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11.贈り物



(ああ、結局今日もこの時間か)



 宮廷舞踏会を三日後に控えたその日の夜、仕事を終えたアレクシスは帰りの馬車の中で一人溜め息をついた。


 時刻は夜十時を回っている。

 通り過ぎる街の様子は一部の歓楽街を除き、息をひそめたように静まり返っていた。



(彼女はもう休んでしまっただろうか)


 アレクシスはエリスの顔を思い浮かべながら、座席の上の化粧箱を見つめる。



 今日ようやく完成したばかりのネックレス。


 エリスの清楚なイメージと、ライムグリーンの優しい色合いのドレスに合わせて作らせた、繊細かつ華やかなデザイン。


 色が強すぎないようにと、エメラルドは直径五ミリの小ぶりサイズが十二個と少なめであるが、その代わり、首回りを含めたネックレス全体に極小粒のダイヤモンドを百六十六個あしらった。


 これなら他の妃たちに見劣りすることもないだろう。我ながら上出来だ――アレクシスは完成したネックレスを見たとき、思わず自画自賛したほどだ。


 とは言え、最初から全てが上手くいっていたわけではない。


 そもそもアレクシスは、昔から宝石に興味のない人間だった。


 どうして女はあんな石ころを欲しがるのだろう。到底理解できない、と。

 自らを飾り上げるためだけに大枚をはたく人間を、心の中で蔑んですらいた。


 だから宝石商の持参した大小さまざまなエメラルドを見せられたときも、何の違いもわからなかった。

 カットの違いくらいは流石に見た目でわかったが、「輝きが異なっている」と説明されたときは「どれも同じ緑だろう」と答えてひんしゅくを買ったほどである。


 そんなアレクシスだったから、最初は全てをデザイナーに丸投げしようと考えた。

 実際、アレクシスはエリスのドレスのデザイン画を見せ、「このドレスに合わせてデザインしてくれ」とだけ注文を付け、いくつかのサンプルを作らせた。


 だがどうもしっくりこない。

 どれもエリスには華やかすぎる気がするのだ。


 もしそのネックレスを身に着けるのがマリアンヌであったなら、何の違和感もなかっただろう。あるいは、他の皇女や妃たちなら馴染んだかもしれない。


 けれど、エリスには強すぎる。


 確かに彼女は美人だが、パッと周りの目を引くようなタイプではないし、身長は百六十センチに満たないほど小柄な上、体つきもほっそりしている。

 女性らしい体系の他の妃たちと並ぼうものなら、まるで子供に見えるかもしれない。


 そんな彼女に派手なデザインの宝石は似合わない。


 そう思ったアレクシスは、結果的に色々と口を出さなければならなくなった。


 おかげで何日も仕事が滞り、その遅れを取り戻すために夜遅くまで居残る日々が続いた。

 帰宅は真夜中を過ぎるため、夕食は執務室で取るしかなく、エリスには先に休んでもらうしかなかった。


 だがようやくその遅れを取り戻し、今日こそは早く帰れる。ネックレスも完成した。一緒に夕食を――と意気込んでいたところ、セドリックが疲労のためダウンしてしまったものだから、仕事が終わらなかったのだ。



(流石に働かせすぎたか。――そう言えばあいつ、昔はよく熱を出していたな)


 アレクシスは幼いころのセドリックを思い出す。


 アレクシスとセドリックは乳兄弟で、家族同然に育ってきた。幼いころの記憶の中には常にセドリックがいるし、ランデル王国へも共に留学した。


 セドリック本人は口にしないが、もともと身体があまり丈夫ではないセドリックが軍人になったのは、アレクシスの側にいる為だ。

 その忠誠心は母の愛より深いと断言できる。


(まぁ、そもそも母は俺のことなど愛していなかっただろうが……。ともかく、セドリックには数日休みを与えなければな)



 ――アレクシスがそんなことを考えていると、不意に馬車が停まった。

 どうやら宮に着いたようだ。


 化粧箱を片手に馬車から降りると、侍従が出迎えてくれる。


「お帰りなさいませ、殿下」

「ああ。妃はもう休んだか?」

「いいえ、まだ。エリス様は食堂で殿下を待っておられます。夕食を共にされると仰って」

「――! まさかずっと待っているのか?」

「はい。二時間ほど前からでしょうか」

「――っ」


 その言葉に、アレクシスは言いようもなく胸が熱くなるのを感じた。

 普段は着替えてから食事をするところだが、その時間すら惜しいと思った。

 こんな感情は生まれて初めてだった。


 気付いた時には、食堂の扉を開けていた。


 するとそこには「お帰りなさいませ、殿下」――と、いつものように微笑んでくれるエリスの姿。


「……なぜ、こんなに遅くまで。夕方報せを出したはずだが……読まなかったのか?」

「いえ、ちゃんと読みましたわ。ただ、わたくしが待ちたかっただけで……。もしかして、もう夕食は済まされてしまいましたか?」

「いや……、まだだ。まだ……何も」

「良かった。でしたら、今から一緒に召しあがりませんか?」

「……っ」


(ああ……なぜだ? どうして俺はこんなにも動揺している?)


 朝食のときは、彼女を見てもこんな気持ちにはならなかったはずなのに――。


 アレクシスの心に芽生える未知の感情。

 温かくて、むずがゆくて、けれど同時に、胸を締め付けられるような不思議な感覚。


 苦しいのに、嫌ではない。

 悲しくないのに、泣きたくなる。


 そんな初めての感情に、アレクシスは化粧箱を持つ手にぎゅっと力を込めた。


 緊張に、冷や汗が滲む。



「食事の前に、君に渡したいものがある。側に寄ってもかまわないか?」



 アレクシスは、普段は決してエリスに近づかない。

 食事を一緒にするようになっても、二人の物理的な距離は離れたままだ。


 それはアレクシスが自分の女嫌いを自覚しているからであり、また、エリスが自分のことを恐れていると思っているからだった。


 近づけばエリスを怯えさせてしまうかもしれない。

 咄嗟に突き飛ばしてしまうかもしれない。


 アレクシスの中には、常にそんな恐れが存在していた。


 だが、贈り物くらいは自分の手で渡したい。

 侍従や侍女の手を介さず、自分の手で……。


 アレクシスはそんな気持ちで、エリスの返事を待つ。


 するとエリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふわりと微笑んだ。


「はい、もちろんです、殿下」――と。


 その笑顔に、アレクシスの心臓が跳ねる。


 彼はごくりと喉を鳴らし、一歩、二歩と慎重にエリスに近づいていった。

 そしてエリスのすぐ目の前に立つと、化粧箱の蓋をゆっくりと開いた。


 美しく輝くエメラルドと、沢山のダイヤモンドが散りばめられたネックレスが、エリスの瞳に映される。


「殿下……まさかこれを、わたくしに……?」

「そうだ。三日後の舞踏会のドレスに合わせて作らせた。ギリギリになってしまって、すまなかった」

「……っ」

「本当はもっと早く完成させる予定でいたんだが……デザインをあれこれ悩んでいたらこんな時期になってしまってな」


 実は忘れていただなんて、口が裂けても言えやしない。


「え……? このネックレス、殿下がデザインされたのですか?」

「ああ……一応な。き……気に入らないか……?」

「そんな、まさか……! 気に入りましたわ! 凄く……凄く綺麗です。……本当に嬉しいです。ありがとうございます、殿下」


 気恥ずかしそうに微笑むエリスに、アレクシスは心底安堵する。

 こんなにも緊張したのは、初めて戦場に立ったとき以来かもしれない、と。

 

 だが、とても良い気分だった。

 戦果を認められるのとは、全く違う達成感。


 自分の贈り物を、喜んでくれる人がいる。

 その人の喜ぶ顔を見ると、こんなにも満たされた気持ちになるのかと。


 それはアレクシスにとって、思い出の中のエリスとの出会いと同じくらい、特別な瞬間だった。


 

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