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第四の魔

 初詣で引いたオミクジには大凶は仕込まれていない、という常識を見事に打ち崩した俺は、新年早々ついていないな、と大きく溜息を吐いた。

『あなたに新たな敵が現れる。その一人一人は小さいが、四人以上集ると注意! 命の危険も!』とオミクジには書かれている。

 いつから神社は占い師を気取るようになったのか、いや、霊能力も予知能力もないのに占い師を気取るなんて、それは単なる詐欺師となんら変わりないではないかなどと憤り、その怒りの矛先は確かに神主や巫女さんその他諸々に向けることはできたけれども、あくまで切っ先を向けただけで、突き刺すに至らなかったのは、やはり俺が小心者ゆえなのであろう。

 帰宅してテレビを点けると、朝は魔の時間なんて特集をやっていて、何かのミステリーの特集だろうかと思っていると、そうではなくて、冬の朝は死亡率が増加するという、これまた年明けから縁起でもない番組をやっているだけだった。

 黒縁眼鏡に、立派な白髭を蓄えた男が、「冬の朝は特に寒いから、脳梗塞、心筋梗塞が増えるのです」とえらそうにうんちくを語る。

「なるほど、だから、朝を『魔の時間』というんですね」

 枯れ木よろしくひょろひょろの司会者が頷く。

「さよう。特に冬の朝は一年で一番冷え込む時期だから、死亡率が多いのだ」

「しかし、今日は先生が魔の時間対策を教えてくれるからもう安心ですね」

「うむ。もはや悩み無用というわけだ」

  医者と思われる男が踏ん反り返って自信満々にそう言って格好付けるのだけれども、俺の目には豚が椅子に深く腰掛けて鼻をヒクヒクさせているようにしか映らなかった。

「まずは、朝……皆さんは、布団からゆっくり這い出ているかな?」

「私はぎりぎりまで寝ていたいので、布団から慌てて飛び出しますね」

「いかん。それはいかん」

 医者が眉根を潜める。

「寒い空間にいきなり飛び出れば、それだけで一気に血圧が跳ね上がり、脳梗塞、心筋梗塞になりやすい」

「なるほど! なるべくゆっくり出ればいいというわけですね?」

「うむ。加えて息をゆっくり吐きながら布団から出ると、なおよろしい」

「息をゆっくり?」

「息を止めると、血圧が上がるのだ。ベンチプレスをする時は、それを利用して血圧を高め、力が出やすいようにするくらいだから」

「ははあ。息を吐きながらですね」

「それをして、まずは第一関門突破だ。続いて、顔を洗う時、ここにも魔の時間が潜んでおる」

「と言いますと?」

「絶対に顔を洗ってはいかん」

 この助言には、さすがの俺も猛烈に吹いた。俺が司会者なら、この医者の顔面に俺の唾液が飛散するのは必至だっだだろう。

「え?」

 今まで同意していた司会者は、口を阿呆のように開けている。

「いや、言い間違えた。水で洗ってはいかんということだ」

 威厳に満ちていた医者が、取り繕うように慌てて言う。

「では、何で洗うんです?」

「お湯だよ、お湯」

 それくらいわからんのかね、というように医者が呆れ顔を作る。

「水は冷たいから、それに触れると、やはり血圧が高くなるということですか?」

「その通り。君も賢いところがあるじゃないか」

 医者が誉めるけれども、それは小学校の教師が問題を解けた生徒の頭をよしよししてやるような響きがこもっていた。

「しかし、ただ、お湯で洗うだけではいかん」

「と仰いますと?」

「これまた、息を吐きながら洗うのだ。そうすれば、血圧の上昇を抑え込むことができる」

「え? でも、顔を洗いながら息を吐けば、シュプパパパパパパパって音が鳴りません?」

 俺は、司会者のその擬音語に腹を抱えて笑ってしまった。

「何を言うかね、君。シュプパパパパパパパと音を鳴らして死なないのと、シュプパパパパパパパと音を鳴らさないで死ぬのとではどちらがいいかね? うん?」

「シュプパパパパパパパです」

「シュプパパパパパパパだろ?」

「はい。シュプパパパパパパパですよね」

「うむ。わかればよろしい」

 俺は、司会者と医者が、シュプパパパパパパパ、のパの文字数を一度も違えずに言えているのに驚いた。さすがプロなだけはある。

「では、次の魔の時間なのだが、扉を開ける時、急に開けてはならない」

 この台詞だけを聞けば学校の怪談か何かと勘違いされるのは免れられないであろう。

「では、どうすれば?」

「ゆっくりと、ゆっくりと開けるのだ」

「ふむふむ。これも一気に冷たい空気に触れないように、という対策ですね?」

「うむ。そして、この時も、息を吐きながら扉を開けるのだ」

「ええっと、ゆっくりゆっくり扉を開けつつ、息を吐く」

 司会者がその様を、パントマイムのようにしてみせたのだが、大変滑稽だった。

「なんだか太極拳みたいな動きですね」

 司会者も自分の動きが面白おかしいことに自覚があるらしい。

「太極拳には、血圧を低下させる働きがあるからな」

 医者が神妙な面持ちで言う。

「とすると、常日頃から太極拳の動きをしながら物事に取りかかればいいということですか?」

「それが一番だけれども、君はそんなことができるのかね?」

「でも太極拳をして死なないのと、太極拳をしないで死ぬのとではどちらがいいか、ってことになりませんか?」

「それは、スルーしよう」

「ええ、スルーしましょう」

 司会者が笑みを浮かべる。

「次の魔の時間だが……外で呼びかけられる時だ」


 司会者が息を飲む。

 俺も息を飲む。


「呼びかけられても、振り返ってはならない、だ」

 学校の階段的キャッチフレーズの再来だ。

「首筋に通っている太い血管があってだな、振り返るとそれが締めつけられて、これまた血圧が上昇してしまうのだ」

「なんともおそろしいことですね」

「そう、だから魔の時間などというおどろおどろしい名前がついているのだろうな」

 医者が鷹揚に頷く。

「こういう一つ一つのリスクが積み重なると、本当に死んでしまうから本来であれば相当気をつけるべきなのだ!」

「な、なるほど、二つ、三つ重なると、死に至るかもしれない、ということですね?」

 どきりとした。

 今日のおみくじには、なんて書かれていただろう。慌てて、ポケットをまさぐり、あの紙切れを引っ張りだした。

『あなたに新たな敵が現れる。その一人一人は小さいが、四人以上集ると注意! 命の危険も!』

 もしかして、魔の時間、のことを指していたのだろうか。


 布団からゆるりと出ること(ゆっくり息を吐きながら)。

 顔をお湯で洗うこと(ゆっくり息を吐きながら)。

 扉をじょじょに開けること(ゆっくり息を吐きながら)。

 振り返らないこと(ゆっくり息を吐きながら? いや、違うか)。


 数もちょうど四つだ。

 ふふん、馬鹿らしい、と思うと同時に、しかしあまりにも状況がマッチし過ぎていて、背筋がぞくりとした。

 このいけ好かない医者の言うことに従うのは気後れするが、致し方あるまい。明日は素直に従おうではないか。

 そう胸に決めて、布団に潜り込んだ。



 雀が囀り始めた頃、

「あなた!」

 いきなり、布団を引っぺがされた。

 それでも俺から眠気はとれなかったがしかし、昨晩の記憶が蘇り、うおおおお、と吠えてしまった。

「し、しまった!」

 第一の魔の時間を、俺はものの見事にクリアできなかった。

 布団からゆるりと出ることを忘れてしまったのだ。おまけに、息をゆっくり吐くことすらしていない。

 な、なんたることか。

「お、お前、というやつは……」

「なに、寝ぼけてんのよ、さっさと顔を洗いなさい」

 嫁の尻に敷かれている俺は、しかしこれ以上反論できなかった。

 しぶしぶ洗面所に向かい、お湯で顔を洗う。息を吐きながら。

「シュプパパパパパパパ」

「何それ? 寝ぼけているの?」

 突如、湯が水に代わったので、俺は面食らった。

「う、うおおおお」

 第二の魔さえも、俺はクリアできなかった。

「な、なんてことをするんだ!」

「だって、寝ぼけて、シュプパパパパパパパ、なんてあなたが言うんだもの」

 ぐぬぬぬぬ。そうきたか。

 こちらとしては、魔の時間を回避すべく、やっているのに。

 小さな親切、大きなお世話だ。

 なかばやけくそ気味に嫁の用意した食事をかっ食らって、

「いってきまーす」

 ドアノブに手をかけたちょうどその時、凄まじい速さで扉が開けられた。

「おはよー!」

 愛娘が扉の向こう側で待機していて、扉を開けてくれたらしい。

 本日、二回目の小さな親切、大きなお世話である。

「ぬおおお……」

 すでに、第三の魔にまできてしまった。

 背水の陣である。

 がしかし、愛しの娘をここで怒鳴るわけにもいかず、「そうかい、ありがとうね。早く学校に行きなさい」と笑顔で頭をなでた。

「うん、行ってきまーす」

 それを見届けてから、俺は駅へと向かった。

 残る魔は、振り返るな、その一点のみである。

 誰が呼び止めようが、背後で何が起ころうが、絶対に振り向いてなるものか。

 俺は、そう心に誓った。

 大丈夫。必ず、第四の魔は回避してみせる。

 そう、先程までは不運が積み重なっただけであり、そもそも俺ではどうにもならなかった部分だ。しかし振り返るか否かは、完全に俺がコントロールできるもので、不注意さえなければ、うまくいくはずだ。

 俺は電車に乗り、常に周囲に気を配りつつ歩き、そして学校に着いた。

 完璧である。後は、職員室まで行けば、第四の魔ともおさらばという寸法だ。

「先生!」

 生徒に呼びかけられたが、俺は振り返るなどというミスは犯さない。

「どうした?」

 振り返らずに、クールに返答する。

「あの、朝練で今日グラウンドを使っていいのは野球部ですよね、今日、なぜかサッカー部の人が使っていて」

「なんだと、それは……」

 言葉を続けようとして、急に頬が熱くなった。



 目を覚ますと、俺は担架に乗っていた。

「な、何が……」

「ああ、良かった。目覚めましたね。サッカーボールが当たったんです。意識がなかったから不安でしたが」

 結局、俺はサッカーボールが当たってしまった反動で、振り返ってしまったようだ。なんともついていない。

 だが、特に命に別状はないらしい。『その一人一人は小さいが、四人以上集ると注意! 命の危険も!』というのは、やはり杞憂だったようだ。

 道路の方を見ると、子連れのカルガモがそこを渡ろうとしていた。合計四羽だ。彼らの横断しようとしているあの道は、車の往来が激しい。

 なるほど、四人というのは、カルガモ親子のことを指していたのか。そして、『命の危険』というのは、どうやら『俺の命』ではなく、『彼らの命』を指しているらしい。

 先頭にいたカルガモの親が、あの道路に一歩踏み出した。 

「危ない!」

 俺は頭がくらくらしていたものの、担架から飛び降りて、横断歩道に突っ込んだ。

「トラックが!」

 背後から物騒な台詞が聞こえたので、慌てて『振り向く』と、『俺の命』は潰れてしまった。


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