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マイナス概念の美食家

異常な美食家。今回は私にしては長めなSSになってすいません。

 生前は異常な美食家としてその名を馳せた私だが、死んでしまってはどうにもならない。今や、私はその辺りのなんの変哲もない霊とまるで差がないはずである。しかしながら死因が過食とは、大変滑稽というより、なんとも情けないことだ。

 それにしても周囲の霊達が次から次へと転生していっているのに、私だけなぜ輪廻の時間が回ってこないのであろうか、いよいよ疑問に感じ始めた。少々心細い。

 黄金色の雲の上で、ゆらゆらしていると、

「そこのあなた。あなたは、吉田恵さんですね?」

 唐突にそう尋ねられた。

 声の方を見ると、見知らぬ男がいた。髪をポマードでしっかりと固めている。燕尾服をまとっており、とても真面目そうな印象を受けた。

「ええ、そうだけど、何か?」

「実は、食べてもらいたいものがあるんですよ」

 下界では、大食い、早食いなどで、異常な美食家として轟いていた私の名だが、どうやら天界にも響いていたようだ。意外である。

 どうせ、輪廻するまでは時間があるのだから、ということで、私は二つ返事で承諾した。

「あ、申し遅れました。僕は、横山ケインと申します」

 それは偽名か、芸名か、あるいはハーフか、と考えて、純和風な容姿であるこの男に限っては最後の可能性はないな、と思い直した。

 男の後についていくと、豪華絢爛な料亭に連れていかれた。柔らかな光が天井から、そして床からも少し漏れ出ている。

「今からあなたに食べてもらうのは、下界の負の要素です」

 の要素とは、これまた変わったものを食べてもらいたいのだな、と思っていると、

「いいえ、味噌汁などに入っている『ふ』じゃないです。マイナスの負ですよ」

 しかし、どうしてそんなものを食さねばならぬのか。

「この世を良くするためです」

「なるほど……」

 言ってみれば、少し規模の大きいボランティアみたいなものか。生前なら忙しくて、無償奉仕活動に参戦することはままならなかったが、今なら可能であるし、少しくらいならやってもいい気がする。

「ところで、その負とかいうやつはどんな料理なの?」

「見たらわかりますよ。今から料理を持ってきますんで」

 料理を待っていると、ケイン君がお盆に、蓋付きの料理を乗せてやってきた。

「どうぞ」

 彼は、それを机に置いてくれた。

 早速、手を擦り合わせて、蓋を開けたのだが、途端に苛烈すぎるにもほどがある臭いが、私の鼻に殺到する。賞味期限をとうに過ぎたチーズにレモン汁を混ぜ合わせたような、激しく酸味の効いたような汚臭が鼻を突き上げる。まるで、鼻から直接キムチを吸い上げるような痛さがある。異臭とも汚臭とも判別がつかない。

 たまらず、私は蓋を閉めた。

「まあ、その対応が正しいでしょうね」

「ど、どういうことよ! こんなものを食べさせようとするだなんて、人としてどうかしているわ」

「私は人ではありません」

「じゃあ、何よ? なんなのよ?」

「天界人です」

 解答を聞いた私だが、天界人というのが何をするのかわからないし、そもそも人としてどうかしていると私が言ったのは、要約するに「あんたおかしいだろ」ということであって、人であろうがなかろうがそんなことはこの際どうでもいいのである。

「と、とにかく、これはなんなの?」

「ですから、先程も言ったように、負の要素なんですって」

「これが?」

「ええ、これは『臭い物』なんですよ」

「そんなことは、わかっているわよ!」

 だからこそ、蓋を速攻で閉めたのだ。

「ほら、よく言うじゃないですか、『臭い物に蓋をする』と」

 ははあ。なんとなく話が飲み込めてきた。つまり、私の目の前にあるのは普通の料理ではなく、どちらかというと概念を具現化したような存在で、私が食べなくてはならない概念は、今回は負、つまり食べれば腹痛確定というような代物ばかりだというわけだ。

 ボランティアに意欲的に挑もうとしていた私の気持ちは、掠れた音を立てて抜けていった。こんなものを食すのは、さすがに我慢ならない。

「いや、食べてください」

 ケイン君は、困ったような顔をする。

「な、なんで、そんな負を食べなくちゃいけないわけよ」

 私は、罪深い魂でもなんでもないはずだ。むしろ善行を積み重ねてきた。

「いいえ、あなたは意味もなく、テレビ番組で多くの生命を食べてきましたからね」

 それを言われると、かなり痛い。けれども、あれは致し方なかったのである。そうするしかなかったのだ。

「あなたの主張も、もっともです。ですから負の要素を食べてくだされば、ちゃんと輪廻するように取りはからっておきますから」

 世の中、うまい話はないものである。仕方がないので、鼻をつまみながら食べようとすると、

「これは刺激臭ですので、嗅ぎ方としては手で仰ぐのが正しい流儀かと」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

 そもそも、こんな得体の知れぬ臭いを吸い込みたいうつけがどこにいるというのか。いや、この男はそれに該当しそうである。

 私は鼻をつまみながら、フォークで『臭い物』を食べ始めた。味は極めて不味いものを予想していたが、そういうこともなかった。結構辛くて、口の中を針で突っつき回されるような感触がのたうち回る。もっとも、激辛にも強い私だから、そこは無問題である。だてに美食家を自負してきたわけではない。それに、これを食べることで、下界の隠されるはずであった悪事や醜聞を排斥できる、と思うと、不思議と料理も美味しく感じられてくる。

 臭い物を食べ終えると、ケイン君は、新たな料理を持ってきた。

「今回の料理は、ちょっと……犬の餌として下界から取ってきたんですが……」

 ケイン君が口ごもる。

 全く。犬の餌を私に食わせようとするなんて、モラル欠如にもほどがある。私が、今後の彼のためにも、一肌脱いで常識を教えてやろうではないか、と腕まくりした。

「ぶっちゃけた話、犬も嫌いなんですよね、その料理」

 私は、まくり上げた袖を元に戻した。おそらく、私では彼の更正は不可能だろう。

 料理を嗅いでみると、臭くはない。見た目もそんなに悪くはない。犬の餌にも見えないし、犬には少しもったいないような気さえしてくる。

 どうして食べないのだろう。味が問題なのか。おそるおそる一口だけ食べてみると、冷たい味がした。凍らしたバナナだがしかし柔らかくなっている食感、といえばいいのだろうか。不味いといえば不味いのかもしれないが、好き嫌いの問題の範疇である。

「それで、これはなんなの?」

「ええ、それは『夫婦喧嘩』というやつでして」

 なるほど、道理で犬が食わないわけである。

 しかし夫婦喧嘩を下界から抹消するとは、少々そら寒いものを感じてしまうのは、私がおかしいからであろうか。やはり、夫婦とは喧嘩によって互いを研磨し、互いを知り、互いに成長しあっていくものではなかろうか。未婚の私が、何をどうこう言おうが、あまりその言葉に重みはないのかもしれない。

「ねえ、夫婦喧嘩は――」

 必要なものじゃない、と言おうとしたところ、

「排除すべきです。僕は、最近、大喧嘩の末、愛妻と離婚するに至りましたから」

 そんなことを言われては、とてもではないが、夫婦喧嘩は必要だ、と論じることはできなくなってしまった。

 その代わりに、「じゃあ、はい次」と私が威勢よく言うと、「少々お待ちを」とケイン君が慌てて厨房に向かった。

 ややあってから、彼は「お待たせしました」と次なる料理を持ってきた。

 三番目の負の要素は、かなり見栄えの良いものであった。食べてみると、とても美味である。あまりに美味しいので、どんどん食べてしまい、僅か数秒で完食してしまった。

「昇天しそうなほど美味しいわね、これ」

「吉田さんは、すでに死んでいますから」

「失礼ね」

 ケイン君は、言語の裏を解する心に優れていないのだろう。先程から、どこかずれた発言が目立つ嫌いがある。

「とても美味しいね、これ。一体、これはなんなの?」

 尋ねてみるも、ケイン君はもじもじしたままで答えくれない。本当にこの男は、一体なんなのか。まるでつかみどころがなく、素手でウナギを捕まえようと苦心していた子供時代を想起する。

「早く答えてよ」

と何度かせっつくと、

「それは『人の不幸』というやつでして……」

 思わず噴いた。

 それから、沈黙した。

 人の不幸は美味しい、というが、私はそんな悪人になったつもりは毛頭ない。

 気まずい沈黙の中、ケイン君は無言で、またも厨房の方へ直行していった。

 しばらくして帰ってきた彼は、しきりに首をひねっている。

「しかし、これって……」

 何やらもごもご言っているケイン君の手から、私は料理をひったくった。

 もしかして、またとんでもなく美味なものかもしれない。口の中で唾液が広がる。

 口に料理を運んでみると、曖昧なイメージが脳裏に浮かび上がる。

 心がとても快適だ。好奇心も湧いてきた。

 けれども、これがなんであるか思い出すことはできない。なんだろうか。

「よく、そんな大きいものを食べることができるね、おばちゃん」

 いつからそこにいたのだろう。見知らぬ少年が指をくわえながら、私を凝視していた。

「おば……」

 この小憎たらしい坊やの首をひねって、もぎ取ってやりたい衝動に駆られた。が、ここはぐっとこらえねばなるまい。そんなことをしでかしたら、確実に私は地獄行きの切符をつかまされる羽目になるのだから。

「どうして、そんなに大きいものを食べることができるの?」

「それは、私が――」

 大食いチャンピオンだからよ、と答えようとしたのに、

「――大人だからです」

とケイン君が、静かに、そして厳かに主張した。

「それは、『夢』なんですよ」

「夢……」

 私は無意識に繰り返した。

「そう、夢です。子供の頃は大きいのに、大人になってみると案外小さくなるものです。ですから大人のあなたにとっては小さなその料理も、子供の彼にとっては大きく見えるんです」

「で、でも、どうして、私が夢を食べなくちゃいけないの? 私は負の要素を処理して、この世を良くするんじゃなかったの?」

「ええ、そうです。私もどちらかというと、吉田さんの意見に賛成なんですが、いかんせん上司達は、今の世には夢にかこつけてフリーターやニートになるものがあまりに多い、これではいかん、という考えを持っているんですよ」

「なるほど、夢は人を駄目にする、か」

「まあ、そんなところです。では、次に行きましょうか」

 まだあるのか。正直なところ、胃袋の容量的には全然問題がないのだが、先程から食べたことのないものばかり食べてきているので、なんというか胃がむずがゆいのである。しかし、決して食べられないわけでもなく、免罪符をもらうためにも私は食し続けなくてはならない。

「それでは、こちらをどうぞ」

 私が思索にふけっている間に、ケイン君は次の料理を持ってきていた。

「おっと、これは食べてはいけませんよ。持ってくるものを間違えてしまいました」

 彼は慌ててその料理を引っ込めようとしたが、それを見ていると、どうしても食べたくなるというのが人の性であり、美食家の使命でもある。

「僕は人じゃないですから」

 って、別にケイン君の性について述べていたわけではないから。

 私は、ケイン君の手にある料理を一口だけつまんで食べてみた。

「つ、冷たい……」

 あまりにも冷たい。まるで冷凍食品をそのまま口に放り込んだかのようである。

「そりゃそうですよ、今から電子レンジ解凍しなくちゃいけない代物なんですから」

 どうやら、真剣にこれは冷凍食品の類だったようだ。

 ひりひりする舌を、手近にあったお茶を飲むことで癒している間、彼はよくわからない料理の解凍に取りかかっていた。

「それで、そいつはなんなの?」

「義理人情ですよ。今では、すっかり冷たくなっちゃって」

「ふうん」

 私は完全に冷たさが残って違和感のある舌を指でいじっていて、うっかり喉に触れてしまった。

「う……」

 胃の不調と合わさって、たまらず私は今まで食べてきたもの全てを『戻し』てしまった。

「ああ! なんてことを! 結局、この世は元に『戻って』しまったじゃないですか!」


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