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実現的ハウツー本

 世の中には、安易なハウツー本が出回り過ぎている、と僕は常日頃からつくづくそう思っている。それらが実際に効果てき面、いや、多少なりとも身につくのならば何も言うことはないのだが、そうではないので、実に嘆かわしい。

 だいたいが、単なる誇大広告だ。魅惑的なキャッチコピーの作り方だけは一丁前だから、よけいに小憎らしい。

 コミュニケーション能力に乏しい者、たるんだ腹の持ち主、英会話力が皆無な方達は、その欠如した穴を埋めるためにこぞってハウツー本を買う。

 手っ取り早く己の欠損を補おうとするのは確かに良くないことかもしれないのだがしかし、僕からしてみればやはり嘘八百のハウツー本達が気に食わない気持ちが先行してしまう。

 や、ハウツー本だけではない。啓発本、インターネットニュースや新聞紙でも見かける、年収一千万円の人は毎日なんとかかんとかをしている、というのも腹立たしい。

 皇居ランニングをしている人の大多数は年収一千万円以上だ、と言われて、僕は毎朝実践してみたところ、得られたものはより引き締まった身体、ただそれだけだった。

 社会人になってから、一切、運動をしなくなっていた身としては、それはなかなかに素晴らしい成果なのかもしれないが、僕の求めていたものはそんなものではない。

 結局、僕はいい鴨なのだろう。

「よし、これで最後にしよう」

 今僕は、先日、祖母の倉庫で見つけたある本に書かれていたあることを行おうとしていた。

 悪魔を呼ぶ儀式、だ。

 祖父は、こういった類のわけのわからない蔵書だとか、骨董品だとかの収集癖があって、『悪魔召喚理論』も彼のお目にかかった品の一つなのだ。

 これをしたらこうなります、あれをしたらああなります、というのは、この本で最後にしようと思う。

 なぜ、これを選んだかって? 本に頼るのを最後にするなら、今までに試したこともない強烈なものが良かったし、オカルト系は過去においてトライしたことがなかったからである。また、悪魔を呼べた場合、願いを叶えられるし、それならもう全ての悩みを解消できるわけで……。

「悪魔を呼ぶにはっと……何々、壷に大さじ一杯の塩、小さじ一杯の砂糖、米一合を入れる。よくかき混ぜた後……豚肉を細切りし、醤油とお酒で下味をつける。ピーマンとたけのこを細切りする。豚肉は炒める前に片栗粉をまぶし……」

 壷はなかったので、ボウルで代用し、その他の手順は全て本に則った。

「どうも胡散臭い儀式だなあ。ダークな感じが、欠片もない」

 普段、料理をしないアラサーの僕としては、悪魔を呼び出すのも一苦労だ。

 埃をかぶった包丁を取り出し豚肉をさばかなくてはならなかったし、いちいち片栗粉をまぶすのは億劫でならない。なにせ、我が住まいには、まるで使われない調理器具と、空っぽの冷蔵庫しかないのだから。

 悪魔を呼ぶ下準備が、ようやくできた。

「アボガドトト、リシャドンラガガッシャンスッタカ……タンタンタン」

 本に記述されている呪文を、少々つっかえながら詠んでみた。

 しかし部屋は静まり返ったままで、案の定、何も起きない。

「ははあ。やはり、嘘だったか。こんちくしょうめ」

 僕はたんせい込めて作った成果物に、恨みがましい視線を送った。

 と、その時、チャイムが鳴った。

「はいはーい」

 扉を開けると、そこにいるのは少々くたびれたスーツを着た男性だった。

 頭には取ってつけたような羊みたいな角がある。

 はてさて、今日はハロウィンだっただろうか。

「あ、あのー……」

「あ、申し遅れました。私は、悪魔です」

「は、はあ……」

 新手の詐欺か、あるいは少々頭のおかしいセールスマンだろう。

「すいません、今取り込んでいる最中でして」

 扉を閉めようとすると、

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そりゃないでしょう」

 扉の隙間に、強引に指を入れてくる。

「そりゃ『ある』んです!」

 なかなかにしつこいセールスマンだ。

「身勝手にも程がありますよ! 呼び出しておきながら、家にも入れてくれないだなんて」

 呼び出す?

 どきり、とした。

 もしかして、本当にこいつは悪魔なのかもしれない。

 扉を開けて、その男を改めて見てみた。

 やや大きめのズボン、ジャケットはしかしぴっちりしたサイズで、顔には疲労感がにじんでいる。齢は四十過ぎといったところか。

 髪型は角があることを除き、普通、ではなくて、寝癖でとっちらかっている。

 初見では、角のインパクトがあり過ぎて、この酷い寝癖に気づかなかったようだ。

「本当に悪魔かい?」

「はい」

「証拠は?」

「こちらです」

 自称悪魔は、名刺を差し出した。

「こんなものは、人間でも作れるじゃないか」

「あ、でしたら、これなんかどうです?」

 悪魔は運転免許証サイズのカードを取り出して、手渡してきた。

「これは……」

「中級悪魔認定証です」

「だ、か、ら、これも悪魔の証明にはならないじゃん」

「いえ、このカードはですね、燃えないし、凍らないし、汚れないんです」

「燃えない?」

 触った感じでは、材質が紙に思えたものの、試しにやらせてみた。

「いいですか?」

 悪魔は、ライターでカードをあぶった。

「ほら、燃えないでしょう?」

 悪魔が胸を張ってそう言うものの、カードは大絶賛炎上中だった。

「ぎ、ぎゃああああああああ! わわわわわ、私の認定証がああああ」

 悪魔は必死になって吹き消そうとしたが、 燃える速度がよけいに上がるだけだ。

 慌てて彼は揉み消そうと試みたものの、熱過ぎて取り落としてしまい、そうこうしている内に消し炭になってしまった。

「うううううう」

 どうやら、彼は悪魔ではないらしい。

「ええ、ええ、あなたが仰る通りです。認定証をなくした今、私は悪魔とはみなされないでしょう」

 実質は悪魔だ、とまだ言い張る気なのか。

「そうですか。では、さようなら」

 今度こそ、私が扉を閉めようとした時、

「壷に大さじ一杯の塩、小さじ一杯の砂糖、米一合を入れる。よくかき混ぜた後……豚肉を細切りし、醤油とお酒で下味をつける。ピーマンとたけのこを細切りする。豚肉は炒める前に片栗粉をまぶし……」

 悪魔が諳んじてみせる。

「信じてくれましたか?」

 これは、本物かもしれない。

 よくよく考えてみれば、ここまで間抜けなセールスマンも詐欺師もいないだろう。彼らは、一般人よりもっと狡猾で残忍でなくては務まらない仕事なのだから。

 しかし、こんな格好の悪魔が果たしているだろうか?

「では、私をナイフか何かで刺してみてください。血が一滴も出ませんから」

「本当か?」

 今しがた、燃えないという中級悪魔認定証が景気良く燃え盛っているのを見た後とあっては、彼の流血する姿しか思い浮かばない。

「心配でしたら、ほら、私の太ももあたりを刺してみてくださいよ。あるいは、指をちょいと切るとか」

 ふうむ。それなら、重傷にはならないし、彼が真の悪魔かどうかを判断する材料になる。

 僕は台所から、豚肉を切って間もない包丁を取ってきた。洗っていないが、別に構わない、か。

 包丁で、彼の指先を切りつけてみると、

「ぎ、ぎゃーーーーーーーーー! い、痛い!」

 殺されるかというぐらいの叫び声だ。

「大丈夫ですか?」

 やはり、彼は人間だった。

「傷の手当は自分でしてくださいね」

 踵を返そうとすると、

「ま、待ってください」

 彼が指を差し出す。

 悪魔の切れた指からは、一滴の血も流れていなかった。

「君は悪魔だね」

「いえ、悪魔だった者です」

「いいから、入ってよ、悪魔さん」

「いえ、悪魔だった者です」

「悪魔だった者さん、入ってくれ……」

「入ります」

 僕は悪魔だった者を招き入れて、お茶を淹れた。

「はあ、助かります。お茶は大好きなんですよねえ」

 悪魔が、にこやかになる。

「なんというか心が温まるんです」

 僕は、うだつの上がらないセールスマン風の彼を見やった。

「先程の包丁を見せてもらえます?」

「いいけど」

 彼に包丁を渡すと、悪魔がそれをまじまじと見る。

「な、なんか汚れてません?」

「豚肉を切ったやつだからね」

「ぬぶぶぶぶ。いけませんな、それはいけません。雑菌が入って、腫れたらどうするんです?」

 アルコール消毒、と言って、彼は鞄から消毒液を取り出し、傷口を殺菌し、ガーゼを宛てがった。とことん人間臭い悪魔である。

「いつも持ち歩いているの、それ」

「あ、はい。悪魔だとなかなか信じてもらえないので、よく切ってもらうので」

 だったら、証明書だとか名刺だとかはやめて、最初からそうすればいいのに。

「それをすると、上司に怒られるんですよ」

 悪魔の世界も、何かと面倒な手続きに縛られているようだ。

「しかし、君はなかなか悪魔に見えないねえ」

「お恥ずかしながら、私は中級悪魔なのです」

「中級悪魔は、そういう風貌が当たり前なのかい?」

「さようでございます。儀式の下準備を拝見させてもらったところ、所々、従来のやり方を踏襲していない部分が見受けられますので、おそらくそのせいゆえに上級悪魔を呼べなかったのでしょう」

 悪魔が、ちらりとボウルを見やる。

 壷の代用にボウルを選んだのは、あまり良くなかったらしい。

「それで、僕の願いを叶えてくれるのかい?」

「おおっと、そうでしたね。何がお望みで?」

「そうだなあ……」

 気づけば、僕は彼に、これをしたら年収アップだとか、あれをしたら身体に良いだとかいった誇大広告、ネットニュース、ハウツー本の不満を赤裸々に吐露していた。

「あなたの望みというのは、つまり、それらの本だとかに書かれていることを実践したら、実際に年収アップ、恋愛成就、健康回復などに繋がるようにして欲しい、と仰るわけですか?」

「え?」

 いや、そうか。そうだったか。なるほど、僕が求めていたものはそれだったのだ。

 中級と言っておきながら、なかなかに気が利く悪魔に少しだけ感心した。

「いえいえ、私は営業成績の悪い悪魔ですよ。住宅ローンに苦しめられ、今度私立中学に入る我が子の教育費でさらに家計が圧迫され、もう首が回らない状態です。その上、最近は冥界も不景気でして、度重なるボーナスカット、賃金カットに疲弊しきっております」

 彼がうなだれてみせる。

 冥界は、この世と同じぐらいに苦しいところらしい。

 それの意味するところが、この世は冥界レベルにひどいということなのか、それとも冥界がこの世ぐらいに安泰なのかは、判別がつかないけれども。

「では、僕にその力を授けてくれ」

「承知しました。では、与えましょう、ハウツー能力を!」

 えいやっと、悪魔はかけ声とともに、人差し指を僕に向けた。

 それと同時に彼の指先から凄まじい光がほとばしる、と思いきや、少量の黒煙が出るだけに終わった。

「終わりました」

「あのー、失敗してないかい?」

「いえいえ、完璧ですよ。試しに何か実践してみてくだされば、即座におわかりになるかと」

「うーむ」

 少々髪が薄くなりつつあった僕は、かつて使ってみて全く効き目がなかった発毛剤を頭に塗りたくってみた。

 すると、たちまちの内に、頭にボリュームが出てくる。

「おおおおお!」

「どうです? お気に召しましたか」

「いやあ、助かった。ありがとう。感謝してもしきれないよ」

「では、お代の方を」

「お代?」

「さようでございます。半年後に、魂を頂戴に伺います」

「ふざけるなよ。嫌だよ、そんなの」

「と言われましても、規則は規則です」

「やなこった!」

「や、でも、怖いものですよ、とてつもない能力、というのは。その能力自体によって死ぬ人や魔物を、私は散々見てきましたからね」

「例えば?」

「ほら、名前は忘れましたが、目が合った相手を石に変える魔物とかいましたよね?」

「ああ、ゴーゴンか。鏡を見せられて、死んだよね」

「さようでございます。彼女は、私が担当したんです。魂を差し出すのを嫌がってましてね……」

「でも、その一人だけだろ?」

「他にも、例えば人間ですと、自身が生み出した車や飛行機、あるいは兵器で死んでいっているでしょう?」

「それは能力では……」

「いえ、ある意味、能力ですね。私達悪魔が、アイディアを提供してあげるんですよ。バイクのアイディアは、私がウィリアムに教えたんです。結局、あのお客様も魂を差し出すのをごねて、バイクの交通事故で死にましたが」

 馬鹿らしい。そんなのはたまたまだ。

「もし魂を提供して頂けるなら、半年は命の保証期間がありますよ。それに今ですと、能力授与サービスを友人にご紹介して頂いた方には、保証期間五年延長サービスも行っています」

 そう言われても、僕には魂を提供する気は毛頭ない。特にこの悪魔には。

「断る!」

「そうですか、そうですか、では、力づくで魂を奪うしかありませんな」

「な、なに!」

 力づくと言うものだから、襲いかかってくるのかと思いきや、彼は鞄からノートパソコンを取り出し、カチャカチャと打ち始めた。

『悪魔認定証がない方は、魂吸引アプリを起動することはできません』

 ノートパソコンが、そう告げる。

「ぐくあわわわわ。しまった……上司にどやされてしまいます、このままでは」

 悪魔はその場にへたり込んでしまったまま、一向に動かなくなった。

 そんなバカな、とか、ありえない、とか言ったきり、ぶつぶつ独白をし続けるものだから、たまりかねた僕は彼を引っ張って、家の外に放り出した。

「ちょ、ちょっと待ってください。この絵だけ見てください。そうすれば帰りますから!」

 玄関先でやたら喚かれると、近所の人になんて思われるかわかったものではない。

「それを見たら、帰ってくれるか?」

「は、はい、もちろん。悪魔に二言はありません」

 しぶしぶ玄関を開いて、その絵を見ると、途端に世界が暗くなり始める。

 胸が苦しい。熱い湯でも肺に注入されたかのようで、息ができなくなる。

「そ、その絵は……」

「はい、見たら死ぬ、という絵ですね」




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