Fin.星に願いを
それは一年で最も夜が長い、冬至の日の昼下がりのこと。
平民に扮したエリスとアレクシスは、『星まつり』を楽しむため、帝都中央広場へと足を運んでいた。
「本当に殿下の仰っていたとおりですわ! 街中が星型で彩られて、まるで夢の中のようです……!」
「そうだろう? 『星まつり』は、帝都三大祭りのうちの一つだからな」
「日が暮れたら、灯りを灯したランタンを運河に浮かべるんですよね?」
「ああ。あれは美しいぞ。ランタンには自分で模様を入れることもできるんだ。後でやってみるか?」
「ええ、ぜひ……!」
『星まつり』とはその名のとおり、星に願いを捧げる祭りのことだ。
もともとは『闇を追い払った太陽神ミトラスに、次の一年を無事に過ごせるよう祈りを捧げる儀式』だったが、いつしか、『夜空の星々に願いを託す祭り』に変化した。
今では、この夜に願い事をすると叶うと信じられており、人々は日が落ちると、願いを込めたランタンを運河に浮かべ、夜空に願いを捧げるのだ。
そんな祭りを象徴するように、街のいたるところに星形の飾りが飾り付けられ、広場に立ち並ぶ沢山の屋台には、星を模した菓子や小物が並んでいる。
建国祭のとき同様、大人も子供も、身分も関係なく祭りを楽しむ様子は、エリスにとって、とても新鮮なものだった。
「殿下、あれは何ですか?」
「ああ、あれは『星灯り』と言って――」
◇
「殿下、こちらに並んでいるのは全て飴でしょうか? とても綺麗ですわ」
「星飴と言うんだ。砂糖細工だな。好きな色を選ぶといい」
◇
「殿下、これはどうでしょう? 流れ星ポップコーンだそうです」
「青と、紫だと……!? 凄い色だが、食べられるのか……?」
「どんな味か想像できませんわね」
「……悪いことは言わない。別のにしよう、エリス」
――といった調子で、二人は沢山の屋台を見て回った。
星屑ジュース、星空クレープ、願い星ランタン作り――どれも星祭りならではのものだ。
そうして一通り屋台を回ったところで、エリスは少し先の人だかりに気が付き、足を止める。
「殿下、向こうに人が集まっていますが、これから何かあるのですか?」
アレクシスが視線を向けると、そこには簡易的な舞台が設置されていた。
「ああ、あれは演劇だ。毎年、星まつりの起源となった神話をああやって舞台にするんだ。気になるなら観ていくか?」
「いいのですか? でも、殿下は退屈なのでは……」
「いいに決まっているだろう。それに、立ちっぱなしは良くないからな。少し休憩していこう」
そう言って、エリスを優しくエスコートするアレクシスの横顔には、エリスへの愛情が溢れている。
エリスは、そんなアレクシスの愛を深く噛みしめながら、「はい、殿下」と微笑んだ。
◇
その後エリスは、最後尾の席にアレクシスと並んで座り、演劇を鑑賞した。
冬至の夜に訪れた闇の試練に立ち向かう人々の強い生き様と、太陽神ミトラスの誕生を、華やかな衣装をまとった演者たちが優雅な動きと力強い台詞で表現する――その様子に魅入られながら、このひと月のことを思い出す。
アレクシスが宮で仕事をするようになってから、丁度ひと月。
決闘があった日から数えると、ひと月半。
エリスは、まるでリアムとの一件など最初からなかったかのような、平穏で穏やかな日々を過ごしていた。
朝は相変わらずなかなか起きられない日が続いているが、朝食も夕食も、もちろんティータイムも、アレクシスと共に過ごすことができている。
外出も許可されて、マリアンヌとお茶をしたり、図書館へ行くこともできるようになった。
それもこれも、クロヴィスがルクレール侯爵を議長の座から追いやってくれたお陰だろう。
ひと月前、議長の座を退く意思を示したルクレール侯爵は、翌日には帝都の屋敷を売り払う算段を整え、あっと言う間に領地へと帰還。
それに伴い、エリスの不貞の噂はルクレール侯爵の議長辞任のニュースへと、一気に塗り替えられた。
しかもその辞任は、クロヴィスではなく『アレクシスの怒りを買った』からだという情報が流れたために、貴族たちはエリスについてだけでなく、リアムの死についてさえも一切触れなくなった。
アレクシスの怒りを買えば、命すら危ういと判断したのだ。
その後すぐに、第二皇子派の伯爵が新議長に着任。まだ三十代の若い男らしいが、セドリック曰く、相当のやり手だと言う。
また、つい先日、ランデル王国にいるオリビアからも手紙が届いた。
オリビアはジークフリートの計らいで、医療院で看護助手として働き始めたという。いずれは資格を取り、看護師を目指すそうだ。
一方リアムの方は、ジークフリートにその聡明さを買われ、行政官にならないかと誘われているとのこと。
本人も、剣よりはペンを握る方が性に合っている自覚があるらしく、おそらくそちらの道に進むだろうとのことだった。
(オリビア様とリアム様が、あちらで無事に過ごされていることがわかって本当に良かったわ。――でも、本当に驚いたのはシオンのことなのよね)
というのも、シオンはルクレール侯爵が売りに出した屋敷を、そのまま買い取ってしまったのだ。
それも、解雇されるはずだった使用人たちを、一人残らずそのままに。
それをアレクシスから知らされたエリスがシオンを問い詰めると、シオンはあっけらかんと笑ってこう言った。
「お金なら有り余るほどあるからね。有効活用しないと。それに、あの温室を取り壊しちゃうのはもったいだろう?」――と。
(あのときは本当に驚いたわ。結局、いくら払ったのかも教えてくれなくて……。せめて一言知らせてくれたら良かったのに)
半数以上の使用人が辞めた状態だったとはいえ、毎月の給金を払い続けることを考えると、エリスは弟の懐具合が心配になったのだが、その後セドリックが「十年は問題ないでしょう」と教えてくれたことで、ひとまず安堵したエリスである。
――そして最後に、進展があったことがもう一つ。
エリスは、先週のマリアンヌとのお茶の時間を思い出す。
エリスはその日、マリアンヌが首につけていた真珠のネックレスを見て、すぐにピンときた。
ネックレスの意匠が、アレクシスから受け取ったロレーヌ土産の真珠のアクセサリーと同じものだったからだ。
(これって、絶対そうよね……?)
だからエリスは、「もしかして、そのネックレスは」と尋ねてみた。
するとマリアンヌは頬を赤く染めながら、「実は、とある方からいただいたの。ほら、この前の刺繍のハンカチ……そのお礼で」と、嬉しそうに笑ったのだ。
その後マリアンヌは、セドリックの名前こそ出さなかったけれど、相手のいいところや、どんなところに惹かれているかなどを、恥ずかしそうに語ってくれた。
(あのときのマリアンヌ様、本当にお可愛らしかったわ)
エリスは、思わずニヤけそうになる唇を押し留めながら、
(そうだわ。今日の星への願い事は、お二人の恋の成就にしようかしら)
などと考え始める。
エリスは一週間ほど前から『願い事』を何にするか考えていたのだが、今が幸せすぎて、他に望むものが思い当たらなかったからだ。
願い事の内容はどんなことでもいいと聞いているし、他人の幸福を願ったって、何の問題もないだろう。
エリスが願い事を決めたところで、劇は最高潮を迎え、太陽神ミトラスが人々に希望を授ける場面へと移る。
『人々よ! その願いを星へ託せ――永遠に輝く光のもと、我が汝らの祈りを聞き届けよう!』
演者の力強い声が広場に響き渡り、大きな歓声が沸き起こる。――終幕だ。
「どうだった? エリス」
「とても興味深かったです。また来年も観たいですわ」
「そうか。気に入ってもらえたなら何よりだ。来年も一緒に観よう」
「はい、殿下」
「……そろそろ日が暮れるな、移動するか」
その声に空を見上げると、青色だった空は、すっかり紅色に染まっていた。
メインイベントの時間だ。
隣に座っていたアレクシスが立ち上がり、優しい笑顔で、手を差し伸べてくれる。
「さあ、手を」
エリスはそんなアレクシスの微笑みに胸をときめかせながら、右手をそっと、アレクシスの手のひらに重ねた。
◇
それから少し後。
二人はボートの上にいた。
すっかり日は落ち、星々がきらめき始める時間帯。
運河に浮かぶ無数のランタンが、まるで夜空に瞬く星々のように輝いている。
そんな幻想的な運河の真ん中で、エリスは空を見上げていた。
「……本当に綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
星まつりの夜は王宮を除いて街中が灯りを落とし、ランタンだけの灯りで一晩を過ごす。
帝都全体がいつもより暗い分、星々がくっきりと見える。それも美しさの理由だろう。
二人はしばし、ただ静かに星を眺めていた。運河のさざ波と、冬の透き通った空気を、心地よく感じながら。
そうして少し経った頃、ふと、エリスが口を開いた。
「星まつりでは、星に願いをかけるんですよね? 殿下は、何を願われるのですか?」
その問いに、アレクシスは少し考え、聞き返す。
「そうだな……君は?」
「わたくしですか? わたくしは……」
本音を言えば、マリアンヌの恋の成就をお願いしようと思っていた。
だが、それをアレクシスに言ってしまうのは不味い気がする。なぜって、アレクシスはまだ、マリアンヌがセドリックを好きなことを知らないのだから。
そう考えたエリスは、恋の成就は心の中でそっと祈るに留め、こう答えた。
「ありません」と。
「……ない?」
「はい。わたくしの願いは全部叶ってしまいました。殿下のお側にこうしていられることが、わたくしの願いであり、幸せですから」
「――っ」
刹那、アレクシスはハッと息を呑む。
そして一度は「俺も」と同意しかけたものの、すぐに言葉を詰まらせた。
「……殿下?」
いったいどうしたというのだろう。
エリスが不思議に思っていると、アレクシスはしばらく沈黙した後、そっと唇を開いた。
「俺も、星に願いたいことはない。……だが、君に、一つ叶えてもらいたいことがある」
「わたくしに、ですか?」
「ああ。……もちろん、強制はしないんだが」
どこか恥ずかしそうに視線を逸らすアレクシスに、エリスはこくりと頷く。
「わたくしに叶えられることならば」と。
すると、意を決したように、アレクシスは言った。
「俺のことを、名前で呼んでくれないか?」
エリスは目を見開く。
「殿下を……お名前で……?」
「ああ。敬称で呼ばれることに不満はないが、リアムのことすら名前で呼ぶのに、俺の名前は呼んでもらえないのかと……正直、嫉妬していたんだ」
「――!」
「どうだろうか?」
瞬間、エリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。
嫉妬していた――そんな風に言われたら、浮かれてしまう。
「……お名前で、お呼びすればいいのですね?」
確かに今まで、アレクシスのことはほとんど「殿下」呼びだった。「アレクシス殿下」と呼ぶことすら珍しい。
それを思うと、「殿下」という敬称を付けないのは、どうにも気恥ずかしく思えてしまうが、それでアレクシスが喜んでくれるなら、呼ばない選択肢はない。
エリスはごくりと息を呑んで、アレクシスを見つめる。
そして――。
「……アレクシス、様」
「――ッ」
刹那、感極まったのか、見たこともないほど破顔するアレクシス。
彼はオールを放し、エリスの身体をそっと抱き寄せると、頬に鼻先をすり寄せる。
「これからは、毎日そう呼んでくれ、エリス」
「……っ」
低く甘い声が響き、アレクシスの唇がゆっくりと降りてくる。
それに応えるように、エリスは、アレクシスに身を委ねた。
「エリス……君を、愛している」
「わたくしもです。……アレクシス様」
夜風が水面を撫で、夜空が輝きを増していく。
煌めく星々に祝福されながら、二人は互いを確かめ合うように――深く深く、唇を重ねた。
《Fin.》
これにて2部完結です。
大変長らくお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
スタンプも大変励みにさせていただきました。これがなかったら完結できなかったんじゃないかと思うほど、執筆意欲の源でした。重ねてお礼申し上げます!
3部については、現状、連載時期未定となっております。
また続きが更新されることがあったら(誰目線)、そのときはお付き合いいただけますと、大変嬉しく思います。
この度は本当に、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
夕凪ゆな




