が離れていたら、変よね……)


 エリスは心の中でアレクシスの言葉を復唱し、右手をそっとアレクシスの左腕に添えた。


 ユリウスと比べて、腕の位置が少し高い。


 その当たり前の違いに、意味もなく胸の鼓動を速めながら――エリスはアレクシスにエスコートされて、夜の王宮へと向かった。

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