3‐2‐7 鈍色の瞳、金色の瞳
クレメンスがナギサを伴って退出した。
遮音の結界が張られたこの部屋は、扉が閉められると周りから隔絶されたように再びしんと静まり返った。
その静寂の中、ふっ、とマグナルバが息を吐き、手に持ったまま口をつけずにいたグラスを呷った。
だが、ウォーリは一息つくのではなく、誰もいないはずの執務机の上、その虚空へと冷ややかな鈍色の瞳を向けた。
「——何か言うことはないのか」
「怖いなぁ……。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
柔らかな声が誰もいないはずの場所から聞こえる。
と、一瞬視界に霞がかかったような錯覚を覚えるが、それが晴れた時には、一人の美丈夫が机の角に腰を預けていた。
そこに居るだけで周りを明るく照らすほどの金の髪。長い睫毛に縁取られた瞳も陽光に煌めく黄金のようだ。
「ナギサとあの騎士——クレメンスだっけ? が言っていることは、さっき僕がした説明と矛盾はなかっただろ?」
「違う! そのことではない。お前が視ていて、何故このような事態になるんだ!」
「そんなことを言われてもね。不覚にも、最初から視ていたわけではないからさ。
君だって知っているだろう? 僕達は全知全能ではない、ということぐらい。
気づいた時には、もう奴が手を貸していたからね。ナギサも傷つくことなく、とても上手く立ち回っていたし」
ケロリとした表情で美丈夫——リュークは肩をすくめている。
だが、その内心は決して穏やかなものではなかった。——また僕は彼女の危機に間に合わなかった、一番に手を差し伸べることができなかったと、後悔と悔しさにまみれていた。
「そうなのか? わたしはてっきりいつもナギサを視ているのかと思っていたぞ」
マグナルバがニヤニヤとしながらリュークへ言葉を投げる。
「酷いなぁ、マギー。そんなわけないだろう。そんなことをしたら、ナギサを攫いたくなるから無理だよ」
——いつも彼女を視ていたい。だが、それは無理な事。ならば、いつも傍に……それはナギサの気持ちを尊重する行動ではない……。
リュークの言葉に、マグナルバはグラスを口元へ運ぶ手を止めた。
「おい、その笑顔で物騒なことを言うな。酒が不味くなる」
——なんだ、こいつ。危ない奴だなぁ。冗談で言ったつもりだぞ、わたしは……。
毒気に当てられたような顔で琥珀色の液体を睨み、マグナルバはそのまま喉の奥へ流し込んだ。あの溺愛ぶりを思い出せば、リュークの言葉が冗談に聞こえないのが一番の恐怖だった。
「で、リューク。途中から視ていたとしてもだ、何故、助けに入らなかったんだ。神ニヒルムを信用しきっているわけではないのだろ?」
こつり、ウォーリは指先でテーブルを叩き、リュークの視線を己に向ける。
「まぁ、信用はしていないね。実際、あのときもナギサのことを“それ”呼ばわりしていたぐらいだからね。二人は念話で話していたから何をどう決めたのか知らないけど、ナギサが納得しているようだったから、任せてみたのさ」
——そう、ニールの奴、ナギサの扱いが酷すぎる。ただ、その割にはナギサの意思を汲み取った動きだった。
「だが、結果一人取り逃がして、先程の彼女の様子を見ただろう? かなり悔やんでいたぞ」
「そうだね。でも、ナギサの動き、十分以上じゃないか? 大人でも、普通ここまで対応できないだろ」
「確かにそうだが。あのような状況で咄嗟にそこまで判断して行動できた。しかも冷静さを失っていない。並みの大人でも難しいことだ」
ウォーリの言葉にリュークはまるで自分が褒められたかのように、笑みを深くする。
「だが、リューク。視ていたのだろ? あの長屋で起こったことを。ナギサに害を為そうとしていた奴らだ。光珠を追う騎士の動きは視ていなかったのか?」
「視ていないわけがないじゃないか。ナギサが上手く立ち回っていることと、あの男達を逃すことは別だよ」
「ならば逃げた男の行先は知っているのか!」
弾かれたように、ウォーリはソファから立ち上がっていた。詰め寄る勢いでリュークの傍に立つが、
「いや、知らないよ」
あっさりと両手を広げて肩をすくめるリュークに、ウォーリは額を押さえ黙り込んでしまった。
これで黒幕に辿り着ける、そう期待したのだが……。
「おい、リューク。あまりウォーリで遊ぶな。何を苛ついているのか知らんが、印くらいは、その男に刻んだのだろう?」
「ああ、勿論さ、マギー。
苛ついている? 当然だろ。ナギサを危険に晒してしまったんだ。彼女は上手く立ち回ったし、危害も受けていない。それでもね、僕は我慢できないよ。あの男達の存在に。
だけど、さっきも言ったけど、僕らは主と違って、すべてを視ることはできない。
それに、分かっていると思うけど、僕らから人へ、自主的に手助けはしないよ。
逃げた男に印は確かに付けたけど、今この瞬間どこにいるかまでは監視し続けていない。
今回の件だって、君達が解決すべき事柄だ。ナギサがいるから、僕は今ここにいるだけだよ」
二人に向ける黄金の瞳——いつの間にか冷徹な光を帯びていた。




